2023-12

2007年5月 の記事一覧




2007・5・30(水)仲道郁代のベートーヴェン・ツィクルス

    JTアートホール  7時

 チェロとのソナタのシリーズ第2回、協演は趙静。
 プログラムは、ソナタの第1番、第4番、第5番、および「魔笛の主題による7つの変奏曲》と、アンコールに《ユダス・マカベウスによる変奏曲》。

 ソナタ集は快演に満たされた。《第1番》では作品の性格からしてピアノの雄弁さも際立ち、長年にわたりベートーヴェンに取り組んできた仲道の満々たる自信と気迫を余すところなく押し出したが、チェロが発言力を増す《4番》以降では、趙の恰幅のいいソロが小気味よい反撃を開始した。
 特に《5番》のアダージョでは、小節を追うに従い深みを増していく叙情の見事さが印象的だったし、続くアレグロでは音楽の巨大な歩みが展開されてすばらしいクライマックスが形成された。

 今回が初協演という2人の個性のぶつかりあいが前面に出た感があり、ベートーヴェンのソナタは、こういう演奏でこそ、いっそう面白くなる。
 ただ客席最後部下手側で聴いた場合、ピアノもチェロもかなり響いて定位感が失われ、大味なイメージになってしまう。演奏全体に凝縮力が不足しているようにも感じられたのは、多分そのためだろう。

2007・5・26(土)ユーリ・テミルカーノフ指揮読売日本交響楽団

    東京芸術劇場コンサートホール  2時

 チャイコフスキー・プロで、「胡桃割人形」第2幕のハイライトと第4交響曲。こういうレパートリーは、流石にテミルカーノフの本領発揮だ。
 前者でのチャイコフスキーのオーケストレーションは実に名人芸の域に達していると思うが、それをテミルカーノフは実に見事に響かせている。冒頭部分など、まさにこれこそがロシアの華麗な色彩に満たされた音楽だとうっとりさせられたほどである。

 「4番」では、ファンファーレの中の一つの音符を少し引きずるようにして変化を持たせており、単調な音の繰り返しを避けているところなど、流石の練達の業である。第3楽章での各セクションの対比の際立たせ方もさすがの手腕。フィナーレは壮烈に速いテンポで押した。読売日響の第1ヴァイオリンの鳴りは、とりわけ見事。うしろのプルトの方が強大な音を出しているような感もあったが━━。

2007・5・25(金)下野竜也指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

    すみだトリフォニーホール  7時15分

 珍しいプログラムが組まれた。オッフェンバック(実際にはカール・ビンダー編曲の)「天国と地獄」序曲は、その性格からして定期公演で取り上げられるのが珍しい。物凄く音が厚く、あたかもグランドオペラの快活な序曲といった調子で演奏されたが、それが3階バルコン席で聴いたためなのかどうか。
 ラインベルガーの「オルガン協奏曲第2番」(ソロは小林英之)もきわめて重厚に聞こえた。休憩後のラフの交響曲は異なる印象を得たから、それらの音の厚さは意図されたものだったと思うことにしよう。なお、後者はあまり面白くない曲だ。

 ヨアヒム・ラフの交響曲第5番「レノーレ」(全曲は日本初演)は聴きものであった。
 1872年の作といわれるが、作風からすると前期ロマン派のカラーが著しく、ウェーバーやメンデルスゾーンの影響がそこここに感じられる。ただ、旋律は豊富にあるが、どれもそれほど耳を惹きつけるほどのものではない。第2楽章の旋律もはなはだ不器用なものだろう。
 第3楽章の行進曲は軽やかで面白いが、中間部には「夏の夜の夢」を思い出させる箇所もある。第4楽章には怪奇な、幻想的な迫力がある。

 この一見とらえどころのない長大な作品(50分以上かかる)をうまくまとめた下野の力量はなかなかのものだ。行進曲での漸弱の呼吸は見事だし、第4楽章でのメリハリも充分。最後のコラールに入る前、もう少し絶望に突き進むような激しい盛り上がりがあればもっと劇的だろうし、最後の和音で木管のピッチが合っていればもう少し感動的になったろう。

2007・5・20(日)ドレスデン コンヴィチュニー演出の「タンホイザー」

   ザクセン・ドレスデン州立歌劇場  6時

 パリからミュンヘンを経て、昼頃ドレスデンに入る。
 貰ったプレス席が1RANG(2階)2列目20という甚だ見易い位置で、しかも後が壁で右側には少し柱が飛び出しており、身動きも自由というありがたい状況だったため、前夜のような疲れは全く感じずに楽しめた。

 指揮はクリストフ・プリックという人、あまり要領の良くない、面白くない指揮者だったが、オーケストラをあれだけバランスよく、しかも豊かな音を保って鳴らしていたのは、やはり力量もある人なのだろう。
 ここのオーケストラは、指揮者がだれだろうと味のある音楽を演奏できるというのは先刻承知だが、しかしシュトラウス・ターゲの時には、結構うるさい音になっていた時もあったのである。それにしても今日は━━なんというオーケストラの美しさ。和音とその響きは、陶酔的な美しさと温かさだ。

 ドレスデン・オペラが、「タンホイザー」を「ドレスデン版」でなく「パリ版」で上演するなどということがあったらお笑いだろうな、と思って観始めたら、何と本当にそのパリ版だった。第2幕、第3幕も同様である。ただし第2幕ではワルターの歌が復活されていた(これはおそらく演出上の要求によるものではないかと思う)。パリ版基本、一部ドレスデン版使用、というところだ。

 演出はペーター・コンヴィチュニーだが、10年前のものなので、比較的音楽を重要視しているタイプのように見える。ガタガタしている部分も少なくないが、本人が現場にいない所為もあるだろう。
 「バッカナール」の部分は「パルジファル」の花園の場の先取りのような形で、従ってタンホイザーはパルジファルに成り損なった男ということになるか。
 第1幕での羊飼いは羽を生やした天使。歌手たちはタンホイザーが帰還したことを実に単純に素直に喜び、踊り出すほどで、このあたり少々コミカルなタッチだ。
 彼らは第2幕でも領主から救済策を告げられるとそれに同調し、むしろタンホイザーを激励するのである。領主自身も、怒りを覚えながらもカタンホイザーに深い友情を示すのを隠さない。めずらしい解釈だろう。

 特筆すべきは、ヴォルフラムが並み外れて重要な存在になっていることだ。これは、ほどんどタンホイザー━━エリーザベト━━ヴォルフラムという、三角関係の人物ドラマといってもいい。
 ヴォルフラムは、第1幕でエリーザベトのことを語る時からすでに内心の感情を外に表してしまう。また第3幕ではエリーザベトを抱きかかえ、その死を看取りながら「夕星の歌」を歌うのである。後者はかなり衝撃的だが、しかし音楽を少しも邪魔していないので感動も一入だ。
 第2幕最初の二重唱の中に「ヴォルフラムの落胆のことば」を復活させているのは、その点でも全く当を得ていることであり、我が意を得たという思いである。
 ただ問題は、ここでのヴォルフラムの演技には高貴さよりも人間的な苦悩が浮き彫りにされており、したがって少々優柔不断な男に見えてしまうことだろう。

 歌合戦はむしろ賑やかなパーティだ。歌手が歌う時、周囲の女性たちが手を彼に向かって高くかざして支持を表明するのが美しい。この辺りはレジー・テアター系演出家と思えぬほどである。群衆の演技は、非常に細かい。
 アンサンブルでは、タンホイザーのパートはほぼノーカットで歌われるが、合唱の一部は省略されて、彼のパートを浮き出させるようにしてある。しかし題名役のジョン・フレデリック・ウェストの化物のような声量を以てすれば、その必要は全くないように思えた。
 最後のアンサンブルは、珍しくほぼノーカットで演奏されている。

 第3幕では、ヴェーヌスはボトル片手にグデングデンになって出現、最後には彼女がエリーザベトの亡骸を抱き、タンホイザーと3人で舞台中央に動かなくなる。合唱とともに背景の空がブルーに染まるのはいいが、突然下手舞台上方に大きなヒマワリの花が出現するのは何ともいただけなく、観客にも失笑が起こるし、折角の感動的な幕切れで画竜点睛を欠くといったものだ。最後に逃げを打つコンヴィチュニーの悪い癖が、ここでも出てしまっている。

 ヴェーヌスはガブリエーレ・シュナウト、声は勿論充分だがその動きの鈍い体躯はヴェーヌスとは思えぬ。エリーザベトのアンネ・シュヴァンネヴィルムスは清純な雰囲気ではあるものの、性格表現に今一つ。ただし、裏切られて大人になるあたりの変化には見るべきものがあった。ヴォルフラムはマーカス・バッター、領主はラインハルト・ドルン。
 総じて、この作品に新しいものを見出だせるには充分の上演であったといえよう。これで、疲れも見事に吹き飛んだ。

2007・5・19(土)パリ ゲルギエフ指揮の「ローエングリン」

   パリ・バスティーユ・オペラ  7時

 ウィーンからフランクフルトを経て、パリに午後入る。時差ボケは未だ全く解消できず、しかも早起きせねば移動できぬとあって、転戦の苦しさがこの日クライマックス。しかも7時開演が30分も遅れ(おそらくまたゲルギエフの所為だろう)終演が0時を過ぎるという状態だから、踏んだり蹴ったりである。

 こちらのコンディションが悪い所為だけでもなかろうと思うが、ゲルギエフの指揮がどうもワーグナーの音楽としてのフォーカスの定まらないものに感じられる。
 第1幕と第2幕のそれぞれ最後の盛り上げ方も力感充分だったし、あえて欠点と言うべきものはないのだが、何か全貌を掴みかねる大きな壁画を見ているような感覚になってしまうのである。この作品から新しいものを発見できるという水準には程遠かった。版は慣習的なカットを大量に含んだもので、これも新味がない。

 しかし、歌手陣は粒が揃っていた。題名役のベン・ヘップナーが大音声を聴かせて白鳥の騎士の威力を誇示する一方、オルトルート役のヴァルトラウト・マイヤーは声こそ往年の力を失っているものの、見事な性格表現を聴かせた。
 また、エルザのミレイユ・ドルンシュは安定しており、テルラムントのジャン=フィリップ・ラフォンも渋い表現。伝令にエフゲニー・ニキーチンが出て、これは儲け役でもあるが、大きな拍手を浴びていた。

 演出はロバート・カーセン。これは、ポール・スタインバーグの舞台装置とともに、予想外にストレート路線を採っていた。「タンホイザー」のような読み替えもなく、ローエングリンはまさしく騎士の姿で白鳥と一緒に登場する。それだけが超自然的な存在で、他の人物は現代人の姿で登場する。
 休憩時間を含めて幕は開いたまま。廃墟となった建物の内部でドラマが進行する。奥の大きな門は最初のうちは開いていて、そこからこれも荒廃した港のような光景が見える。
 すべてはモノクロームの冷たく暗い色に支配されているが、その中にたった2回だけ美しい色彩が現われるのは、奥の大扉が開いてローエングリンと白鳥が登場する時と、騎士が去って行く時だ。そこでは黄金色に輝く花園や林や小川が見えるのだが、かなりお伽話的なイメージであり、むしろパロディ的にも見える。

 ブラバントの群衆は打ち拉がれた難民という体で、それでも何かを待ち続けている様子。前奏曲の「グラールの動機」の箇所で、動かぬ彼らに黄金色の光が当てられる瞬間はかなりドラマティックだ。
 この無気力な連中が第3幕では隠してあった武器を取り出して戦の支度をするわけだが、それはまるで「七人の侍」の農民の立場を思い出させた。ザクセン軍側は国王と伝令を含めて数人程度、軍服に身を固めている。

 第2幕終り近く、ローエングリンが「エルザ!」と叫んで必死に辺りを見回し、群衆がぱっと割れると、奥の大扉に助けを呼ぶようにすがっているエルザの姿が浮かび上がる。音楽がここで突然暗くなるのと併せ、普通の演出よりも劇的な衝撃を観客に与えるだろう。この場面を中心に、主人公4人の構図はすこぶる巧妙で、ト書よりもはるかに劇的だ。
 ただし幕切れの「禁問の動機」が轟く瞬間に両側のバルコニー(それも壊れかけた)にそれぞれオルトルートとエルザが対峙するのは、あまり効果的とは思えぬ。

 第3幕、テルラムントが剣をかざして乗り込んでくる場面は、おそろしく間の抜けたタイミングで、ここは明らかに手違いだろう。白鳥が少年に変わる場面は一度大戸が閉じ、それから少し隙間が開いて少年が入ってくるという、あまり劇的感のない手法だ。
 観客の拍手が最も大きかったのは、やはりマイヤーに対してである。ニキーチンもなかなかの好評のようだ。

2007・5・18(金)ウィーン(2)ブーレーズ指揮、シェロー演出「死の家から」

   アン・デア・ウィーン劇場  8時

 数年ぶりに訪れるアン・デア・ウィーン、改築新装成ってからはこれが最初になる。
 席は最前列の5番。指揮しているピエール・ブーレーズが、すぐ目の前、左側に見える。歳を感じさせぬ、集中力に富んだすばらしい指揮を聴かせ、全曲1時間45分、休憩なしで振った。彼の指揮にかかると、オーケストラの細部まで聴き取れ、この曲が実に新鮮に聞こえる。

 演出はパトリス・シェロー。冷たい牢獄の壁を活用したモノクロームの舞台によるストレートなもの。囚人同士の間に暴力的な啀み合いを作っているのは、台本の読みの上である程度納得できるものだろう。全体としては特に変わった仕掛けはなく、極めて安定した演出である。際立ったプリモのいないこのオペラでは、それゆえ各囚人が個性的に描かれる必要があるだろうが、その点でもさすがシェローというべき、要を得た巧さが光る。

 歌手陣では、ルカ役のシュテファン・マルギータ、スクラトフ役のジョン・マーク・エインズリーが光っていた。シャプキン役のペーター・ヘーレは少し小型だろう。アレイヤはエリック・シュトクローサというテナーが歌った。ペトロヴィッチは、懐かしいオラフ・ベーア、特に長い持ち歌がないので分が悪いが、旦那然とした雰囲気だけはあった。
 オーケストラはマーラー・チェンバー・オケ、コーラスがアーノルト・シェーベルク合唱団。いずれも立派な出来である。

 この演出では、舞台にいろいろなものを落下させる。第2幕冒頭で天井から大量の紙屑が落下、パントマイム場面では大立ち回りがあり、同幕の最後は垂れ幕まで落下する。そのたびに、猛烈な埃が舞い上がる。オケ・ピットもひどいことになったろうが、われわれ前列の客たちも大変な被害だ。膝に乗せていたプログラムの上がザラザラになった状態だから、頭から服から、凄い埃を被ったわけだろう。かぶりつきも善し悪しだ。
 終演後にレストランで山崎睦と会食した際、この埃の話をし、「ほら」とばかりに髪をさらさらと触ったら、細かいチリのようなものがテーブルにバラバラと舞い落ちた。山崎睦が「やめて下さいよ」と飛び上がった。

2007・5・17(木)ウィーン(1)小澤征爾指揮ウィーン・フィルのマーラー「復活」

    ウィーン国立歌劇場  8時

 前日、ウィーンに入る。

 客の半分は日本人ではないかと思われるほどだ。私の席の周辺にも、ズラリと日本人グループがいる。
 今回入手できた席は、前から5列目だ。オペラならいいけれども、オーケストラ演奏会では、こんな位置では音楽のバランスなどさっぱり判らない。しかも、ただでさえドライなアコースティックの歌劇場だ。オーケストラの量感などは全く味わえない。
 とはいえ、演奏にはある種の緊張感があって、クライマックスでの高揚など、充分に聴きごたえがあったという気がする。両端楽章のテンポは速めだし、表情も相変わらず直截。彼のオペラよりは遥かに良かったことは間違いないだろう。

 終演後に、現地のジャーナリスト、山崎睦に案内されて楽屋を訪れたが、客は日本人の「知り合い」ばかり。かつて小澤の終演後の楽屋といえば、世界の有名なアーティストやマネージャーが殺到していて、私など近づけないほどだったのに、これはどうしたことか。これが、ウィーンでの小澤の状況なのだろうか。音楽監督ともあろう人の楽屋がこういう状態なのか。
 山崎の表現によれば、最近はいつもこんな状態だとのこと。そして、彼がこれまで振ったモーツァルトやシュトラウスのオペラがことごとく不評で、特にダ・ポンテ三部作での失敗は致命的だとのこと。さりとて彼が得意とするレパートリーはウィーン国立歌劇場のレパートリーとなる種のものではないので、結局来季のように、チャイコフスキーのオペラを、それもわずか1本だけ指揮する程度のことになってしまうのだと。

 だから言わないことではない。小澤さんはウィーン国立歌劇場などという古い伏魔殿のような場所に来るべきではなかったのだ。
 彼が同歌劇場の音楽監督になると発表された時、私は「音楽の友」の鼎談などで、「アニキ、何ちゅうことをするんだ、という気持だ。彼のレパートリーから言って、彼はウィーンには向いていないのだ。パリとか、フランスの歌劇場なら成功間違いなしなのに」と嘆いたことがある。それでももしかしたら・・・・と仄かな望みを抱いていたのは事実だが、やはり不幸にしてその予感は的中してしまった。
 われわれの愛するスーパースターが、ウィーンでこんな立場に追い込まれているのを見るのは、本当に辛い。いても立っても居られないような気持である。

2007・5・14(月)ルドルフ・ブッフビンダー・リサイタル

    東京オペラシティ コンサートホール  7時

 ベートーヴェンのソナタによるリサイタル。「17番」「18番」「3番」「21番」というプログラムだ。
 いずれも低音域に重心を置き、和声の厚みと内声部の動きを重視するどっしりとした豪壮な演奏である。細身の演奏の多い当節、このような逞しいベートーヴェンは、作曲者特有の強靭な意志を再現するものだろう。
 ただ、どれもがアレグロ・コン・ブリオ的な演奏であり、プログラム全体を単調に感じさせてしまう傾向もあったようだが━━。

2007・5・13(日)宮崎国際音楽祭

    宮崎県立芸術劇場演劇ホール  4時

 シャルル・デュトワが指揮する宮崎国際音楽祭管弦楽団(小編成)と、人形劇団バンバリーナが上演する「ペドロ親方の人形芝居」を目当てに行ったのだが、残念ながら期待外れ。2階席から見たせいもあるのか、人形芝居が冴えない。歌い手の声もオーケストラに消されがちであった。

 むしろその前に演奏されたストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス協奏曲」と、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第1番」で、腕利きの演奏家たちが聴かせたアンサンブルに聴きごたえがあった。とりわけ後者での古部賢一らオーボエ・セクションと松崎裕らホルン・セクションの見事なアンサンブルには舌を巻いた。

 この日は日帰り。演奏会の前に宮崎観光ホテルの温泉につかり、英気を取り戻そうと図るが、逆に気持良すぎて眠くなる。最終便(夜8時発)で帰京。流石に疲れ甚だし。

2007・5・10(木)アレクサンドル・ドミトリエフ指揮日本フィル

    東京オペラシティ コンサートホール  7時

 前半はモーツァルトの「魔笛」序曲と「交響曲第36番《リンツ》」。
 分厚い音ながら非常に引き締まった整然たる構築で、どっしりと重厚な安定感もあり、内声部を含めてよく響く。最近ではほとんど聞けなくなったタイプのモーツァルトだ。
 ただそれは、最初のうちは小気味よい気持に浸らせてくれるが、ドミトリエフの指揮が終始イン・テンポで、かつ同じような表情で進むため、次第に単調さを感じてしまうようになる(ドミトリエフはサンクトペテルブルク響を指揮しても音色が単調で面白くない人だ)。

 こういう指揮者が、エリック・ハイドシェックのようなピアニストとコンチェルトをやったら、どうなるか。
 今日はベートーヴェンの「2番」が演奏されたが、思い切りルバートを多用して伸縮自在の音楽をつくるハイドシェックと、どうあっても自分のイン・テンポを曲げないドミトリエフとの協演は、けだし珍品であった。
 ハイドシェックのルバートに合わせられる指揮者など、滅多にいないだろうから、オーケストラを左手、ピアノを右手と考えれば、理屈では所謂ルバート奏法ということになるわけだが━━所詮音色の違いは争えず、アンバランスの極み。しかし、指揮者もソリストも不思議にすこぶるご機嫌の様子であった。

 最後はチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」。これはドミトリエフの本領発揮━━のはずであったが、ここでも彼の音楽の表情の単調さが、物語性を薄めてしまう。
 日本フィルは、全体としては悪くない。

2007・5・5(土) ラ・フォル・ジュルネ  小曽根真

   国際フォーラム ホールA  2時30分~3時30分

 12時半からカンテレの演奏とカレワラの朗読があるというので行ってみたが、これはキッズ・プログラムだった。カンテレの音色は素晴らしいが、幼児向けの話にはついて行けず、途中で退出。
 そして小曽根真は、井上道義指揮する東京都交響楽団との協演で、ガーシュウィン・プログラムである。こういう曲になると、彼の演奏もガーシュウィンの音楽にストレートに向き合ったものになるから、モーツァルトを演奏する時などと異なって、むしろ意外性のないものになる。
 それより都響の、特にクラリネットやトランペットやトロンボーンなどが、サントリーホールでなら絶対やらないような自由放埒な、大音響の演奏をするので、その方がよほど面白い。客の入りも上々。
 が、これだけ聴けば、もういい。3日間で19本の演奏会を聴いたと豪語している同業者がいるらしいが、こんな騒々しいごった返す会場で3日間を過ごすのは、よほど強靭な神経の持主でないと無理だ。

2007・5・4(金) ラ・フォル・ジュルネ  ウラル・フィルハーモニー管弦楽団

   国際フォーラム ホールA  9時15分~10時

 庄司沙矢香とボリス・ベレゾフスキーがそれぞれチャイコフスキーのコンチェルトを弾くということで、これも満席。この盛況はとにかく感動的である。
 ただし演奏はどうもいただけぬ。庄司は普段に似合わず荒っぽく、叩きつけるように弾いたが、多分この会場の広さを克服しようと思ったのかもしれない。彼女の演奏なら、普通に弾いていても聞こえるだろうに。ベレゾフスキーの方も、それに輪をかけて強引で雑なソロを聴かせた。TVが入っていたが、こんな演奏を放送しようというのか?

2007・5・4(金) ラ・フォル・ジュルネ  ミシェル・コルボ

   国際フォーラム ホールA 7時~7時45分

 あまりにも巨大なホールではあったが、コルボ指揮するオーケストラとコーラス、ピーター・ハーヴェイ(Br)とアナ・キンタンシュ(S)の声は、非常に遠いとはいえ、よく会場を通った。合唱の弱音はさすがに聴き取りにくいとことがある。
 ほぼ満席(6000人近い)の聴衆も、全神経を集中して聴き入る感。「ピエ・イエス」では会場は水を打ったように静まりかえっていた。演奏も温かく、すばらしい。

2007・5・4(金) ラ・フォル・ジュルネ  ミシェル・コルボ

   国際フォーラム ホールC 0時45分~午後1時35分

 ミシェル・コルボが指揮するローザンヌ声楽アンサンブルとシンフォニア・ヴァルソヴィア(弦は4人、管とハープ)によるフォーレの合唱曲(小ミサ曲、ラ・シーヌのための雅び歌他)。
 こういうレパートリーで、こんな大きなホールを埋められるのだろうかと気になっていたのだが、幸い杞憂に終った。普通のクラシックのコンサートでは、とてもこれほどの客は入るまい。クラシックでも低廉な入場料で、気軽に入れ、しかもいい内容であれば、これだけの客を吸収することができるのだということ。われわれはこれを真剣に考えるべきだろう。ただしこれだけ大きな、しかも残響の少ないホールだ。裸の音になるのは致し方ない。

2007・5・3(木)METライブビューイング プッチーニ3部作

    銀座ブロッサム  5時30分

 昼夜上映のうち夜の部を見る。実によく客が入っている。ほとんどが中高年齢層だが、これだけオペラ愛好者がいるというのは祝着である。ジャック・オブライエンの演出が全く平凡なので、「外套」と「修道女アンジェリカ」のみ見ただけで失礼した。レヴァインの指揮もさっぱり面白くない。彼は何かこの数年、スランプなのではなかろうかと思う。
 歌手は「外套」のファン・ポンス、マリア・グレギーナ、サルヴァトーレ・リチートラ、「アンジェリカ」ではバルバラ・フリットリがいい歌唱を聴かせていた。

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