2023-11

2005年3月 の記事一覧




2005・3・31(木)新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」

     新国立劇場  6時30分

 千秋楽のせいかどうなのか、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」という名曲なのに、客の入りは驚くほど少ない。6回公演は多すぎるのだろうか? 
 コルネリア・レプシュレーガーの演出はシンプルでオーソドックスなものだが、演技はきわめて細かい。美術と衣装はダヴィデ・ピッツィゴーニ、こちらはモダンで、シンプルで、洗練されている。

 フィオルディリージ役のヴェロニク・ジャンスに期待していたが、思ったほどの出来でもなかった。ベルント・ヴァイクルのドン・アルフォンゾは、押し出しはいいが、歌の方はかなり大雑把である。
 その他、ナンシー・ファビオラ・エッレラ(ドラベッラ)、グレゴリー・トゥレイ(フェルランド)、ルドルフ・ローゼン(グリエルモ)らの出演だが、むしろ最も気を吐いていたのは、デスピーナを歌い演じた中嶋彰子だった。歌唱も表情豊かで軽快、演技も生き生きしている。

 指揮は、当初予定の何とかいう人から急遽替ったダン・エッティンガーで、東京交響楽団の演奏ともども、これはまとまった音楽を響かせた。

2005・3・28(月) ザルツブルク・イースター(終)
ブリテン「ピーター・グライムズ」ラトル指揮、ヌン演出

     ザルツブルク祝祭大劇場  6時30分

 さすがにこの日は満席に近い客の入り。これほどオーケストラの壮大な「ピーター・グライムズ」を未だ聴いたことがない。嵐の場面の間奏曲をはじめ、あの幅広いピットからオーケストラが囂々と沸き上がる。
 このような演奏で聴くと、ブリテンがオーケストラを歌詞のある箇所では比較的控えめにさせ、間奏曲ではここぞとばかりに発言させ、こうしてオペラ全体に強いアクセントを付そうと意図していたことがはっきりと理解できるのである。
 それほどまでにここでのベルリン・フィルは物凄く、このオケの本来の実力と、ラトルの鮮烈な個性が裁量の形で結びついているといっていいだろう。

 演出(トレヴァー・ヌン)は、特に奇抜なことはやっていないが、ピーターと群衆の性格づけについては興味ある試みが感じられる。大劇場の広い舞台を埋め尽くさんばかりの群衆の重量感は、彼らの異常なマス・ヒステリーの圧力をよく描きだしている。
 ラストシーンでの村人の服装が全く漁村のイメージでなく、むしろ盛装のパーティみたいだったのは少しく疑問だが、本来の意図はまだ解らない。
 この直前、舞台裏から幽かに響いてくる合唱(ヨーロピアン・ヴォイシズ)は実に見事だった。

 舞台装置(ジョン・グンター)はリアリスムとシンボリズムの中間に位置する落ち着いた風格のあるものだ。大詰の海岸場面は荒涼として凄味があり、ピーターの荒んだ心理を見事に投影している。

 ロバート・ギャンビルのピーターは、ジョン・ヴィッカーズのような変り者の野趣はなく、ピーター・ピアーズが持っていたかもしれぬ神経質な趣もない。どちらかといえば冒頭の裁判の場面などでは、我侭だがまじめで、育ちのいい青年というイメージだ。
 彼が村人の異常なほどのいびりに逢って次第に一層荒廃していく、その過程を描きだすのが今回の演出の意図かと思われるが、そういう面ではギャンビルは巧くこの役を演じたといえるだろう。

 もしかしたら、ジョン・ヴィッカーズの解釈を間違いだと決め付けたブリテンの考えも、ここにあったのではあるまいか? エレン(アマンダ・ルークロフト)とバルストロード船長(ジョン・トムリンソン)がピーターをあれだけかばうのには、やはり彼にもそれなりの弱々しさや美点があったからであるはずだ。

 船長のトムリンソンは、この役にはぴったりだ。もともと巧い人だから、腹黒いハーゲンをやってもぴったりだけれど、今回のような人のいい、温か味のある役柄を受け持っても実にいい味を出す。
 大詰近く、もはやこれまでと、舟を沖に出して自ら沈めるようピーターに勧める場面で「Good by,Peter」と震え声で言う瞬間などは泣かせる━━ただここは、前のセリフからもう少し間を置いて言った方が効果的ではないかと思ったが。

 いずれにせよこの「ピーター・グライムズ」は、昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」よりも遥かに優れた上演であった。なおこれはMETとの共同制作である由。

 おなじみのメンバーで、クラウンプラザのバーで11時過ぎまで。
 2週間にわたった旅もこれで終る。翌日、フランクフルト経由で帰国。

2005・3・27(日) ザルツブルク・イースター
サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル

      ザルツブルク祝祭大劇場  6時30分

 マーラーの「交響曲10番」の「アダージョ」で開始された。16型のオケの威力は素晴らしく、安永徹をリーダーとする弦は特に鮮やかだ。クライマックスでのトランペットの咆哮は魂の慟哭であろう。ここだけは意図的に苦悩的な音で轟いたオケは、全体には濁ることのない音色を響かせた。ベルリン・フィルの底力を示した演奏であった。

 続いてブリテンの「セレナード」。ボストリッジと並んで舞台前面に立ったホルンのラデク・バボラクの巧いこと上手いこと。単に技巧のみに止まらない音楽の微細な表情づけ、変幻自在の音色。最後の「エピローグ」では舞台裏から遠く遠く神秘的な音を響かせた。いくら歌手が上手くてもホルン奏者が駄目だったら断じて成立しないこの作品だが、今回は見事そのものであった。それすら全く問題にならぬ程の感動を与えてくれたバボラクの名技である。
 
 ボストリッジももちろん素晴らしかったが、さすがに3日間連続してこれだけ高音域の多い、最強音の多い、長大な歌曲を歌って来て(しかもこれは第2チクルスであった)疲れが出たのか、後半の「Dirge」の一部で声が少しかすれたが、強いてアクシデントといえばそれ一つだけ、とにかく彼の熱演は讃えられよう。拍手もバボラクへのそれと併せて圧倒的だった。

 後半はまずシューベルトの「アダージョ」━━これは一般には「アンダンテ」と言われているものだが━━D936Aの交響曲の第2楽章である。ブルックナーの先取りともいうべき作風を持つ。
 楽想の展開に乏しく、演奏時間も短いため、今夜のプログラムの中では一種の間奏曲のようなイメージになってしまったが、しかしその意義はすこぶる大きい。シューベルトがもしもっと長生きしていれば、必ずやブルックナーのような交響曲を書いたであろうことを予想させる、それが先日の「ザ・グレイト」とこの日の「アダージョ」なのである。

 そしてそのシューベルトの「アダージョ」は、もうひとつ、もしマーラーがもっと長生きしていればおそらくシェーンベルクもかくやと思わせるような現代音楽の分野に進出していったであろうことを予感させる「アダージョ」と対比するプログラム構成だ。
 それにこのあとの、モーツァルトの完成された最後の交響曲「ジュピター」と併せたプログラミング、━━実に心憎いラトルの選曲である。

 その「交響曲第41番」は10型編成に戻ったが、ラトルは温かい音色で壮大に音楽をつくった。コンサート最後のプログラムとして全く遜色ない演奏である。フィナーレの後半は、今回の3曲の中で唯一反復された。演奏も、昨日までの2曲に比して、一層ストレートである。これらの点における3曲を比較して、ラトルの解釈に一貫性が欠けていると見るか、あるいは自由と見るか、それは彼の選択肢であるから、一概に云々することはできまい。
 しかしいずれにせよ、ラトルがこの3つの交響曲を、それら本来の性格に相応しくそれぞれに強調して描き分けようとしていたことは間違いない。ただ一つ気になるのは、緩徐楽章において、音楽が突然生気を失いがちであったことだ。

 それにしても、この3日間のプログラムが、すでに述べたような大きなコンセプトで括られ、しかもモーツァルトの明るい変ホ長調で開始され、壮大晴朗なハ長調の世界で結ばれるその流れの巧さには、改めて感嘆せずにはいられない。

 夕食は久しぶりに「ハッピー・チャイニーズ」で。

2005・3・27 (日)ザルツブルク・イースター(4)
イル・ジャルディーノ・アルモニコ

     モーツァルテウム大ホール  11時

 満員というほどではない。その所為でもなかろうが、演奏が不思議に低調で━━いや、以下は略そう。
 盛り上がらぬまま、馴染みの顔ぶれと明るい街に出て、トマセリで昼食。本日午前2時よりサマータイム切り替え、煩雑の極み。

2005・3・26(土)ザルツブルク・イースター(3)
サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル

    ザルツブルク祝祭大劇場  6時30分

 1曲目はモーツァルトの「交響曲第40番」。昨日と同様、弦の厚い響き(弦10型)が主体となり、アクセントは極めて強いものの、しかし全体としては予想外に柔らかい音色で、「39番」とは性格を対照させた演奏となった。ピリオド楽器スタイルの演奏だが、クラリネット入りの版を使用しているところが面白い。

 ブリテンの今日の作品は「ノクターン」。全曲切れ目無しの長大な作品を、ボストリッジが相変わらず微細なニュアンスの歌唱で聴かせてくれた。この曲のみコンマスは安永徹。オーケストラの最前列にはホルンのバボラク他、フルート、クラリネット、ハープ、ファゴットのソロが並ぶ。

 後半にはショスタコーヴィチの「交響曲第1番」が演奏され、ベルリン・フィルは、弦16型編成で強大な音響を轟かせた。ラトルのことだから、もう少しこの作品のアンファン・テリブル的な性格を押し出すのかと思っていたのだが、予想に反し、シンフォニックで分厚いトーンで、成熟したショスタコーヴィチというイメージを響かせる。これだけ鳴らされても、1階席で聴けばうるさい音にならぬ。

 昨年のイースターではモダン楽器的な演奏に戻ると汚い音になり、あたら本来の良さを捨ててしまったのかと疑われたほどのベルリン・フィルだったが、作年秋の日本公演で確認されたと同様、すでにその欠陥を克服して、あらゆるタイプの音楽に対応できる安定感を取り戻したように思われる。やはり巨艦は、向きを変えるのに時間がかかるのだろうか。この曲では、安永徹と清水直子が第1プルトの内側で弾いていた。

 曲目が曲目だけに、さすがの音楽祭も、この日は空席も少なからず見られた。斜め前に座っていたラテン系とおぼしき爺さんは退屈しきって椅子を手で叩き始めるという無神経さ。たしなめてやる。

 終演後にはお医者さんのご夫婦と日本料理屋「NAGANO」に入り、うどんと豆腐、ホウレンソウのおひたし、酢の物など。外国でこの種の日本料理を食べると、妙にほっとするものだ。外は比較的暖かいとはいえ、コートなしではさすがに冷える。

2005・3・26(土) ザルツブルク・イースター(2)
ラトル&ベルリン・フィル公開リハーサル

       ザルツブルク祝祭大劇場  11時30分

 昨年は当日夜の曲目の公開練習だったが、今年はブリテンの「青少年のための管弦楽入門」が取り上げられた。ブリテン・チクルスに合わせたものだろうが、サービス満点だ。
 終ってからはラトル独り舞台に残って、来年の「ペレアスとメリザンド」、再来年以降の「ニーベルングの指環」上演の予定などについて話す。「指環」をやる、と彼が言ったとたんに客席からは歓声と万雷の拍手が起こった。ついでに今夜と明夜の公演の内容についてもあれこれ解説する。この人懐っこさは、多くの聴衆をラトルのファンにしてしまう。

 昨夜のメンバーとイタメシ。

2005・3・25(金)ザルツブルク・イースター(1)
サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル

     ザルツブルク祝祭大劇場  6時30分

 パリ発LH4211が2時間も遅れ、フランクフルトからのザルツブルク行きLH6422には滑り込みといった感だったが、後者も遅れたのは幸い。市内も交通渋滞だったが、2時半には宿泊のAUSTROTELに到着。

 ラトルとベルリン・フィルの演奏会は、モーツァルトの「交響曲第39番」、ブリテンの「イリュミナシオン」、それにシューベルトの「交響曲《ザ・グレイト》」。今年はブリテンを軸にしたプログラムと謳っている。

 「39番」は弦10型(ただしコントラバスは5本)。ノン・ヴィブラート・スタイルによる演奏で、弦楽器群の響きが主体となり、旋律線が明確に浮き彫りにされている。

 一方ブリテンでは弦12型(これもコンバスは5本)で、非常にヴィヴィッドに、鋭角的に演奏された。これほど面白い、スリリングなブリテンは聴いたことがないほどだ。
 ソロはイアン・ボストリッジ。実にニュアンスの細かい歌い方をする。最弱音から最強音にいたる音量の幅、カウンターテナーなみの高音域の表情の濃さも見事。先日の歌曲リサイタルの時ほどには動かないが、それでも他の歌手よりはよほどよく体を動かす。ポケットへ手を突っ込んでパリのアパッシュよろしく与太って見せたり、客席を睨みつけたり、罵るように歌ったり、いやその多彩なこと。こんなに面白い曲だったか、ブリテンの歌曲は?

 モーツァルトの交響曲がメロディ・ライン浮き彫りだったのに対し、「ザ・グレイト」では、ありとあらゆる声部が巧みに交錯させられている。
 第1楽章での「彼岸的」なトロンボーンを極度の最弱音(楽譜ではpp)で吹かせ、 213小節以降のオーボエを時に際立たせるなど音色の調琢も細かく、オーケストラに多彩な変化を与える。
 第2楽章でのホルンの遠いエコーは、「聴く者が耳を澄ます」というシューマンの言葉を思い起こさせるよう。第 250小節のゲネラルパウゼは驚異的な長さだったが、音楽そのものはまったく沈黙していない。

 とにかくこのラトルの指揮する音楽は、まるで優れたオペラの新鮮な演出を観るように、一時たりとも目を、耳を離すことはできない。原作を暗譜している耳にはそれは新鮮に受け取られるし、初めて聴く耳には、こんなに面白い曲だったかという思いを与えるのである。
 今日最も拍手が大きかったのは、ボストリッジが歌ったブリテンの作品のあとだった。

 終演後は、JTBツアーや単独で来ている馴染みの人たち(お医者さんが多い)と深夜まで楽しい会食。

2005・3・24 (木) パリ プロコフィエフ「戦争と平和」

       パリ・バスティーユ・オペラ  7時

 ベルリンのホテルを9時半にチェックアウト、LH4912便でパリに入る。ド・ゴール空港では、雨が降っているにもかかわらず傘も無しで機からゲートまで30メートルも歩かされるという酷さだ。タクシーでバスティーユ広場へ向かうが大渋滞(ここはいつもこうだ)。
 とにかくオペラ座に近いル・パヴィヨン・バスティーユに投宿。古めかしいが雰囲気はいい。女主人が親切に雨戸の開け閉め、洗面器の使い方まで、あれこれ教えてくれる。テレビで日本の「アトム」をやっているのを何となく見ているうちに夕方になってしまった。

 今回は、この数年来好きになっているオペラ「戦争と平和」である。フランチェスカ・ザンベロ演出によるこのプロダクションは、先日ベルティーニの指揮でプレミエされ、BSで放送されたものと同じものだが、さすがにナマのステージで観ると、実に壮大な雰囲気である。
 ただ、このオペラハウスは非常に容積が大きくて広いので、1階22列の席と雖も、舞台は遥か彼方に見え、声も遠く感じられる。

 特に変わったことはやっていない演出だが、ただ、ラストシーンでピエールとナターシャが再会を喜び走り寄って抱き合うのは、いくら将来を暗示する行動とは言っても、それまでのストーリーから見て、この段階では少し唐突であり、無茶ではないか。

 歌手にはウラジーミル・オグノヴェンコ(クトゥーゾフ)、ワシーリー・ゲレロ(ナポレオン)、エレーナ・ザレンバ(エレン)らマリインスキー勢も何人か加わっている。アンドレイはダヴィッド・ビジッチ、ナターシャはオリガ・グリヤコワ、ピエールはミヒャエル・ケーニヒ。
 指揮はウラディーミル・ユロフスキだが、これはどちらかといえば平凡な指揮で、この大作をまとめるには未だしの感。ゲルギエフの持って行き方の巧さを改めて想う。エピグラムの合唱など、ユロフスキの指揮では、ただの雑然たる声部の寄せ集めになってしまうのだ。

 フランス軍の侵入と惨敗、ロシアの勝利とを描いたロシアのオペラを、パリで、フランス人とロシア人が一緒に上演し、フランスの聴衆がブラボーを叫ぶ。面白い。時代の流れか。以前にも、第2次大戦のドイツ軍の侵入に関係した作品たるショスタコーヴィチの「第7交響曲《レニングラード》」を、サンクトペテルブルクの聴衆の前で、ロシアとドイツのオーケストラが、ロシアの指揮者(ゲルギエフ)が指揮したのを聴いたことがあるが、こういうのが「成熟したヨーロッパ」ならではのものなのだろう。
 翻って例えば日本と中国、日本と韓国との間にこんな情景が生まれるのは何百年先のことか。

 美しい夜景のバスティーユ広場を去り難く、少し歩き回る。バゲット・サンドウィッチを買ってホテルに戻る。

2005・3・23(水)ベルリン(終)フェストターゲ「カルメン」

      ベルリン州立歌劇場  7時30分

 ベルリン・フェストターゲの一環、ビゼーの「カルメン」が上演されたが、もちろん、そんじょそこらにある「カルメン」とはケタが違う。
 まず総帥ダニエル・バレンボイムの指揮がただならず、凄まじいほどのリキが入っており、前奏曲後半をはじめ各所でドラマティックな音楽を披露した。
 そして、演出はマルティン・クシェイだ。いかにも彼らしく、いろいろ捻ってあるが、展開は基本的にはすこぶるロジックである。

 前奏曲のさなかにホセが処刑され、喪服のミカエラが彼を弔問するという幕開き。彼女が去ると、ストーリーはほぼ原作に戻る。
 ホセはミカエラをも母をも煩わしいと思う男であり、スニガはほとんどサディステックに部下をいびるという屈折した性格。第3幕でカルメンから取り上げたナイフでホセはスニガを刺殺し、自己嫌悪に陥る。

 ミカエラは山中に、なんと案内人と一緒にではなく、エスカミッロと連れ立ってやって来る(案内人のセリフはエスカミッロが語るように変更されている)。ミカエラが発見された瞬間、ホセは闇を盲撃ちにしてダンカイロに制止されるが、実はこの弾丸が彼女に命中したらしいのである。

 ミカエラに同情して手を差し伸べたカルメンがそれに気づき、驚愕してホセに非難の目を向ける。原作にはもちろん無い展開だが、考えようによっては、実に理詰めなドラマ構築である。エスカミッロとの決闘で逆上しているホセの行動としては当たっているだろう。
 最後にミカエラは倒れ、ホセはその傍らで慟哭する。そうなると、第1幕での喪服のミカエラは、あるいはホセの死にぎわの幻覚だったか。とすれば、ホセはやはりミカエラを愛していたのだ。

 大詰では、重傷を負ったか死んだかしたエスカミッロが運びこまれ、それに気をとられたカルメンの一瞬の隙をついて、ホセが「例のナイフ」で彼女を刺す。予想通り幕切れではホセが処刑されるが、前奏曲の最後の和音に合わせてとどろいた射撃音は、今回はない。これも筋が通っている。

 カルメンはマリーナ・ドマシェンコ、ホセは最近売り出し中というロランド・ヴィラゾン(Rolland Villason)という人。この2人とも素晴らしい。

 また知人と「ブランデンブルク」で夜食。

2005・3・22(火)ベルリン(5)「マタイ受難曲」舞台上演

     ベルリン・ドイツオペラ  7時30分

 バッハの「マタイ受難曲」を、短縮されたメンデルスゾーン版で演奏、演劇を付加して舞台上演するという珍しいプロダクションだ。晩年のゲッツ・フリードリヒ他による演出だという。

 客席中央に大きな花道が設えられている(私の席はちょうどその花道の傍だった)。合唱は舞台の上手と下手に作られた大きな何層かの櫓に乗る。登場人物は現代の服装だが、ピラトのみは古代の法服のようなものを着ている。
 イエスはリーダーらしく毅然超然たる立ち振る舞い━━ではなく、案に相違してかなり俗人的な挙動だ。己が運命を熟知して動じない布教者のそれではなく、弟子たちに逃げられて失望落胆し、十字架を見ては尻込みする男だ。したがって、ヤソのおしつけがましい教祖というより、むしろクビにされたどこかの会社の社長みたいに見える。

 このイエス様(ギールト・スミス)は、パンツ1枚にされてさんざんいたぶられたりしてご苦労なことだが、しかし復活の際にスタスタ出てきて座り込んで辺りを睥睨したり、ウスラ笑いを浮かべて人々を見つめたり、「憐れみ給え」を歌ったアルトにうなずき返したりするというのは、何とも俗っぽくていただけない。その少し前までは何とか残されていた、ある種の高貴さ、荘重さといった雰囲気もこれで雲散霧消。すこぶる世俗的な雰囲気の中にドラマは閉じられた。

 指揮はエルヴィン・オルトナー。比較的あっさりした演奏。このメンデルスゾーン版は、クラリネットも加えられたロマン的な音色をも感じさせるが、バッハの音楽の個性はいささかも害なわれていない。エヴァンゲリストのクレメンス・ビーバー、ユダ役のラインハルト・ハーゲンが好演していた。

 終演後はまた真峰紀一郎氏に誘われ、「よしおか」という有名な日本料理屋で、ちらし寿司とサバの刺身と揚げ出し豆腐。久しぶりの日本食の何という美味か。
 そういえば、昼間ポツダム広場と旧東側の街を少しぶらぶらしたのだが、マリエン教会の外観が綺麗になったこと、ラディソンSASは改築して再開されたような様子、旧共和国宮殿が取り壊し中で醜悪な姿を曝していること━━などが印象的だった。

2005・3・21(月)ベルリン(4)「セビリャの理髪師」

     ベルリン・コーミッシェ・オーパー  7時

 ロッシーニの「セビリャの理髪師」をベルリンで観るという予定は当初はなかったのだが、知人に誘われ、観に行く。この劇場はちょっと古式豊かな雰囲気もある落ち着いたオペラハウスだ。シュターツオーパーよりもロビーが広く、明るい。ましてやドイッチェ・オーパーに比べれば気品も充分。

 指揮者(Eivind Gullberg Jensen)は平凡で、序曲など生気の無い演奏だ。歌手にも取り立てて華やかな感じの人はいないし、まあ手堅く纏められたアンサンブル・オペラというものだろう。ただしドイツ語に合わせてオリジナルのリズムやメロディに手を加えているのには少し抵抗を覚える。だが、芝居がやたら巧いので楽しめる。

 第1幕で映写されたエピソード風の写真から推測すると、1960年代をモデルにしているようである。全篇にわたり趣向を凝らしているので、ニヤリとさせられる場面も多い。「陰口は微風のように」ではスキャンダル報道の写真が映写され(伯爵の顔が途中でバルトロの顔にすり変わったりする)たり、音楽教師に化けた伯爵は何とプレスリーそっくり、というギャグである。

 大詰の伯爵の長いアリアはノーカットで歌われたが、これは詰め掛けた報道陣(TVカメラ、レポーター、ラジオ・インタビュー、新聞記者)への結婚発表コメントの形をとるというアイディアだ。もっともこのテノール(マリオ・ゼフィッリ)には、このアリアは少々ヘビーだろう。

 終演は10時。ウェスティン・ホテルのバーでソーセージとザウアークラフト。遅い食事はせいぜいこの辺でとどめておいた方がいい。

2005・3・20(日) ベルリン(3)「神々の黄昏」

      ベルリン・ドイツオペラ  5時

 再びベルリン・ドイツオペラの「指環」。
 18年前の記憶が部分的に蘇る。そうだった、という箇所と、そうだったっけ、という箇所と。しかしいずれにせよ、どこまで続いているかも定かでない、物凄い奥行を持つ巨大なトンネルの迫力は、東京公演の比ではない。それだけでもこれは、とてつもなくスケールの大きな舞台に思える。

 もっとも、本場の上演にしては、いささか手際が悪いところがたくさんある。終幕でラインの乙女たちが白い大きな布をかかげて舞台の奥から走ってくる場面など、もしかしたら東京での公演の方がスムースではなかったか? 4列目中央の席だと、見えなくてもいいアラが目について困る。

 オケは確かに粗い。全曲冒頭での木管のピッチが合っていないので、音は濁ったものになったし、ホルンとトランペットは重要な箇所でしばしば音を外した。たまりかねた聴衆から第3幕開始前に準・メルクルが登場すると激しいブーイングが浴びせられた(これに対抗して彼を弁護する声と拍手も盛んに起こり、一時は騒然となった)。
 もっとも、これはむしろオケへの非難だったのではないか。演奏が始まり、またもやワーグナー・チューバが音を外すと、客席からこれ見よがしの笑声や野次、ブーイングが立て続けに浴びせられたのである。

 ただしこれでリキが入ったか、後半はなかなか立派な演奏になった。
 カーテンコールではもはやメルクルにもブーイングは無かったが、彼は1度姿を現わしただけで、その後は一度も出てこなかった。あとでオーケストラの真峰紀一郎氏と会食した時、彼はオケの現状を盛んに慨嘆していたが、弦は結構いい音を出していたのだから、彼も口惜しかったのだろう。

 クリスティアン・フランツ(ジークフリート)、リンダ・ワトソン(ブリュンヒルデ)、藤村実穂子(ワルトラウテ)は、場面によって出来が異なったが、これはトンネルの空間の位置とも関係があるのではないか。クルト・リドル(ハーゲン)は雷鳴のような声を聴かせた。レナス・カールソン(グンター)はあまり声の無い人らしい。

 グートルーネのイヴォンヌ・ヴィートシュトラックという人は、ギスギスした感じながらそう悪い出来ではなかったと思うが、若干のブーイングが飛ぶと、そちらを挑むように睨みつけるという気の強いところを見せた。ドイツの歌劇場は、演奏者と観客のこのような丁々発止が日常茶飯事で、そこが面白い。
 この日もドイツ語の字幕あり。

2005・3・19(土)ベルリン(2)フェストターゲ「パルジファル」

      ベルリン州立歌劇場  4時

 2階中央3列目の席からは、視覚的には見易い場所だが、オーケストラはかなり生々しい響きに聞こえる。バレンボイムの指揮が以前よりもアクセントが強く、シャープな印象になるのはそのためだろうか。
 パルジファルが白鳥を射た後で得々と答える場面でのホルンの強奏といい、クリングゾルとクンドリーとの皮肉たっぷりな応酬の箇所でのクラリネットのヒステリックな絶叫といい、まるで表現主義音楽のようにさえ思える。

 全体にゴツゴツした音楽づくりで、ワーグナーの音の厚みをわざと削り落したようにも聞こえるのだが、これは1階で聴いたら印象が変わっていたかも知れぬ。しかし、弦楽器群のエスプレッシーヴォはそれにふさわしく打ち出されていることが感じられたのだから、あながち席の関係でもなさそうだ。

 第3幕前半は極度にテンポが引き伸ばされているが、こういう遅いテンポは演奏家の自己満足にしか思えない。その所為で、終曲はさほど盛り上がらない。

 ベルント・アイヒンガーの演出は、巨大な円柱状の樹のみが立つ冒頭の森の場面は短調で退屈なものだったが、「時間と空間の移動」の場からは突如として動きを活発にし、前奏曲後半から出現していた宇宙の映像が激しい変化を伴って多用される。
 めまぐるしく回転反転する2枚のスクリーンには、ピラミッドや中国の宮廷のようなシーンが幻想的にコラージュして映しだされ、やがて聖杯広間の場面に変わると、そこはインドか東南アジアの神殿のような光景だ。後方に鎮座するティトゥレルはあたかもヴェトナムあたりの僧の如くだ。時間と空間を超越するという原作のアイディアを、グローバルな世界観にまで押し広げたこの舞台は秀逸だ。

 アムフォルタス(ハンノ・ミュラー=バッハマン)の苦悩は実によく描かれている。開帳場面で自らの傷から取り出した血塗れの肉塊(つまりパンか? グロテスクの極みだ)を見てパルジファル(ブルクハルト・フリッツ)はたじろぐ。
 第1幕最後にティトゥレルと共に残ったアムフォルタスが、グルネマンツに勧められて王に近付いてきたパルジファルにすがりつくくだりは、ミーリッツのそれにも共通するアイディアだが、お互いそっくり真似るのではなく、どこか趣向を違えているところがさすがである。

 第2幕は、むしろ平凡な舞台だろう。

 第3幕前半は、遠景に摩天楼が見える雪のセントラル・パークといった光景で、家族連れが散歩する姿も見える。その中にパルジファルが彷徨い込むというアイディアは秀逸で、「どことも知れぬ場所を彷徨ったパルジファル」に相応しいだろう。公園と、グルネマンツやクンドリーがいる世界とは金網で隔てられており、パルジファルはクンドリーに招き入れられてこちらに移ってくる。歌詞に即してこれは当を得た舞台だ。

 場面転換は予想通り破壊、廃墟に続くイメージで、映像にはビルの破壊や崩落、津波など、文明の破滅が次々に現われる。最後には火炎を背景にした摩天楼。第1幕では西欧風に武装していた騎士団は、今や精神的にも荒廃しきったテロ集団と化しており、アムフォルタスをも殺しかねない勢いだ。これも、原作のイメージを一歩推し進めたものである。ただしこれらをパルジファルが救済する辺りになると妙に平凡平板な舞台になる。この演出はここだけが欠点だ。画竜点晴を欠く。

 歌手ではグルネマンツのルネ・パーペが度外れた存在感。今やハンス・ホッターの後継者として地位を築いた感があり、これから更に年輪を加えて偉大な歌手になるだろう。その他はあまり知らない歌手ばかりだが、なかなか手堅く、バランスの良い出来を示していた。たしかにこの演出ならば、スター歌手はそれほどいなくても成り立つだろう。

 終演後は知人とヒルトン・ホテルのレストラン「ブランデンブルク」で夕食。こんな遅い時間にヴィーナー・シュニッツェルをモリモリ食べるなど体に悪いことは承知の上だが、面白い上演を観た後には空腹になるのだから仕方がない。

2005・3・18(金)ベルリン(1)「ジークフリート」

        ベルリン・ドイツオペラ  5時

 前日、フランクフルト経由でベルリンに入る。
 今回の宿泊はHotel Lindnerで、クーダムの大通りに面した新しいホテルだが、入り口までやや距離があるのが大きな荷物持ちには不便だ。

 まずはベルリン・ドイツオペラの看板出し物、20年前から上演されている故ゲッツ・フリードリヒのプロダクションによる「ジークフリート」だ。今日の流行のパターンからすればあっさりしているのは事実だが、それでも充分鑑賞に堪え、強い印象を残す。やたら新しさを求めて演出を取り替えるより、このような良いプロダクションを大事に育てて行くという姿勢も評価に値するだろう。

 1987年の東京公演で観た時にはトンネルが左右に分岐されていたが、周知のごとく、オリジナルは中央にトンネルが1本だ。その奥行の巨大さはさすがに圧倒的である。ただ今回の席が1階4列目23で、あいにくここからは舞台前面の「ワルキューレの岩山」に遮られ、トンネルの奥はどうなっているのかが見えない。

 観ているうちに18年前の記憶が蘇ってくるが、今回のエルダ(藤村実穂子、すばらしい)の扮装はあんなにエキゾティックなものだったか? 非欧州的で、マリインスキー・リングの先輩格かしらん。
 ソリストは他にリンダ・ワトソン(ブリュンヒルデ)、ロバート・ヘイル(ヴォータン、第3幕では声がビンビン来る)、ギュンター・フォン・カンネン(アルベリヒ)、クルト・リドル(ファフナー)、ブクハルト・ウルリヒ(ミーメ、長身だが歌唱・演技とも傑出)など充実。

 指揮は準・メルクルなのだが、しまりは今一つ。オーケストラはやや粗い。ピットに近いこの席からは、第3幕冒頭で上手のトランペットと下手のホルンとが完全にずれてしまっているのがはっきりと聞こえてしまう。
 ケンピンスキーのレストランで知人と夕食。

2005・3・15(火)アルミンクと新日本フィルの「レオノーレ」GP

      すみだトリフォニーホール  3時

 昨日クリスティアン・アルミンクの音楽監督任期延長の記者会見とともにリハーサルも部分的に公開されたが、今日もそのリハーサルの一部を見せて貰う。
 オケはステージの上に乗り、後方3方を櫓のように囲んで、主役たちや合唱団はある程度の演技をしつつ動く。演出は三浦安浩。序曲(今回は「レオノーレ」3番)のさなかに、レオノーレがフィデリオとなるまでの経緯が簡単に描かれている。

 マヌュエラ・ウール(レオノーレ)、ハルトムート・ヴェルカー(ピツァロ、なかなか迫力がある)、ヨルグ・シモン(ロッコ、重量感あり)。三宅理恵(マルツェリーネ)は声だけはきれいだが、音程が如何にも甘く素人っぽい。オケは中程度の編成。

 何度も聴いて感じることだが、この「レオノーレ」は、改作された「フィデリオ」に比較すると数倍も面白い。もちろん音楽にはまだ雑多な箇所もあるが、あまりに切り込まれ整理されすぎた「フィデリオ」には無い劇場的なエキサイティングな音楽が随所にある。

2005・3・13(日)東京のオペラの森 R・シュトラウス「エレクトラ」

      東京文化会館大ホール  3時

 東京文化会館大ホールの使用方法やオーケストラの選定などの問題であれこれ物議を醸したイヴェントだったが、この「エレクトラ」、出来栄えとしては悪くない。
 なお、小澤征爾は日本語では「音楽監督」になっているのに、英語表記ではArtistic Director(芸術監督)となっている。肩書の訳語には、もう少し注意を払ってもらいたい。

 ロバート・カーセン演出、マイケル・レヴィーン装置デザインは、以前の松本の「イェヌーファ」と全く同じように、舞台一杯に土のようなものを敷き詰めている。他に大道具はなく、ただ中央に穴状のせりをしつらえているのみ。

 黒いノースリーブの(ちゃんとした服装である)エレクトラには30人ほどの黙役の「コロス」的役割の女性たちが付き、エレクトラの苦悩や陶酔を表現する他、オレストを検知する犬の役割までやる。ダンスも受け持つが、本来この作品はギリシャ劇がそのルーツだから、この「舞踊」も本来の意義に適っているだろう。
 エギストとクリテムネストラのみ白服、アガメムノンの子供達はすべて黒服。非常にシンプルな舞台だったが、コンセプトとしてはバランスのいいものだろう。

 デボラ・ポラスキ(エレクトラ)、アグネス・バルツァ(クリテムネストラ)、クリスティーン・ゴーキー(クリソテミス)、クリス・メリット(エギスト)、フランツ・グルントヘーバー(オレスト)の主役陣は超一流の立派なもので、それにふさわしい歌唱を繰り広げてくれた。日本人では山下浩司(後見人)はよく声が出ていたが、従者2人(成田眞、岡本泰寛)は細い。

 小澤征爾の指揮のコンセプトは決して悪いものではなく、モーツァルトやワーグナーなどに比較すれば充分理解できるもので、やはり彼は近代・現代作品の方に向いている。
 ただ如何せん、オーケストラが粗くて汚い。このオケはサイトウ・キネン・オケから中核の一流奏者を除外したような編成で、馬力はあるものの、かなりレベルは低い。

2005・3・11(金)チョン・ミョンフン指揮東京フィル

      サントリーホール  7時

 チョン・ミョンフンの指揮によるマーラーの交響曲の連続演奏が、飛び飛びではあるが進んでいる。
 これまでは弦楽器群を20型にするなど超大編成を採ることが多かったこのシリーズだが、今回の「交響曲第4番」では作品の性格を考慮してか、16型(ただし第2ヴァイオリンも同数)が採られていた。スコアの綿密な指定を忠実に再現することや、響きのまとまりという点では、やはりこのくらいの規模の編成がちょうどいいのではないかと思われる。

 指揮者は、じっくりと緻密に音楽を構成した。ベートーヴェンよりは納得が行く演奏である。オケとの呼吸もこの程度に合えば満足されるべき状態だが、木管群の一部に不安定なものが多かったのが気になる。

 前半ではシューマンの「ピアノ協奏曲」が、ラルス・フォークトをソリストに迎えて演奏された。彼のソロは、基本的にはモダンで透明で清澄なスタイルの演奏だが、きわめて表情の起伏と対比が大きい。
 たとえば第1楽章でのエスプレッシーヴォと指定された個所では、あたかもカデンツァ風に、モノローグ風に自由に弾かれるかと思えば、本来のアレグロのテンポに復帰した箇所ではオーケストラと歩調を合わせた快活でダイナミックな表情に戻る。この多彩さは、シューマン自身が言った「交響的幻想曲」にふさわしい。

2005・3・10(木)京都市交響楽団東京公演

     サントリーホール  7時

 大友直人が指揮するブラームス・プログラム。前半では小山実稚恵が「ピアノ協奏曲第2番」を弾いたが、かなりバリバリと荒々しい演奏になっていた。これはここ数年の彼女の演奏の傾向だが━━。
 後半は「第2交響曲」。弦楽器の音色が硬い。あまり心に響かぬ演奏だ。

2005・3・7(月)エリアフ・インバル指揮ベルリン交響楽団

      サントリーホール  7時30分

 マーラーの「交響曲第9番」1曲のみのプログラム。

 この顔合わせでは、さすがにこの1曲では集客が苦しいと見え、6割くらいの入りだ。しかし来ていたお客は、すべて熱心であった。全曲終了後にもフライングをするような不心得者は一人もいなかった。

 演奏は、どちらかといえば自由な趣のあるもの。アンサンブルもそれほど緻密ではないが、いかにもドイツの良き時代の面影を残すオーケストラらしく、味わい深い音楽を創ってくれる。近年楽員の世代交代が大幅に行なわれたとプログラムにはあるが、そこが伝統の強みというのか、あのコンツェルトハウスのアコースティックをそのまま感じさせるオーケストラである。もちろんそこには、インバルのコンセプトが大きく影響しているのだろう。
 音色は、これもどちらかというと濃厚なものだ。適度に重く、適度に粘液質なマーラーである。

2005・3・6(日)札幌交響楽団東京公演

     すみだトリフォニーホール  3時

 毎年春に独自の東京公演を行なっている札幌交響楽団が、今年は「地方都市オーケストラ・フェスティバル」に参加した。
 1998年に尾高忠明がミュージック・アドヴァイザー兼常任指揮者(昨年より音楽監督)に就任して以降、目覚ましく演奏水準を上げてきたこのオーケストラは、先頃の団の経済的苦況を乗り越え、今や北国の雄として、わが国屈指のオーケストラの一つに成長している。

 この日のプログラムは、尾高と札響が得意としているシベリウスの作品。
 菅野まゆみをリーダーとする弦楽セクションは、そのしっとりとした響きで、このオーケストラの看板ともいうべき存在である。「交響曲第1番」の第2楽章や「ヴァイオリン協奏曲」の第2楽章、交響詩「大洋の女神」などではその個性が余すところなく発揮され、叙情的な陰影を味わわせてくれた。
 
 もっともこの日の演奏は、札響としてはめずらしく豪快な趣で、特に交響曲では怒号するティンパニをはじめ、野性的といってもいいほど荒々しい力にあふれていた。東京や札幌で年に3~4回はこのオーケストラを聴いているが、こういうタイプの演奏に接したのは初めてである。このホールが大音響の坩堝と化す瞬間が何度かあった。
 それはそれで悪いものではない。シベリウスの若き日の作品における、気迫と情熱をほとばしらせた側面が浮き彫りにされたという聴き方もできよう。

 だが交響曲の第4楽章も終結近くに至り、オーケストラは響きの上で見事な調和を取り戻し、それはアンコールでの熱気に富んだ「フィンランディア」にも引き継がれた。これがいつもの札響の音である。

 なお協奏曲でのソロは、チェコの女性奏者ガブリエラ・デメテロヴァー。傍若無人の粗い演奏で、この透明な音色を誇る作品の演奏としては、いささか興を削いだ。

2005・3・4(金)大阪シンフォニカー交響楽団東京公演

       すみだトリフォニーホール  7時

 「地方都市オーケストラ・フェスティバル特別参加」の大阪シンフォニカー響。これが通算9回目の東京公演の由。
 正指揮者の寺岡清高がベートーヴェンの序曲「献堂式」とシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」、仲道郁代をソリストに迎えてのベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」を指揮した。

 大変勢いのいい演奏で、それはテンポが速いという意味でなく、若さの気迫が満身にあふれ返り、仁王のような力感が漲っているという趣なのである。独墺系作品ということもあってか、今回は重厚な音色が主体となっていた。弦は12型くらいだったか? 

 音量に不足はないが、さすがに「献堂式」で金管が咆哮すると弦は打ち消される。もっともその時には木管も聞こえなくなる。力がこもるのは構わないが、このような強奏部分においても各声部はもう少し明確でありたい。その他の2曲ではバランスは比較的よくとれていた。

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