2024-05




2023・8・31(木)上岡敏之指揮読響 ブルックナー8番

       サントリーホール  7時

 読響の「名曲シリーズ」。当初の予定ではローター・ツァグロゼクが久しぶりに客演し、ブルックナーの「第8交響曲」を振ることになっていたのだが、急病のため来日中止となった。

 実力派としての彼の指揮が好きな私としては大いに落胆した次第だが、代役が上岡敏之と知らされて、それなら役に不足はないと安堵。多くのお客さんたちにとっても、おなじみの上岡の登場なら、不満はなかったろうと思う。
 彼は今年3月にも新日本フィルでこの曲を指揮しており(☞2023年3月25日)、彼の指揮する「ブル8」を異なるオーケストラで聴き比べるという面白さも生まれたわけだ。

 で、こちら読響のほうだが、予想に反してあまり重心の低くない響きの、弦も管も鋭角的な音色をもった、ピリピリした「ブル8」だったと言えようか。
 緊張感に富んだ長い総休止の多用は新日本フィルとの演奏におけるものと同じだが、細部にわたり神経を行き届かせたいつもの上岡らしい彫琢の指揮は、残念ながら今回は聴けなかったようである。リハーサル時間の問題か、それとも‥‥? 

 最近では先日のニールセンの「5番」(☞2023年5月31日)でも証明されたように、読響は上岡にとって最も相性のいいオーケストラであるはずなのだが‥‥。
 だがしかし、全曲最後の大頂点での、各楽章の主題が合体して鳴り響く個所で上岡と読響がつくり出した壮大な均衡の法悦感は、このコンビが今日初めて聴かせた見事な瞬間だったことはたしかである。

 コンサートマスターは長原幸太。全曲の演奏時間はほぼ85分。
 カーテンコールでは、上岡敏之はソロで呼び出され、熱烈な拍手を浴びていた。

2023・8・30(水)第38回日本管打楽器コンクール
4部門優勝者の演奏と特別大賞の審査・表彰式 

     かつしかシンフォニーヒルズ 大ホール  5時

 日本音楽教育文化振興会主催の「日本管打楽器コンクール」━━1984年に第1回が開催されたこのコンクールも今年で第38回になる。

 今年はフルート、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアムの4部門で、8月7日~25日に第1次、第2次、本選が行われた。今日はその各部門優勝者の演奏会と、入賞者表彰及び副賞(文部科学大臣賞及び東京都知事賞)の授与式、更にその優勝者4人の演奏の結果から特別大賞(内閣総理大臣賞)の審査と授与式が行なわれた。
 私も2019年の第36回に続いて、その審査委員を務める。

 本日の審査委員は、高久進、山岸博、古賀愼治、外囿祥一郎(以上各部門審査委員長)、池辺普一郎、白井圭、古部賢一、山下一史、それに私(以上特別審査委員)の9名。なお、コンクール運営委員長は尾高忠明、振興会理事長は尾上将巳。

 それぞれ百数十名におよぶ参加者の中を勝ち抜いた優勝者の演奏では、フルート部門第1位の山本英(東京藝大大学院在学)がイベールの「フルート協奏曲」を、ホルン部門第1位の吉田智就(東京音大大学院科目等履修生)がモーツァルトの「ホルン協奏曲第4番」を、トロンボーン部門第1位の久保田和弥(東京藝大卒)がジョン・ウィリアムズの「テューバ協奏曲」を、ユーフォニアム部門第1位の山崎由貴(東京藝大音楽学部別科卒)がジャン・バックの「Concerto Variations」を、いずれもピアノによるサポートで披露した。
 そしてわれわれの審査委員会では、今日の演奏の結果、ユーフォニアム部門の山崎由貴に特別大賞(内閣総理大臣賞)を贈ることに決定した。

 若い音楽家たちのひたむきな演奏、それに賞状を受けた時の笑顔の美しさが素晴らしい。彼ら、彼女らの未来に祝福を贈りたい。

2023・8・27(日)セイジ・オザワ松本フェスティバル
サイトウ・キネン・オーケストラ Aプログラム

     キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館) 3時

 ステファヌ・ドゥネーヴ(セントルイス響音楽監督)の指揮で、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」からの「シンフォニック・ダンス」、ジョン・ウィリアムズの「テューバ協奏曲」、プーランクの「スターバト・マーテル」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲が演奏された。
 テューバのソロは杉山康人、「スターバト・マーテル」でのソプラノはイザベル・レナード、同曲と「ダフニス」での合唱はOMF合唱団と東京オペラ・シンガーズ。

 今年の、現在開催中の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」では、サイトウ・キネン・オーケストラのコンサートが計3回(指揮はステファヌ・ドゥネーヴ、最後の1日は後半にジョン・ウィリアムズが登場)、小澤征爾音楽塾のプロダクションによるプッチーニの「ラ・ボエーム」からの第1幕と第2幕の上演が3回(うち2回は「子どものためのオペラ」としての公演)、室内楽の「ふれあいコンサート」が3回、「子どものための音楽会」が2回、その他━━といったラインナップが組まれている。

 これは、沖澤のどか指揮とロラン・ペリー演出による「フィガロの結婚」およびシャルル・デュトワ、アンドリス・ネルソンスの指揮するオーケストラコンサート、という、久しぶりの大ヒットを飛ばした昨年の「30周年記念」の内容と比較すると、だいぶ小ぶりの感を免れないが、今日の情勢下では仕方のないところかもしれない。
 しかし客席はいつも通り満杯に近く、聴衆の拍手もまた例年通りにあたたかく、熱烈であった。信越地方ではおそらく年に一度のクラシックの大フェスティバル━━お客さんも充分喜んでいるのだろう。その点ひとつ取っても、この音楽祭の意義は計り知れないものがある。

 さて、サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)も、その楽員の顔ぶれは当然のことながら次第に入れ替わっているようである。今日のステージではざっと見たところ、えらく男性奏者が多くなっているような印象だが、錯覚かもしれない。

 演奏のパワーはいつもながらのものだったが、ドゥネーヴの指揮の所為か、それとも彼との相性の所為か、全体に少々荒っぽく、洗練さにも不足していた感は免れまい。「ウェストサイド・ストーリー」は、サウンドこそ豪勢で、シンフォニックな重厚さはあったものの、ダンスとしての軽快な躍動感はあまり感じられず、どこかに「無理をして」演奏しているような雰囲気があったのではないか。

 ただし次の「テューバ協奏曲」では、クリーヴランド管弦楽団首席奏者の杉山康人が素晴らしいソロを聴かせ、オーケストラともども、この日の白眉と言える演奏となった。

 後半2曲は、ドゥネーヴにとっての母国の作品だから、もしや洒落たいい味をSKOから引き出してくれるかと期待していたのだが、これも些か力づくの演奏という感があって、昨年のデュトワのようには行かなかったのが残念だ。もっとも、あんなに力感たっぷりの大振りをしていては、オーケストラがダイナミックになるのも当然なのでは? 

 その中にあって、「スターバト・マーテル」でのイザベル・レナードの気品ある力強い声と、「ダフニス」でのジャック・ズーンの表情豊かなフルートとが快い印象を残してくれた。

 終演は5時20分頃。8時10分の「あずさ60」で帰京。

2023・8・25(金)湯浅譲二 作曲家のポートレート

     サントリーホール  7時

 「サントリーホール サマーフェスティバル」の真っ只中に同ホールで開催された演奏会だが、これはフェスティバルとは別の企画だ。

 とはいえ、「ヴァレーズの圧倒的な音響エネルギーと、クセナキスの数理的な作曲法に宿る生命力から深く感化された湯浅」(プログラム冊子、白石美雪さんの解説)ということから考えると、エドガー・ヴァレーズを軸にしての、かたやオリガ・ノイヴィルトの、こなた湯浅譲二の音楽、という点で、些か企画にも関連性が成立しそうな趣きがある。とすれば、すべてがうまく出来ている、ということになろう。

 今日は杉山洋一が指揮する東京都交響楽団が出演して、プログラムはまずそのエドガー・ヴァレーズの「アンテグラル」で始まり、次にヤニス・クセナキスの「ジョンシェ(藺草〈イグサ〉が茂る土地)」が続いた。
 前者は管楽器と打楽器とによる編成、後者は大管弦楽のフル編成ながら、ともに轟々たる圧倒的な音響によるこの2作品が、第2部の湯浅譲二の作品への導入となる。

 もっとも、演奏された湯浅の作品3曲のうち、前者の2作に呼応する作風は、2番目の「オーケストラの時の時」のみである。
 だが、この曲の壮大な空間的拡がり、奥深い神秘性、ある巨大なものが起伏を繰り返しながら飛翔して行くような力感の凄さは、まさに圧倒的なものだ。これこそは湯浅の代表作のひとつだろうと思われる。その強力なエネルギー感の裡にも、一種の端整で透明清澄な感覚が漲っていて、それがヴァレーズやクセナキスと一線を画す、日本人作曲家ならではの特質ではなかろうか。

 第2部の1曲目に演奏された「哀歌 オーケストラのための」(編曲世界初演)は美しい叙情性に富む魅力的な曲。
 また、3曲目の「オーケストラの軌跡」は、以前(☞2017年10月30日)未完の形で最初の2分ほどの部分だけ演奏されたのを聴いたことがある。今回は「全曲世界初演」と銘打たれていたが、それでも全部で6分ほどの長さだった。

 今年94歳という湯浅譲二氏は、しかし驚異的な元気さで、自らステッキを突きつつ、だれかに身体を支えられることもなしに、しっかりと自分の足でステージを歩き、3回ものカーテンコールに応えていた。客席はほとんど総立ちで、この大作曲家を讃えていた。

2023・8・24(木)サントリーホール サマーフェスティバル
~オルガ・ノイヴィルト オーケストラ・ポートレート~

       サントリーホール  7時

 サントリーホール恒例の夏の現代音楽祭「サントリーホール サマーフェスティバル。
 今年の「国際作曲委嘱シリーズNo.45(監修・細川俊夫)のテーマ作曲家は、オルガ・ノイヴィルトだ。彼女は1968年、オーストリアはグラーツ生れの作曲家である。

 その一環としての、今日の「オーケストラ・ポートレート~委嘱新作初演演奏会」では、彼女の作品の「オルランド・ワールド」(2023年、委嘱作品世界初演)と「旅/針のない時計」(2013/15、日本初演)とを核にして、最初にスウェーデンの若手作曲家ヤコブ・ミュールラッドの「REMS」(2021/23、世界初演)、最後にスクリャービンの「交響曲第4番《法悦の詩》」を配したプログラムが構成されていた。

 終演時間は9時15分頃という、長大な演奏会だったが、二つの世界初演作品を含むプログラムは、すこぶる聴き応えがあった。マティアス・ピンチャーの指揮する交響楽団(コンサートマスターはグレブ・ニキティン)の演奏も実に見事で、豊麗で精緻なその音響は、各作品を美しく聴かせてくれた。

 冒頭の「REMS」は、2021年にストックホルムで初演された「REMS」という曲の「短縮版」の由。「レム」という言葉からはすぐ「睡眠」が思い浮かぶが、本当に夢の中を彷徨うかのような曲想で、その夢幻的な音群の中には日本の雅楽を連想させるような、官能的な音の動きもあったのは興味深い。プログラム解説には演奏時間7分前後と書いてあったが、実際には12~13分ほどあったのではなかろうか。

 一方、ノイヴィルトの作品。
 「オルランド・ワールド」は、もともとはウィーン国立歌劇場で2019年に初演されたオペラがオリジナルで、それから再構成されたものだというが━━そういう作品も「委嘱曲」になり得るのかと思うが、まあそれは別にして━━全曲35分、管弦楽法は極めて多彩で豊麗で雄弁だ。彼女はエドガー・ヴァレーズに私淑していたそうだが、なるほどもっともだ、とも思う。
 メゾ・ソプラノのヴィルピ・ライサネンは全曲を通じてほぼ歌いどおし。「両性具有を女性の視点から描いた作品」(プログラム冊子での解説)の由で、作品の後半部分では、主人公は女性に変り、ステージ上で中性的な服装から女性の衣装に変るという演出もつく。

 同じくノイヴィルトの「旅/針のない時計」は彼女にとってのイメージ上の「故郷、祖国への旅」というようなコンセプトを持つもののよう(プログラム冊子、作曲者)。
 どこかで聞いたことのあるような東欧系の旋律も見え隠れし、流麗で豊かな響きの中に世俗的(?)な打楽器のリズムが浮かんでは消えるところも面白い。それはヴァレーズ風でもあるし、またウィーン・フィルから「マーラー没後100周年記念作品」を委嘱されたのが作曲の機になったということだが(前同)このあたりがそのイメージなのか?

 最後にスクリャービン。ノイヴィルトの豊かな管弦楽法を聴いたあとでこの「法悦の詩」を聴くと、なるほどこれは、もしかしたら彼女の「故郷への旅」の終点はここにあったのではないかとさえ思ってしまう。特にトランペットの使い方で━━。「法悦の詩」が想定外の意味合いを以て立ち現れた瞬間だった。

2023・8・20(日)愛知祝祭管弦楽団の「ローエングリン」

       愛知県芸術劇場 コンサートホール  3時

 恒例の愛知祝祭管弦楽団(音楽監督・三澤洋史、コンサートマスター高橋広)によるワーグナー上演シリーズ、今年は「ローエングリン」。

 声楽陣は、谷口洋介(ローエングリン)、飯田みち代(エルザ)、青山貴(テルラムント)、清水華澄(オルトルート)、成田眞(ハインリヒ国王)、初鹿野剛(布告官)、谷口弦・神田豊壽・大倉一将・高柳耕平(4人の貴族)、上井雅子・宇多村仁美・溝口未季・成田朋加(4人の小姓)、ローエングリン・スペシャル合唱団。

 愛知祝祭管弦楽団はアマチュア・オーケストラだが、過去の演奏でも実証されているように、演奏水準は極めて高い。特に力を入れているワーグナーの舞台作品のセミステージ形式全曲上演は、2013年の「パルジファル」をはじめとして、2016年以降の「ニーベルングの指環」4部作、昨年の「トリスタンとイゾルデ」といった具合に、実績を重ねて来ている(YouTubeでも抜粋が聴ける)。
 私も「指環」以降の5作を聴いているが、いずれもアマチュア・オケとは思えぬほどの充実した演奏であり、ワーグナーの音楽の素晴らしさを充分に再現した演奏であったと言っても決して誇張にはならないだろう。

 で、今年は「ローエングリン」。オーケストラは常に変わらず熱演を繰り広げた。演奏の完成度という点では、残念ながら昨年の「トリスタン」には及ばなかったと思われる━━第1幕の「前奏曲」など、やはりこれは難しい曲なんだということが皮肉にもはっきり示されてしまった━━が、ここぞという盛り上がりの個所での体当たり的な熱演は、やはりアマオケならではの良さであろう。

 三澤洋史の指揮は、いつも通り全く外連のないイン・テンポで、ぐいぐいと押し通すといった感の設計だ。その推進力による昂揚感は並外れたもので、第1幕や第2幕の幕切れでのごうごうたる音楽の威力など、凄まじいものを感じさせた(後者では、ホールの巨大なオルガンも轟いた)。

 ただ、この曲を聴き慣れた立場から言えば、例えば第1幕でローエングリンが「禁問の動機」を口にする部分などでは、もう少し念を押すような「矯め」が音楽に欲しいと思われるし、また第2幕の幕切れにおけるトランペットとトロンボーンの「禁問の動機」の怒号も、悲劇の予告の意味を強調するように、もっと明確に浮き立たせて欲しかった、と感じられるのだが‥‥。
 しかし、例年と同じく、このアマオケをよくここまでまとめたものだと思う。なお、第2幕と第3幕では、慣習的なカットが施されていた。

 白鳥の騎士ローエングリンに、ドラマティック・テナーでない谷口洋介を起用したことは、昨年トリスタン役に小原啓楼を起用したのと同じく、三澤音楽監督の独特の狙いを感じさせて、興味深いものがあった。たしかに、このような「超人的でない、リリカルな」ローエングリンといった性格表現は、ひとつの説得性を持つだろう。
 ただ、第3幕の「グラールの物語」以降の歌唱には、いろいろな意味で疑問と不満が残る。ワーグナーが、ローエングリン役の負担を軽くするために第3幕半ばに大きなカットを許したことはやはり仕方のないことだった、と思わせられたのは確かであった。

 一方、飯田みち代のエルザは、極めて美しく軽やかで愛らしい声で、これほどこのキャラクターが純粋無垢で無邪気な姫であることを表わした歌唱も稀ではなかったか、という気がする。
 この2人に対し、清水華澄のオルトルートと青山貴のテルラムントはダークな悪役ぶりが実に見事で、ドラマの成功を支えるものは悪役なり、という鉄則を見事に証明するものだったといえるだろう。

 今回の上演では、合唱団が予想以上の出来を示していたのが印象的だった。劇的な盛り上がりを聴かせた第1幕の後では、ロビーでは合唱団への賛辞があちこちで飛び交っていたほどである。ただし第2幕の「夜明けの場面」での男声合唱は、旋律線に細かい動きが多い所為か、些か苦しいものがあったと言えよう。
 全員がオルガン下の席に位置していたが、男声合唱のほうで、移動を間違える団員が何人かいて、客席から見ていて些か気を散らされたのは事実である。

 ソロ歌手たちはそれなりの衣装を着けての登場だったが、セミステージ形式上演というには、演出がどうも中途半端であったことは否めまい。ワーグナーのオペラにおける人物の表情と動きは、もっと明解なものであるべきだろう。
 第2幕の幕切れでエルザとオルトルートを対決させるという手法は正しいが、それにしては、2人をここだけ舞台前面に登場させるというのも何か唐突で、2人の演技ももう少し明解であって欲しかった。

 だが今回、それ以上に腑に落ちなかったのは照明演出で、オルガンへの映像投映は一貫性が感じられず、しかも第3幕中盤に至るまで、スポットが合唱に当てられるタイミングが悉くといっていいほどずれていたのは、観客をかなりやきもきさせたことは確かである。

 ━━あれこれ言わせていただいたけれど、総合的には、やはり例年同様、主催者の熱意があふれんばかり漲った上演であったことはいささかの疑いはない。ここまで来たのなら、新国立劇場やびわ湖ホールと同様、スタンダード・レパートリー10作「ワーグナー10」への挑戦を期待すること大である。

 7時半終演。8時35分の「のぞみ」で帰京。往路では暑さのためフラフラになり、「病み上がり」(?)で来るのは無理だったかな、と一時は自信を無くしたが、演奏を聴いているうちに元気になった。ありがとう。

2023・8・19(土)鈴木優人指揮東京交響楽団

      サントリーホール  6時

 3週間ぶりにコンサートを聴きに行く。

 ちょうど3週間前のこと、一瞬の不注意により自宅の玄関先で躓き、かなりの怪我をした(突っかけサンダルはやはり危険だ)。鞭打ち症の症状になって、今でも両腕と指に強い痺れが残っているのだが、まあ、日常生活にそれほど支障があるわけでもないので、思い切ってコンサート通いを復活させた次第。ブログの更新がないがどうした、と気遣ってくださった方々には、心から御礼を申し上げたい。

 そこで今日は、鈴木優人が客演指揮しての、メンデルスゾーンの交響曲2曲━━「第5番《宗教改革》」と「第2番《讃歌》」というプログラム。東響コーラス(指揮・辻博之)、中江早希、澤江衣里、櫻田亮の協演で、コンサートマスターは小林壱成。

 久しぶりに聴くオーケストラのナマ音の、何と美しいこと! 頸にギブスをはめて(これ、はめていると楽なのだが、暑くてたまらない)あまり体調芳しからざる時に聴く音楽としても、メンデルスゾーンは最適だ(ショスタコーヴィチだったら疲労するだろう)。
 いや、とにかく、鈴木優人の指揮がよかったし、東響も、協演の声楽陣も快演だった。こういう音楽が聴けるのは幸せだ━━と、今はそれしか感じられない。些か自信のない足元を気にしながらも、聴きに行ってよかったと思う。

※見舞いコメント、ありがとうございます。あつく御礼申し上げます。

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