2024-03




2023・12・29(金)ヴィタリ・ユシュマノフ バリトン・リサイタル

       YAMAHAホール  3時

 サンクトペテルブルク生れ、マリインスキー劇場のアカデミーやライプツィヒのメンデルスゾーン=バルトルディ音楽演劇大で学んだこのバリトンは、最近日本で屡々聴く機会がある。

 私の聴いたものだけでも、この日記の索引で調べてみると、━━びわ湖ホールの沼尻竜典指揮「ラインの黄金」のドンナー(2017年)、飯森範親指揮の「ロシアン・プロ」(2019年)、東京芸術劇場での佐藤正浩指揮「放蕩息子」(同)、井上道義指揮の「フィガロの結婚~庭師は見た!」のアルマヴィーヴァ伯爵(2020年)、新国立劇場の高関健指揮「夜鳴きうぐいす」の侍従及び「イオランタ」の医者(2021年)、新国立劇場のアレッサンドリーニ指揮「ジュリオ・チェーザレ」のアキッラ(2022年)などが出て来る。

 それもそのはず、彼はこの10年来、日本在住なのだそうで、道理で日本語がおそろしく上手い。ロシア人は語学の才能に秀でているのか、モスクワやペテルブルクに住んでいるくせにベランメエの鮮やかな日本語を話すロシア人たちに、私は現地で何人も会ったことがあるが‥‥(あの素晴らしいロシアの人たちは、今どうしているのだろう)。

 今日のリサイタルでも、ユシュマノフはその滑らかな日本語を駆使し、ピアノで協演した園田隆一郎が押しまくられるほどのトークを展開して、聴衆を楽しませた。
 歌った曲はグノー、ヴェルディ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、レハール、ロルツィング、コルンゴルト、カールマン、レオンカヴァッロのオペラやオペレッタからのアリアなど、それにアンコールの中には小椋佳の「愛燦燦」まで含め、総計15曲。

 歌唱表現における細かいニュアンスなどは未だこれから、という感もあるものの、声のパワーは充分で、とりわけ低音域には滑らかな美しさが聴かれる。イタリア語やドイツ語の発音にはもっと明晰さが欲しいところだったが、しかしそれに比べると、なんと日本語の発音の方がよほど明快だった。

2023・12・23(土)出口大地指揮東京フィル「第9」

       サントリーホール  7時

 ハチャトゥリヤン国際指揮者コンクール優勝というキャリアを持つ若手の出口大地の指揮は、私はこれまで彼がそのハチャトゥリヤンの作品ばかりを指揮して東京フィルにデビューした時(☞2022年7月12日)しか聴いていない。

 今回は彼が「第9」を振るというので、期待して出かけて行ったわけだが、プログラム冊子を読むと、彼がプロのオケを指揮して「第9」をやるのはこれが初めてなのだとか。フルトヴェングラーの表現を借りれば、「初めてこの曲を振るなんて、新鮮な感覚で出来るんだから羨ましい」ということになるか。

 たしかに、これほど率直でこだわりのない、何ものをも恐れずにひたすら未来に向かって突き進む「第9」は、これまで聴いたことがない。若さいっぱい、胸のすくような、健康そのものの新鮮な「第9」である。「苦悩を克服して歓喜へ」というベートーヴェンのあのモットーなどに囚われない、こういう爽やかな「第9」の演奏が生み出される時代になったというのも、また興味深いことだろう。

 東京フィル(コンサートマスター・三浦章宏)が、全曲を通じて澄んだ音色で響きわたっていた。そして、爽やかな音色とともに、極めてアクセントの強い、メリハリの利いた演奏でもあった。
 それは最初に演奏されたベートーヴェンの「献堂式」序曲の冒頭の一撃からすでに表れていたことだったが、この出口大地という人、先日のハチャトゥリヤンの曲を指揮した時のような、ただやみくもに音を怒号させる指揮者なのではなく、本当はちょっと日本人離れした、著しくパンチの利いた音楽をつくる人なのだな、ということが感じ取れたのである。

 合唱は新国立劇場合唱団、声楽ソリストは光岡暁恵(S)、中島郁子(A)、清水徹太郎(T)、上江隼人(Br)。光岡の伸びのいい軽やかなソプラノが素晴らしい。

2023・12・22(金)ウクライナ国立フィル来日公演 「二つの第9」

      東京芸術劇場コンサートホール  7時

 プログラム冊子掲載の英語名称はNational Philharmonic Society of Ukraine KYIV。キーウに本拠を置く国立フィルハーモニー協会の専属オーケストラとして1995年に創立された由。
 指揮は1961年キーウ生れで、この楽団の音楽監督を1996年から務めているミコラ・ジャジューラ。

 12月9日の盛岡での演奏会を皮切りに、1月1日の大阪まで、17回の公演を行なっている。うちベートーヴェンの「第9交響曲」は11回演奏するが、合唱団はそれぞれの地域の合唱団、あるいはこの「第9」のために組織された特別の合唱団が協演するのだそうである。

 「第9」の前に何か1曲を置くのは珍しいことではないけれども、そこにドヴォルジャークの「新世界交響曲」などという「大曲」を入れるプログラムには、私は今回初めてお目にかかった。同じ「第9番」だというのは、あまりシャレにはなるまい。ジャジューラの指揮が非常に速いテンポで押していたので、終演時間はさほど伸びなかったものの、とにかく重量感たっぷりのプログラムではあった。

 ジャジューラのテンポは、特にべートーヴェンでは、部分的にはおそらく作曲者の書き入れたメトロノームの数字に近いところもあったろう。第2楽章のトリオの個所ではその速いテンポにホルンやオーボエがついて行けなくなった時もあり、またアンサンブルも粗っぽくなった時もあった。
 オーケストラ自体は、技術的には東欧の楽団として平均的な水準にある存在だろうと思うが、何よりも感心したのは、どんな時にも音楽が前へ前へと進むような━━逡巡せずに突き進むことをやめないエネルギーのようなものが演奏にあふれていることだった。極めてダイナミックな「第9」に感じられたのも、そのためだろう。

 今日協演した声楽陣は、テチアナ・ガニーナ(S)、アンジェリーナ・シュヴァツカ(A)、ドミトロ・クズミン(T),セルギィ・マゲラ(Bs)。合唱は志おん混声合唱団(合唱指揮・辻志朗)。
 カーテンコールでは、男声2人の歌手がウクライナの国旗を掲げて答礼した。どこか他の国の演奏者がこのような行動を取ったら物議を醸すかもしれないが、現在のウクライナの場合には、それも聴衆の温かい拍手を浴びる基になるだろう。

2023・12・19(火)アントニ・ヴィト指揮東京都交響楽団

       サントリーホール  7時

 ポーランドの名匠アントニ・ヴィトが客演。彼の指揮を聴くのは7年ぶりだ。
 前回は読響に客演してフランスの作品集を指揮していたのだが(☞2016年10月29日)、その演奏構築の豪快さに、ショパン国際コンクールでの彼の指揮との大きな違いに、感銘を受けたものである。

 そのヴィトが今回は、キラールの「前奏曲とクリスマス・キャロル」と、ペンデレツキの「交響曲第2番《クリスマス・シンフォニー》」という、自国ポーランドの「硬派」の作品を指揮してくれるというのだから、聴かないテはない。
 予想通り、これは実に凄い演奏だった。ヴィトの力量は、やはり並大抵のものではない。見事な制御力である。そして、東京都響(コンサートマスター山本友重)の演奏が、また極めて精妙で緻密だった。

 キラールの「前奏曲とクリスマス・キャロル」(1972年作曲)は、弦楽アンサンブルと、その背後に4本のオーボエが離れて配置された編成による静謐な祈りのような音楽で、ここでの弦の音色の鋭さを秘めた美しさ、突き詰めたような緊張感には息を呑まされたほどである。
 一方ペンデレツキの交響曲(1980年)は超大編成の管弦楽を駆使した壮絶な作品で、怪獣映画の音楽みたいな部分も出て来るかと思えば、あの「Silent Night」の最初の旋律が静かに数回登場し安息感を生み出すといった具合に、巨大な起伏感を持った単一楽章の交響曲なのだが、都響の音色はここでも全く濁ることなく、明晰な美しさを以て作品の全貌を描き出していた。

 この2曲の間にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が置かれていたのは、プログラムの主旨という点では少々解しかねるところがあるが、反田恭平がソロを弾くことから、ショパン国際コンクールという接点に着目したのでもあろうか。
 しかしその反田恭平のソロは、全篇これ和声美とでも言ったらいいか、この協奏曲からふだんあまり聴けないような、豊潤な響きを蘇らせてくれたのだった。この曲に対しては今年ちょっと食傷気味になっていたのだけれど、このような膨らみに富んだ演奏で聴くと、また別の良さが感じられるようになる。彼がアンコールで弾いたシューマン~リスト編の「献呈」も、実に和声感の豊かな演奏だった。

2023・12・17(日)阪哲朗指揮&野村萬斎演出「こうもり」

      やまぎん県民ホール  2時

 午前中に仙台からバスで山形へ入る。高速道路を突っ走るので、JR仙山線よりよほど速い、と定評のあるコースだ。山形市内はかなり冷え、小雪が舞っている。山形駅からはアーケードがホールまで続いているので、濡れずに済む。

 「全国共同制作オペラ」の一環として、びわ湖ホール(☞11月19日)、東京芸術劇場(☞11月25日)と共同制作で進んで来たこのJ・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」のプロダクション、今日が千穐楽である。
 前2回の上演とは出演者が一部変わり、ロザリンデが田崎尚美に、ファルケ博士が青山貴に、オーケストラが山形交響楽団に、合唱が「喜歌劇《こうもり》山形公演特別合唱団」となった。

 3回目の上演ともなれば、さすがに舞台の流れもよく、歌手たちの演技と歌唱にも余裕のようなものが感じられる。ユーモア満載のセリフのアドリブも増え、面白みも倍加していたようだ。
 アイゼンシュタイン役の福井敬は踊ったり大見得を切ったりと相変わらず見事なところを見せ、ロザリンデ役の田崎尚美も堂々たる「奥様」ぶりで、クンドリーやマクベス夫人の時とは全く別のコミカルな面を見せてくれる。ファルケ博士の青山貴も、これがあの威厳あるヴォータン役と同じ人とは信じられぬような陽気な舞台姿だ(彼はパパゲーノでも魅せてくれたっけ)。

 刑務所長フランクの山下浩司、ブリントの晴雅彦、アルフレードの与儀巧、アデーレの幸田浩子、フロッシュと狂言回し役の桂米團治、いずれも前回同様の闊達な芝居ぶりだが、就中オルロフスキー公の藤木大地はここでも登場した瞬間から観客の笑いを誘い、大拍手を集めていた。歌唱の面でもみんな快調。

 だが、この3回の上演の中でも最も良かったのは、やはり阪哲朗の指揮であろう。日頃から呼吸が合っている山形交響楽団を相手の演奏ということもその一因だが、J・シュトラウスのしなやかで変幻自在な音楽が、今日は充分に生きていた。
 彼と山響が演奏したウィンナ・ワルツが驚くほど官能にあふれていたことは既に体験済みで(☞2021年2月26日)━━今日はまあその時ほどではなかったにしても、びわ湖ホールでの日本センチュリー響、東京芸術劇場でのザ・オペラバンドとの演奏に比べれば、今日は格段の違いである。ドイツの歌劇場で場数を踏んだ阪哲朗の良さは、この山形でいよいよ発揮されることになろう。

 カーテンコールの締めには、桂米團治の勧めに応じて福井敬が千穐楽の口上を述べるという場面もあって、上演は華やかに結ばれた。
 3か所での上演のうち、観客のノリが最もよかったのは、この山形公演だったかもしれない。熱狂的なスタンディング・オヴェーションが続き、指揮者の阪哲朗への拍手も、ここが一番大きかった。山響の常任指揮者として、既にファンの支持を集めているのだろう。
 観客の明るさ、舞台の明るさ、山響の演奏の良さ、賑やかなカーテンコール。山形にも、高質のオペラが根付き始めているのだろう。つい20年ほど前の山形の音楽シーンを思えば、信じられないような変わり方だ。嬉しいことではある。

 7時31分発の「つばさ」で帰京。

2023・12・16(土)鈴木秀美指揮神戸市室内管「天地創造」

       神戸文化ホール 大ホール  2時

 午前の新幹線で、名古屋から新神戸へ移動。そこから地下鉄で3つ目の駅、大倉山で降りれば、目の前に神戸文化ホールがある。

 ここを本拠とする神戸市室内管弦楽団は、1981年に「神戸室内合奏団」として創立、2018年に現名称となった。2021年に鈴木秀美が音楽監督に就任、今年夏には日本オーケストラ連盟にも加入(準会員)を果たしている。以前は中ホールを定期演奏会場としていたが、最近それを大ホールに移した。私もこの大ホールでこのオーケストラを聴くのは、今回が初めてである。

 今日のプログラムは、ハイドンの大曲「天地創造」だ。コンサートマスターは高木和弘。協演の合唱は、このオーケストラと一心同体の存在たる神戸市混声合唱団(音楽監督・佐藤正浩)、声楽ソリストは隠岐彩夏、櫻田亮、氷見健一郎。

 2階席で聴いたが、アコースティックは悪くない。残響のほとんどない中ホールに比べれば御の字である。演奏がいいからだろう、オーケストラの音も快く響いて来るが、特にノン・ヴィブラート奏法の弦楽器群の音色が柔らかめであたたかく、少しも刺激的な音にならないのに魅了された。ティンパニには菅原淳が今なお健在で、相変わらず力感たっぷりで切れのいい、綺麗な音を轟かせている。
 アンサンブルの点では少々注文をつけたくなった個所もないではないが、これは今後に期待することにしよう。全体としては、このオーケストラの最近の快調ぶりがここかしこに示されているように思われる。

 なにより、鈴木秀美音楽監督の指揮がいい。彼の指揮は、これまでにもベートーヴェンの交響曲を何回か聴いているが、すこぶる個性的でスリリングな音楽を感じさせるものであった。今日のハイドンではあまり捻ったスタイルは取っていないけれども、3つの部を締め括る大合唱曲をそれぞれ頂点として進めて行く設計や、それらの最後の個所をぐいぐいと盛り上げて行く呼吸など、圧巻であった。

 また、ここの合唱団がなかなか優れていて、全曲大詰めの大合唱でのソプラノ・パートの細かい動きと、頂点に向け繰り返されるクレッシェンドの力強さには感心した。この合唱団とオーケストラとを一体化した活動にも力を入れたい、というのがホールの狙いでもあるという。

 終演後、伊丹空港からJALで仙台へ飛ぶ。意外に暖かい。

2023・12・15(金)新田ユリ指揮愛知室内オーケストラのシベリウス

      三井住友海上しらかわホール  6時45分

 2002年に発足した愛知室内オーケストラ(音楽監督・山下一史)。最近、その活動も目覚ましく活発さを増した。今年夏には日本オーケストラ連盟への加盟(準会員)を実現、来年4月には原田慶太楼を首席客演指揮者兼アーティスティック・パートナーに迎えるとのことである。

 今日は第68回定期で、かつてこのオーケストラの常任指揮者を務めていた新田ユリを迎え、彼女の十八番であるシベリウスの作品によるプログラムを組んだ。それも、「フィンランディア」とか、交響曲の1番とか2番とかなどのありきたりのプログラムでなく、「ポヒョラの娘」「タピオラ」「孤独なシュプール」「吟遊詩人」「交響曲第7番」という選曲である。
 こんなプログラムは、老舗の大オーケストラではなかなかできないものであろう。「後期」の傑作である「タピオラ」と「第7交響曲」とを第1部と第2部の終りにそれぞれ置いて対比させたセンスなど、心憎い。

 なお、「孤独なシュプール」というのは━━私も実は初めて聴いたのだが━━「メロドラマ」と題されており、グリペンベルイの詩に基づく朗読とピアノのための作品を作曲者自身が管弦楽版に編曲したものの由(プログラム冊子掲載の解説による)。
 今日は詩の朗読の代わりに、ステージ奥の壁に日本語訳の字幕が投映された。「スキーのシュプールがたったひとつ雪の上に跡を残し、それは森の奥深く、遠く消え去って行く」という、人生を象徴するかのような内容である・・・・。

 新田ユリの指揮する愛知室内オーケストラの今日の演奏で圧巻だったのは、やはり最後の「第7交響曲」だったであろう。明晰な音色と壮大な起伏、細部にまで神経を行き届かせた緻密で隙のない構築は見事なものであり、大詰め近くの個所で、低弦がいよいよ終結といった感で響き始めるのに応じ、全管弦楽が次第に加わり、それが怒涛の如く雄大な頂点に拡がって行くあたりの呼吸はスペクタクルでさえあった。
 それに次いで魅力的だったのは、客演の高野麗音のハープが雄弁に語り、弦楽器群のトレモロが劇的に高潮した「吟遊詩人」での演奏。そして次に、シベリウス特有の哀愁感が滲み出た「ポヒョラの娘」での演奏、というのが私の好みに基づく印象である。

 しかしいずれにせよ、新田ユリのシベリウスは天下一品、さすがフィンランドをはじめ北欧各国で活躍する彼女の本領と言えよう。
 弦8型という小編成と、しらかわホールという中ホール特有のアコースティック(音響)の所為か、響きが明晰すぎるほどリアルになり、私が感じている「北欧の神秘的な詩情」という点ではちょっと物足りないものがあったけれど、最近の北欧系の指揮者でさえ割り切った傾向の演奏をする人が多いから、これは時代の趨勢なのかもしれない。もっとも、もし今日の演奏を残響豊かなホールで聴けば、もう少し異なった印象が得られたかもしれない。

 愛知室内オーケストラの演奏も真摯で、好感を呼ぶ。今日のコンサートマスターは執行恒弘。ヴィオラのトップには川本嘉子が首席客演・弦楽器アドヴァイザーとして座っていた。

 なお、このしらかわホールも、来年2月で30有余年の歴史にピリオドを打ち、閉館になるとか。美しい立派なホールなのに、残念なことだ。私も、ここを訪れるのはこれが最後になるだろう。
 愛知室内オーケストラは、今後は愛知県芸術劇場コンサートホールをメインに、それに東海市芸術劇場大ホールを併せて、それぞれのシリーズで定期公演を開催して行くそうである。

2023・12・12(火)桑原裕子作・演出「たわごと」

       東京芸術劇場シアターイースト  7時

 穂の国とよはし芸術劇場PLAT芸術監督の桑原裕子の作と演出による演劇。11月16日に豊橋で幕を開けて以降、ロームシアター京都と岡山芸術創造劇場での上演を経て、12月8日から17日までここ東京芸術劇場で上演されている。

 内容は、ある海岸に面した断崖の上に建つ病める老小説家の邸宅を舞台に、その遺言状をめぐって息子夫婦や元秘書、元看護士、医者らが繰り広げる物語だが、本音をぶつけ合う言い争いは絶えぬものの、どろどろした雰囲気はなく、兄弟の確執と愛を中心にユーモアを交えてヒューマンな人間関係が描かれて行くところがいい。

 長男(渡辺いっけい)と次男(渋川清彦)とのセリフの応酬の面白さが際立ち、芝居としての面白さでは「長男」の達者な演技が見ものだが、いい加減な男のように見えて実は最も客観的なものの見方をする「次男」の存在感が印象に残る。元秘書(松金よね子)の怪演に近い演技も傑作だ。
 その他、元看護士(松岡依都美)、医者(谷恭輔)もそれぞれの役柄を主張して存在感を示したが、ただ、田中美里が演じた「長男の妻」の役だけは、その熱演にもかかわらず、役柄の意味がどうも明確ではなかったような気がするのだが‥‥。

 休憩なしの2時間ぶっ続けの上演。途中、ちょっとだれる感もあったものの、大詰めは兄弟和解の場面であたたかく締め括られた。

2023・12・11(月)METライブビューイング新シーズン開幕
ジェイク・ヘギー:「デッドマン・ウォーキング」

       東劇  6時10分

 2000年にサンフランシスコで初演されたジェイク・ヘギー作曲のオペラ「デッドマン・ウォーキング」は、メトロポリタン・オペラでは今回が初上演とのことである。
 今日上映されたのは、今年10月21日に上演されたライヴ映像で、ヤニック・ネゼ=セガンが指揮、イヴォ・ヴァン・ホーヴェが演出、ヒロインのシスター・ヘレン・プレジャンをジョイス・ディドナートが歌い演じていた。

 このオペラのことは、噂には聞いていたが、実際に見るのは私も今回が初めてだ(30年近く前に製作された映画も、観ていない)。
 まあとにかく、大変なオペラである。
 「滴るやうな現實感に、従来の嘘八百の歌劇を顔色無からしめる」とは往年のレコード評論家あらえびすが「樂聖物語」に書いた表現だが、これはムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」について評したものである。しかし、その「ボリス」といえども、この「デッドマン・ウォーキング」に比べれば、絵空事のオペラとしか思えないだろう。
 リアルな衝撃度から言えば、2005年にこれもサンフランシスコで初演されたジョン・アダムズの、原爆実験を描いたオペラ「ドクター・アトミック」に勝るとも劣らないような気がする。

 物語は、殺人犯で死刑囚のジョゼフ・デ・ロシェ(ライアン・マキニー)と、彼の心を救済しようとする尼僧シスター・ヘレンとの交流を描くものだが、所謂贖罪をテーマにしたものではなく、また死刑の存続論や廃止論のどちらかを標榜したものでもない。しかし、犯人デ・ロシェに対する被害者の遺族たちの激しい怒り、あるいは犯人の母親と弟たちの悲嘆や哀願、それらの板挟みになったシスター・ヘレンの苦悩などが、すべて同等に、しかも極めてリアルに詳細に描かれて行くので、それだけでも観客の心をかき乱し、さまざまな思いを抱かせることになろう。

 そして刑務所内の描写も事細かく、ラストシーンなどは、オペラの舞台でここまでやるか、と思えるほどリアルすぎる演出だ。━━おまけに今夜は、その衝撃シーンの裡に幕が降り、暗黒になったのに合わせるように、ぐらぐらと不気味な地震が来た(9時28分、震源は千葉県北西部、東京の震度1)。こんなご丁寧な付録がついては、たまったものではない。明るい熱狂的なカーテンコールのシーンでやっと気を取り直したわけで、━━METの上演では、熱狂的な拍手が続いていたが、おそらく歌劇場で大勢の観客にまじってこれを観ていたのなら、きっと通常の娯楽として受容し、平然として拍手ができたかもしれない。

 2幕、約3時間半の上映時間で、オペラ自体はそのうち2時間半程度だが、ジョイス・ディドナートはほとんど全曲にわたって出ずっぱり、歌いっぱなしという感で、そのパワーは見事なものだ。
 それに、彼女を含めた歌手たち全員の演技のまあリアルで巧いこと。このオペラの初演時にシスター・ヘレンを歌ったスーザン・グラハムが、死刑囚の母親の役で登場していたが、息子の罪を認めながらも彼への愛情、助命嘆願、絶望、遺族への謝罪などを、涙ながらに表現するその歌唱と演技は、観ている方が総毛立つような凄まじさだ。
 彼女の一家が死刑囚と一緒に最後の写真を撮るシーンで、その役を引き受けたヘレンが、カメラを手にしたまま悲嘆に襲われて動けなくなる一瞬の演技も、真に迫っている。オペラとはいえ、演技にこれだけの入魂の表情を籠めることのできる歌手たちが多い欧米の歌劇場の凄さを、改めて痛感しないではいられない。

 なお幕間の映像では、ジョイス・ディドナートらがシン・シン刑務所を訪問し、受刑者と一緒にオペラを歌う場面が挿入されていたが、これなども心を打たれる光景であった。

 肝心のジェイク・ヘギーの音楽。フル・オーケストラの量感を生かした耳当たりの良い手法の音楽だ。劇的な起伏にも富み、例えば大詰め近く、デ・ロシェが初めてヘレンに心を開き、罪業の全てを告白する場面での音楽の使い方など、すこぶる巧妙なものだったと思う。ヤニック・ネゼ=セガンがこの音楽全体を実にバランスよく構築し、劇的な緊迫感を最後まで保持させた手腕も流石である。

 いろいろなことを考えさせられる、恐ろしいオペラだった。

2023・12・10(日)ラモー:「レ・ボレアード」

       北とぴあさくらホール  2時

 北区は王子駅前にある「北とぴあ」で開催される「北とぴあ国際音楽祭」の一環。1995年以来、寺神戸亮とレ・ボレアード(管弦楽団と合唱団)を中心に、モーツァルト以前の、特にフランス・バロックのオペラなどを数多く上演している、定評あるシリーズだ。

 今年はジャン=フィリップ・ラモーの「レ・ボレアード」の全曲が、セミステージ形式で上演された。このオペラは、2001年11月にも演奏会形式で抜粋曲が取り上げられたそうだ(私はそれを聴いたかどうか、記憶が定かではない)が、今年2023年は、ラモーの生誕340年に当たるし、またこのオペラが作曲されてから260年に当たる年でもあるので、今回の初めての全曲舞台上演は、大いに意義あるものと言えよう。

 それにそもそも、この演奏グループの名称「レ・ボレアード」は、このオペラに因んでつけられたものだった。本来の意味はギリシャ神話の「北風の神ボレ」の一族、あるいはその配下たち、信奉者たちといったものだが、その「北風」に引っ掛け、音楽祭の主催・制作者である北区文化振興財団(共催・北区)━━つまり、東京の「北」から新しい風を起こそうという願いを籠めた名称だそうだから、微笑ましい。

 指揮とヴァイオリンはもちろん寺神戸亮。舞台奥に配置されたオーケストラを率いて、楽器編成にも趣向を凝らし、濃密な演奏を聴かせてくれた。当時のフランス・オペラの常としてバレエが重要な地位を占めており、このオペラでも全曲の3分の1ほど━━いや、それ以上か━━はダンスだけの部分になるが、エールやリゴードン、メヌエット、ガヴォット、コントルダンスなどさまざまな舞曲を闊達に演奏してくれたのも聴き応えがあった。筋だけを追っていると、このダンス場面は少々くどい感を与えないでもないが、これがフランス・バロックオペラの見せどころなのだ。

 なお、このバロックダンスの振付はピエール=フランソワ・ドレで、彼は自らも踊る。ダンサーは他に松本更紗、ニコレタ・ジャンカーキ、ミハウ・ケンプカが受け持った。合唱団員も随所で踊ってはいたが、これはせいぜい身振り程度といったところだろう。もう少しダンスが上手いといいのだが‥‥しかし、合唱団としては、ラモー特有の合唱の重要さをよく果していたと思う。

 出演歌手陣は、カミーユ・プール(女王アルフィーズ)、大野彰展(その恋人アバリス)、与那城敬(大司祭アダマス、神アポロン)、湯川亜也子(女王の付人セミル、ポリムニ)、山本悠尋(求婚者ポリレ)、谷口洋介(同カリシス)、小池優介(北風の神ボレアス)、鈴木真衣(ニンフ)、鈴木美紀子(アムール)。
 プールをはじめみんな好演だった。代役だった大野彰展も、この主人公役をよくこなしていたといえよう。与那城敬が大詰めでアポロン神をひときわ朗々と声を響かせて救済の神の威力を示したのは流石だった(ただし、神の役柄としては、先日の「午後の曳航」の軍人役の丸刈り頭が未だ残っているさまがどうも気になったが)。

 演出はロマナ・アニエル。セミステージ形式という割には、大がかりな趣向を盛り込んだ手法だろう。第3幕大詰めで猛烈な嵐が襲来し、女王アルフィーズがその中に呑み込まれ、姿を消して行く場面での「布」の使い方など、面白いものがあった。

2023・12・9(土)上岡敏之指揮読売日本交響楽団&二期会合唱団

       東京芸術劇場 コンサートホール  6時

 これは読響の主催ではなく、東京二期会&二期会21の主催。二期会創立70周年記念の一環となっている。
 プログラムは、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」と、モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー補筆版)。
 協演の声楽ソリストは盛田麻央(S)、富岡明子(A)、松原友(T)、ジョン・ハオ(Bs)。コンサートマスターは日下紗矢子。合唱指揮は根本卓也。

 二期会主催であるからには、主役は声楽陣ということになるが、実際に聴いたところでは、映えたのは合唱団、それも「レクイエム」における歌唱━━と思えたのだが、如何だったろう。ただこれは、私の聴いた席が、前半の「詩篇交響曲」が残響の極度に長く聞こえる1階席後方、「レクイエム」がクリアな音に聞こえる2階席前方、という具合に異なっていたので、あまり明確な判断というわけにも行かない。

 いずれにせよ、特に「レクイエム」での上岡敏之の指揮がかなり劇的で、「キリエ」からすでに異様なほど速いテンポで驀進し(ここでの合唱がよくついて行ったと思うのだが)、しかも文字通りのアタッカで「怒りの日」で突入した時のデモーニッシュな迫力は凄まじいものがあった。楽曲全体を完璧なバランスで構築するという点でも、彼の指揮は卓越していただろう。

2023・12・9(土)カーチュン・ウォン指揮日本フィル 12月東京定期

       サントリーホール  2時

 桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフは結局来日できなかったが、代役として首席指揮者カーチュン・ウォンが自ら登場したとは豪華な話。
 外山雄三の交響詩「まつら」、伊福部昭の「オーケストラとマリンバのための《ラウダ・コンチェルタータ》」(マリンバのソロは池上英樹)、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」を指揮した。コンサートマスターは田野倉雅秋。

 「ラウダ・コンチェルタータ」での池上英樹のマリンバ・ソロはさすがにスケール感があり、しかも刻々と変化するような色彩感まで感じさせるといった演奏で、この曲をさらに面白く聴かせることに成功していた。

 ウォンの指揮のもとで、日本フィルが新境地を開拓したと感じられた演奏は、やはりショスタコーヴィチの「5番」だった。これは白眉であったろう。特に日本フィルの弦楽器群がこれほど怜悧で鮮烈な音色を響かせるなど、一昔前には考えられなかったことである。

 ウォンはその弦楽器群を、内声部を明晰に浮き上がらせ、曲全体を驚くほど豊かな和声感を以て包み込んで行った。第1楽章の頂点の個所や、第4楽章の熱狂の部分など、普通の演奏なら金管楽器群を痛烈に鳴らしまくるものだが、今日のウォンはむしろ弦楽器群を強靭に響かせ、金管はその奥の方から聞こえて来る、というバランスを構築していた(これは2階RC席で聴いた音響バランスである)。これがいっそう和声感を強くする要因にもなっていたと思われる。

 といって、ウォンの指揮が音響的に茫洋としていたわけではない━━弦のアクセントの強烈さ(例えば第1楽章第12小節最後のヴァイオリンの2分音符。総譜ではフォルテひとつなのに、ほとんどフォルテ三つで切り込んだようにさえ感じられた)、クレッシェンドの鋭さなどは並外れたものがあった。
 これほど隅々まで神経を行き届かせた「5番」の演奏も、滅多にないだろう。テンポは全体に速めで、終楽章の冒頭や大詰めでの昂揚も凄まじく、エンディングは総譜通りリタルダンドなしで、猛然と終った。

 カーチュン・ウォンという指揮者、やはりただものではない。日本フィルは、いい人選をしたものだ。

 4時15分終演。池袋の東京芸術劇場へ移動。

2023・12・5(火)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

     サントリーホール  7時

 前常任指揮者・現桂冠指揮者のシルヴァン・カンブルランが登場。
 11月30日の「名曲シリーズ」ではモーツァルトやドヴォルジャークの作品と一緒に武満徹やシチェドリンの作品を指揮していたが、今日の12月定期では、ヤナーチェクの「バラード《ヴァイオリン弾きの子供》」と序曲「嫉妬」、リゲティの「ピアノ協奏曲」、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」という、すこぶる意欲的なプログラムを指揮した。
 その上、協奏曲ではピエール=ロラン・エマールがソリストを務めるという豪華キャスト。コンサートマスターは日下紗矢子。

 1曲目と3曲目にそれぞれ置かれたヤナーチェクの作品は、「ヴァイオリン弾きの子供」のほうは━━美しいソロを弾いてくれた日下さんには悪いけれども━━綺麗な曲ではあるが、それほど面白いとは言えないものだった。やはり「嫉妬」の方が、この作曲家の美点のひとつである鮮烈な感性がより強く表出され、劇的な力にあふれた作品に感じられてしまう。

 この「嫉妬」が当初の案通りにオペラ「イェヌーファ」の序曲か前奏曲として使われていたらどんな効果を生んだであろう、と想像すると興味も尽きないが、あのオペラ本編の音楽を思い浮かべて対比してみると、この作品の方は、やはり激しすぎ、重すぎる感がしないでもない。

 ともあれ期待通りだったのは、リゲティとルトスワフスキだ。
 前者のピアノ協奏曲は1988年完成の、25分弱の作品だが、複雑精妙なリズム、楽器の特殊な演奏法による音色の多彩さ、千変万化の和声の響きなど、目も眩むばかりの世界が展開する。そして、目を閉じて聴いていると、その感覚的な衝撃がいっそう凄まじいものになる。鋭角的なソロで快演したエマールもさることながら、カンブルランと読響の演奏の、縦横無尽に音が飛び交う鮮やかさは、実に見事なものだった。

 なおエマールはそのあと、アンコールとして、同じリゲティの「ムジカ・リチェルカーレ」からの第7番と、一度引っ込んでからまたもうひとつ、第8番なる曲を弾いた(もし拍手が続いていたら、あの勢いでは、もっと弾いたかもしれない)。

 この日のプログラムを締め括ったのはルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」だったが、これまた見事と言うほかはない濃密な演奏。1954年完成の作品だから、これまでにも何度か聴いているはずだが、今日の演奏は、これほど多彩で面白い曲だったか、と改めて感動してしまうほどの快演だった。各楽器の「協奏」━━というより「飛び交う音群」が、些かも「ごった煮状態」にならず、鮮明に、明晰に交錯して行く面白さ。カンブルランの優れた手腕。そして、やっぱりこの曲はナマで聴くに限る、と改めて痛感する。
 この曲のあとで沸き起こったブラヴォーの声は、先ほどのコンチェルトでのそれを凌ぐ勢いだった。カンブルランも、ソロ・カーテンコールされた。彼の人気は今なお衰えていない。

2023・12・4(月)クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

        サントリーホール  7時

 今年のクリスチャン・ツィメルマンのリサイタルは、11月4日の柏崎に始まり、12月16日の所沢まで、全10回にわたるものだという。例のごとく、すべて同じプログラムによるものだそうな。

 前半にショパンの「夜想曲」から作品9-2、15-2、55-2、62-2の4曲(「2」を揃えたわけでもあるまいに)と、「ソナタ第2番《葬送》」。後半にドビュッシーの「版画」と、シマノフスキの「ポーランド民謡の主題による変奏曲ロ短調」。アンコールがラフマニノフの「前奏曲ニ長調作品23-4」。
 ショパンの作品を入れたのは4年ぶりのことになるか。「版画」は、11年前のちょうど今日行なったリサイタルでも弾いているので、お気に入りの作品なのだろう。

 ショパンの「夜想曲集」が始まった瞬間から、その音色の透明清澄な美しさに魅了させられる。今回の楽器は良いようである。
 どの曲においても晴朗な音色と表情があふれているのだが、ただしその一方、陰翳といったものを全く排したような演奏でもある。それゆえ、何か不思議に単調なショパンに感じられてしまうのだが━━。もともと情緒的なものを抑制した彼の演奏スタイルのため、いっそうそのような印象が強くなってしまう。

 後半のドビュッシーは、そういった演奏によっても映えるという曲想を備えているので、あたかも清涼剤のような印象を与える。そして何と言っても圧巻は、シマノフスキの変奏曲だったであろう。この作曲家の壮大な叙情美はツィメルマンの演奏によって最高に生きると感じられたのは、これが初めてではない。

 ホールは満席(欠席によるものらしい空席は若干見られる)。こういうピアノの演奏会の時には、若い人たち、特に女性が多い。レセプショニストたちが「今日は写真撮影お断り」と盛んに注意しながら巡回していた。

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