2023-12

2023・12・9(土)上岡敏之指揮読売日本交響楽団&二期会合唱団

       東京芸術劇場 コンサートホール  6時

 これは読響の主催ではなく、東京二期会&二期会21の主催。二期会創立70周年記念の一環となっている。
 プログラムは、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」と、モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー補筆版)。
 協演の声楽ソリストは盛田麻央(S)、富岡明子(A)、松原友(T)、ジョン・ハオ(Bs)。コンサートマスターは日下紗矢子。合唱指揮は根本卓也。

 二期会主催であるからには、主役は声楽陣ということになるが、実際に聴いたところでは、映えたのは合唱団、それも「レクイエム」における歌唱━━と思えたのだが、如何だったろう。ただこれは、私の聴いた席が、前半の「詩篇交響曲」が残響の極度に長く聞こえる1階席後方、「レクイエム」がクリアな音に聞こえる2階席前方、という具合に異なっていたので、あまり明確な判断というわけにも行かない。

 いずれにせよ、特に「レクイエム」での上岡敏之の指揮がかなり劇的で、「キリエ」からすでに異様なほど速いテンポで驀進し(ここでの合唱がよくついて行ったと思うのだが)、しかも文字通りのアタッカで「怒りの日」で突入した時のデモーニッシュな迫力は凄まじいものがあった。楽曲全体を完璧なバランスで構築するという点でも、彼の指揮は卓越していただろう。

2023・12・9(土)カーチュン・ウォン指揮日本フィル 12月東京定期

       サントリーホール  2時

 桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフは結局来日できなかったが、代役として首席指揮者カーチュン・ウォンが自ら登場したとは豪華な話。
 外山雄三の交響詩「まつら」、伊福部昭の「オーケストラとマリンバのための《ラウダ・コンチェルタータ》」(マリンバのソロは池上英樹)、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」を指揮した。コンサートマスターは田野倉雅秋。

 「ラウダ・コンチェルタータ」での池上英樹のマリンバ・ソロはさすがにスケール感があり、しかも刻々と変化するような色彩感まで感じさせるといった演奏で、この曲をさらに面白く聴かせることに成功していた。

 ウォンの指揮のもとで、日本フィルが新境地を開拓したと感じられた演奏は、やはりショスタコーヴィチの「5番」だった。これは白眉であったろう。特に日本フィルの弦楽器群がこれほど怜悧で鮮烈な音色を響かせるなど、一昔前には考えられなかったことである。

 ウォンはその弦楽器群を、内声部を明晰に浮き上がらせ、曲全体を驚くほど豊かな和声感を以て包み込んで行った。第1楽章の頂点の個所や、第4楽章の熱狂の部分など、普通の演奏なら金管楽器群を痛烈に鳴らしまくるものだが、今日のウォンはむしろ弦楽器群を強靭に響かせ、金管はその奥の方から聞こえて来る、というバランスを構築していた(これは2階RC席で聴いた音響バランスである)。これがいっそう和声感を強くする要因にもなっていたと思われる。

 といって、ウォンの指揮が音響的に茫洋としていたわけではない━━弦のアクセントの強烈さ(例えば第1楽章第12小節最後のヴァイオリンの2分音符。総譜ではフォルテひとつなのに、ほとんどフォルテ三つで切り込んだようにさえ感じられた)、クレッシェンドの鋭さなどは並外れなものがあった。
 これほど隅々まで神経を行き届かせた「5番」の演奏も、滅多にないだろう。テンポは全体に速めで、終楽章の冒頭や大詰めでの昂揚も凄まじく、エンディングは総譜通りリタルダンドなしで、猛然と終った。

 カーチュン・ウォンという指揮者、やはりただものではない。日本フィルは、いい人選をしたものだ。

 4時15分終演。池袋の東京芸術劇場へ移動。

2023・12・5(火)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

     サントリーホール  7時

 前常任指揮者・現桂冠指揮者のシルヴァン・カンブルランが登場。
 11月30日の「名曲シリーズ」ではモーツァルトやドヴォルジャークの作品と一緒に武満徹やシチェドリンの作品を指揮していたが、今日の12月定期では、ヤナーチェクの「バラード《ヴァイオリン弾きの子供》」と序曲「嫉妬」、リゲティの「ピアノ協奏曲」、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」という、すこぶる意欲的なプログラムを指揮した。
 その上、協奏曲ではピエール=ロラン・エマールがソリストを務めるという豪華キャスト。コンサートマスターは日下紗矢子。

 1曲目と3曲目にそれぞれ置かれたヤナーチェクの作品は、「ヴァイオリン弾きの子供」のほうは━━美しいソロを弾いてくれた日下さんには悪いけれども━━綺麗な曲ではあるが、それほど面白いとは言えないものだった。やはり「嫉妬」の方が、この作曲家の美点のひとつである鮮烈な感性がより強く表出され、劇的な力にあふれた作品に感じられてしまう。

 この「嫉妬」が当初の案通りにオペラ「イェヌーファ」の序曲か前奏曲として使われていたらどんな効果を生んだであろう、と想像すると興味も尽きないが、あのオペラ本編の音楽を思い浮かべて対比してみると、この作品の方は、やはり激しすぎ、重すぎる感がしないでもない。

 ともあれ期待通りだったのは、リゲティとルトスワフスキだ。
 前者のピアノ協奏曲は1988年完成の、25分弱の作品だが、複雑精妙なリズム、楽器の特殊な演奏法による音色の多彩さ、千変万化の和声の響きなど、目も眩むばかりの世界が展開する。そして、目を閉じて聴いていると、その感覚的な衝撃がいっそう凄まじいものになる。鋭角的なソロで快演したエマールもさることながら、カンブルランと読響の演奏の、縦横無尽に音が飛び交う鮮やかさは、実に見事なものだった。

 なおエマールはそのあと、アンコールとして、同じリゲティの「ムジカ・リチェルカーレ」からの第7番と、一度引っ込んでからまたもうひとつ、第8番なる曲を弾いた(もし拍手が続いていたら、あの勢いでは、もっと弾いたかもしれない)。

 この日のプログラムを締め括ったのはルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」だったが、これまた見事と言うほかはない濃密な演奏。1954年完成の作品だから、これまでにも何度か聴いているはずだが、今日の演奏は、これほど多彩で面白い曲だったか、と改めて感動してしまうほどの快演だった。各楽器の「協奏」━━というより「飛び交う音群」が、些かも「ごった煮状態」にならず、鮮明に、明晰に交錯して行く面白さ。カンブルランの優れた手腕。そして、やっぱりこの曲はナマで聴くに限る、と改めて痛感する。
 この曲のあとで沸き起こったブラヴォーの声は、先ほどのコンチェルトでのそれを凌ぐ勢いだった。カンブルランも、ソロ・カーテンコールされた。彼の人気は今なお衰えていない。

2023・12・4(月)クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

        サントリーホール  7時

 今年のクリスチャン・ツィメルマンのリサイタルは、11月4日の柏崎に始まり、12月16日の所沢まで、全10回にわたるものだという。例のごとく、すべて同じプログラムによるものだそうな。

 前半にショパンの「夜想曲」から作品9-2、15-2、55-2、62-2の4曲(「2」を揃えたわけでもあるまいに)と、「ソナタ第2番《葬送》」。後半にドビュッシーの「版画」と、シマノフスキの「ポーランド民謡の主題による変奏曲ロ短調」。アンコールがラフマニノフの「前奏曲ニ長調作品23-4」。
 ショパンの作品を入れたのは4年ぶりのことになるか。「版画」は、11年前のちょうど今日行なったリサイタルでも弾いているので、お気に入りの作品なのだろう。

 ショパンの「夜想曲集」が始まった瞬間から、その音色の透明清澄な美しさに魅了させられる。今回の楽器は良いようである。
 どの曲においても晴朗な音色と表情があふれているのだが、ただしその一方、陰翳といったものを全く排したような演奏でもある。それゆえ、何か不思議に単調なショパンに感じられてしまうのだが━━。もともと情緒的なものを抑制した彼の演奏スタイルのため、いっそうそのような印象が強くなってしまう。

 後半のドビュッシーは、そういった演奏によっても映えるという曲想を備えているので、あたかも清涼剤のような印象を与える。そして何と言っても圧巻は、シマノフスキの変奏曲だったであろう。この作曲家の壮大な叙情美はツィメルマンの演奏によって最高に生きると感じられたのは、これが初めてではない。

 ホールは満席(欠席によるものらしい空席は若干見られる)。こういうピアノの演奏会の時には、若い人たち、特に女性が多い。レセプショニストたちが「今日は写真撮影お断り」と盛んに注意しながら巡回していた。

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