2024-04

2024・4・11(木)東京・春・音楽祭 「シェーンベルクとウィーン」

        東京文化会館小ホール  7時

 大ホールの春祭公演「ラ・ボエーム」を横目に見つつ、小ホールの「シェーンベルク」へ向う。
 生誕150年を記念するシェーンベルク特集としては、去る6日にも彼の弦楽四重奏曲(5曲)や「浄夜」ほかをディオティマ弦楽四重奏団が演奏するという壮絶なプログラムの公演が行われていたが、私は都合で聴けなかった。

 今日のプログラムはもう少し柔らかい(?)もので、前半にシェーンベルクやベルクが編曲したJ・シュトラウスⅡのワルツ4曲(「南国のばら」「宝のワルツ」「酒・女・歌」「皇帝円舞曲」)が演奏され、後半にシェーンベルク編曲によるマーラーの「さすらう若人の歌」、ウェーベルン編曲によるシェーンベルクの「室内交響曲第1番」、アイスラー編曲によるブルックナーの「交響曲第7番」第3楽章が演奏される━━と言うもの。これはこれでなかなか面白い。

 演奏は、豊嶋泰嗣&橘和美優(vn)、中村洋乃理(va)、横坂源(vc)、幣隆太朗(cb)、甲斐雅之(fl)、コハーン・イシュトヴァーン(cl)、福川伸陽(hrn)、竹島悟史(perc)、兼重稔宏&佐藤卓史(pf)、大木麻里(org)、与那城敬(Br)という名手たち。

 J・シュトラウスⅡのワルツの室内楽編曲版も悪くなかったけれども、今日の曲目の中で、最も曲の良さと、演奏の密度の濃さとを感じさせたのは、やはり「室内交響曲第1番」ではなかったろうか。シェーンベルクの作品の中では比較的耳当たりのいい曲だが、プログラム全体の中で核となるに相応しい風格を備えた作品であったことは間違いない。

 また、「さすらう若人の歌」の編曲版では、編曲者の感性の所為か、ロマン的な味わいはほとんど皆無になっているが、与那城敬の表情の濃い歌唱と身振りが作品本来の情感を蘇らせていた。最後に置かれたブルックナーのスケルツォは━━編曲の出来としては、まあ、余興と言ったところか。

 豊嶋泰嗣をリーダーとしたアンサンブルの好演を讃えたい。

2024・4・10(水)東京・春・音楽祭 ルネ・パーペ・リサイタル

        東京文化会館小ホール  7時

 おなじみの名バス歌手ルネ・パーペが、来週の「エレクトラ」出演を前にリサイタルを開いてくれた。ピアノの協演はカミッロ・ラディケ。

 プログラムは、第1部にモーツァルトの「小カンタータ《無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが》」K.619と、ドヴォルジャークの「聖書の歌」。第2部にクィルターの「3つのシェイクスピアの歌」Op.6と、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」。

 御贔屓のルネ・パーペ、近年は恰幅も貫禄を増して堂々たる風格の立ち姿。声も全盛期のそれとは少し異なって来たものの、重量感とスケール感は昔に変わらない。モーツァルトの小カンタータでの豪壮さと物々しさは、パーペならではの迫力だろう。
 「聖書の歌」でも、第6曲「おお主よ、わが祈りを聞き給え」の中ほど、「神よ!」の一言で曲想が変わる個所での、容を正したかのような圧倒的な気高さと偉容感たるや、ちょっと他の歌手からは聴けないような凄さであった。

 ただ、最後の「死の歌と踊り」は、ベルリン州立歌劇場やMETで「ボリス・ゴドゥノフ」の題名役を歌ったこともあるパーペのことだから(いずれもなかなかのものだった)期待していたのだが、重量感はあるものの、凄味は思ったほどではない。

 アンコールには、R・シュトラウス「献呈」と、シベリウスの「フィンランディア賛歌」もしくは讃美歌第298番「安かれわが心」(春祭のHPでの表示は後者だが、パーペは「シベリウス」とアナウンスしていた。どちらの歌詞で歌われていたのかは、私は聴き洩らした。しかし、改めて聴くと、いい曲だ!)、それにシューマンの「子供のための歌のアルバム」Op.79からの第21曲「子供の子守」。

 ピアノのラディケも、パーペの歌唱に合わせた重厚な表現の演奏。いいリサイタルだった。

2024・4・7(日)東京・春・音楽祭 「ニーベルングの指環」ガラ

       東京文化会館大ホール  3時

 マレク・ヤノフスキがNHK交響楽団を指揮して、ワーグナーの「ニーベルングの指環」抜粋を演奏した。「ラインの黄金」からは「神々のヴァルハル入城」、「ヴァルキューレ」からは第1幕第3場の全曲、「ジークフリート」からは「森のささやき」と第2幕の終曲、「神々の黄昏」からは「ブリュンヒルデの自己犠牲」━━というプログラム構成である。

 歌手陣は、マルクス・アイヒェ(ヴォータン)、ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(ローゲ、ジークムント、ジークフリート)、エレーナ・パンクラトヴァ(ジークリンデ、ブリュンヒルデ)、岸浪愛学(フロー)、杉山由紀(フリッカ)、冨平安希子(ヴォークリンデ)、秋元悠希(ヴェルグンデ)、金子美香(フロスヒルデ)、中畑有美子(森の小鳥)。コンサートマスターはヴォルフガング・ヘントリヒ。

 満席の演奏会、流石にヤノフスキとN響のワーグナーの人気のほどを物語る━━ではあったが、先日の「トリスタン」に比べ、同じ指揮者、同じオーケストラとは思えぬくらい、何故か今日は、最初のうち演奏が粗かった。「ラインの黄金」など、どうしたのかと訝られるほどガサガサとして雑然たる演奏になっていた。練習不足か? 
 それにアイヒェも、先日のクルヴェナールとは打って変わって不愛想な歌唱だし、舞台裏で歌っている「3人のラインの乙女」のハーモニーのバランスの悪さと来たらモティーフの旋律線も曖昧になるほどだ。こうした状態なので、1曲目は甚だ落ち着かぬ雰囲気の中に終ってしまった。

 だが幸いにも「ヴァルキューレ」以降は次第にN響のアンサンブルも整い始め、「神々の黄昏」ではさすがの底力を発揮して、見事「救済の動機」を以て締め括った。声楽の面でも、ヴォルフシュタイナーとパンクラトヴァの2人だけが主役になった2曲目以降では、ワーグナーに相応しい声が鳴り響いていた。お客さんも正直なもので、1曲目と、それ以降の3曲とでは、拍手の熱量もブラヴォーの量も、全く違っていた。

 その歌手陣では、ヴォルフシュタイナーが、全4曲のうち3曲に登場するという大車輪ぶり。パンクラトヴァも安定した歌唱で、来週の「エレクトラ」への期待を持たせるのに充分であった。脇役の日本勢も、よく張り合っていたと言えるだろう。

 20分の休憩1回を入れて3時50分(※4時50分ですね、失礼)に終演。周囲からは「短いねえ」という声も聞こえたが、たしかに「ヴァルキューレの騎行」なり「ジークフリートの葬送行進曲」なり、オーケストラのみのものも1曲ぐらいは聴きたかったなという感がないでもない。

 だが今回は、字幕については全面的に不満がある。どなたが担当だったのか、クレジットがないので不明だが、総体的に、文体に人間味が皆無で、主人公の感情の動きが反映されていないのだ。字幕は演出の一部なのだから、その表示部分のひとつひとつに、ドラマの筋や底流が一瞬にして読み取れるような表現が織り込まれていなくてはならない。「指環」にはあまり詳しくないけれどもこの演奏を楽しみたいと思って訪れた聴き手が今日の字幕を読んで、「指環」の中でそれがどんな場面に当たっているのか、登場人物たちがドラマの中でこの時どんな状況に置かれているのかということを、果たして明確に理解できただろうか?、

2024・4・5(金)カンブルラン指揮読響4月定期 メシアン他

        サントリーホール  7時

 桂冠指揮者シルヴァン・カンブルランが登場、マルティヌーの「リディツェへの追悼」、バルトークの「ヴァイオリン協奏曲第2番」(ソリストは金川真弓)、メシアンの「キリストの昇天」を指揮。コンサートマスターは林悠介。

 読響がこんなに清澄で透明で気品のある音色の演奏を聴かせてくれたのは、いつ以来か。
 第2次世界大戦で独軍の暴虐の犠牲となったチェコの村リディツェの人々を悼んだマルティヌーの「リディツェへの追悼」では、信じられぬほど透き通った弦楽器の祈りの響きに驚嘆させられる。そしてメシアンの「キリストの昇天」では、弦楽器群と管楽器群のそれぞれ見事に均衡を保った美しい響きに、この作曲家への魅力を新たにさせられた。
 そして、その間に演奏されたバルトークの協奏曲でも、ソリストの金川真弓の実にスケールの大きなソロと、それを包み込む堂々たるオーケストラの音色に感嘆する、という具合。

 カンブルランと読響とは本当に相性がいい関係なのだ、とまたもや認識させられた、素晴らしい演奏会であった。今回のカンブルランの読響での指揮がこの日だけ、というのはあまりに残念である。また是非指揮しに来て下さい。

 今日は午後、田園都市線の藤が丘駅の近くの会場で「ドイツオペラの歴史」というテーマで映像入りの講座を一席やっていたので、この演奏会には間に合うまいと思い、一時は諦めていたのだが、算段して聴きに来て、よかったと思う。こういうオーケストラ演奏会には、なかなか巡り合えないだろう。
 また、こんな渋いプログラムなのに、お客さんが結構入っているものだな、と嬉しくなる。メシアンが終わったあとの拍手も、ブラヴォー入りで、極めて盛大だった。

2024・4・3(水)大野和士指揮東京都交響楽団第996回定期B

       サントリーホール  7時

 新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」を終えたばかりの東京都交響楽団と、その音楽監督・大野和士が、アルマ・マーラー~デイヴィッド&コリン・マシューズ編の「7つの歌」と、ブルックナーの「交響曲第3番ニ短調」(ノーヴァク版1877年第2稿)を演奏した。
 声楽ソリストは、これも「トリスタン」のブランゲーネを歌い終った藤村実穂子、コンサートマスターは矢部達哉。

 これは、めったに聴けないようなプログラムだ。
 アルマ・マーラーの「7つの歌」は今回が日本初演の由。甘美な叙情的要素の強い歌曲集で、美しさの点では出色とも言える作品だが、それ以上のものは感じられない。藤村実穂子の深々とした素晴らしい歌唱のおかげで最後まで聴けたという印象だ。

 ブルックナーでは、ふだんあまり演奏されない「ノーヴァク版第2稿」が聴けたのが嬉しい。
 一般に演奏される「第3稿」は、バランスもよくまとまってはいるが、あまりに整理され過ぎていてスリルに欠ける。一方、第1稿(初稿)は、八方破れの面白さに満ちているものの、些か乱雑で手が付けられないような趣もあるだろう。エーザー版は中庸を得て悪くはないが、それよりもこの第2稿は、スケルツォ楽章の最後に他の版では聴けない終結部がついていたりして、ちょっと変わった面白さがある。

 大野和士は東京都響を率いて、極めて推進力に富んだ演奏を聴かせてくれた。オーケストラの細部にはやや粗さが残るが、これはもし公演が2日あれば、2回目の演奏では改善されるであろうという程度のものであろう。
 むしろ特筆すべきは、第2楽章以降で大野が示した構成力の確かさだ。とりわけ第4楽章での、ブルックナーの少しまとまりを欠く音楽構築を巧みに補い、クライマックスに導いて行った指揮は非凡なものであった。

 カーテンコールは延々と続き、オーケストラが退場してからも、指揮者を呼び返すための拍手は止まなかった。肝心のマエストロ大野の方はと言えば、早々に指揮者控室へ戻ってシャワーを浴びているといった有様である。そんなことを知らぬ客席の聴衆は、諦めることなく拍手を続けている。ついにマエストロは、とりあえず着る物を引っ掛け、上衣を変な風ながらもとにかくまとって格好をつけ、舞台袖の人々の笑いの渦の中、なんとかステージへ出て行って答礼していた。風邪をひかなかっただろうか、と心配になる。

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