2024-03

2011・9・10(土)川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団

  愛知県芸術劇場コンサートホール  4時

 期待の若手の1人、川瀬賢太郎が名古屋フィルの「指揮者」に就任して、今回が最初の定期にあたるということなので、聴きに行ってみた。

 名古屋駅前から乗ったタクシーの運転手氏が、こちらからは何も言わないうちに「26歳であのオーケストラの指揮者になるなんて、凄い人なんですね」と、いきなり話しかけて来たのには驚き、嬉しくなる。
 時々こういうタクシー運転手がいるから面白い。先日など、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に留学して歌の勉強をしたことがある、と話す運転手殿に出会ってびっくりしたことがあるが・・・・それはまた別の話。

 今日の定期のプログラムは、伊藤康英の交響詩「ぐるりよざ」、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」(アルトのソロはマリア・フォシュストローム)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。2日公演の2日目である。

 入魂の指揮と、手ごたえ充分の演奏は、やはりニールセンだ。
 川瀬賢太郎らしく丁寧かつ端整な指揮で、いかなる激烈な個所においても音楽の形を崩さず、剛直なほどしっかりした構築を守り抜こうとする。音色づくりが非常に明晰なので、重要ないくつかのモティーフがはっきりと浮かび上がり、曲の構成が実に見通しのいいものになる。
 ただ、その響きは弱音の個所では極めて清澄で美しいのだが、最強奏の個所に来ると非常に硬く鋭い音塊と化し、内声の動きも何も判別し難くなるという傾向もある。これがホールのアコースティックの所為なのか、あるいはこちらが座った席(2階正面)の所為でそう聞こえるのかは断じ難いが。

 とはいえ、総体的には聴き応えのある「不滅」であった。
 名古屋フィルも起伏の大きな演奏を繰り広げてくれた。第3楽章での木管――特にクラリネットとファゴットは絶品であり、フィナーレでの2人のティンパニ奏者も――今回も上手側と下手側に対向するように配置されていた――もちろん大活躍であった。但しこのティンパニ、もう少し響きに奥行感を持たせ、オーケストラを打ち消さぬよう、バランスに工夫を凝らしてもよかったろう(2階席で聴いた範囲で、だが)。

 1曲目の「ぐるりよざ」も、先日彼が東京の別のオーケストラを指揮した時よりもダイナミックな流動感を備えた演奏で、多彩な面白さを感じさせた。
 かようにオーケストラを巧くまとめるという点では、彼の指揮は、聴くたびに成長が感じられる――といってもまだそれほどたくさん聴いていないから、口幅ったいことは言えないのだが。

 しかし、問題は歌曲だ。
 オケと歌が表向きは合っているように見えても、音楽の深層ではチグハグな印象を免れないのである。なるほどオーケストラは叙情的でふくよかで美しい。が、歌の息づきに呼応する柔軟で伸縮自在の呼吸に不足するというか、歌詞における感情の起伏とは無関係に終始イン・テンポの演奏が続けられたというか、――要するにすこぶる単調な「亡き子をしのぶ歌」に聞こえたというのが、偽らざるところである。アンコールとして歌われた「われはこの世に忘れられ」でも同様であった。

 そういう問題を別とすれば、川瀬の名古屋フィル定期への「指揮者」就任後の初登場は、まず大成功を収めたようだ。カーテンコールでの楽員の反応も、好意に満ち満ちていたように見えた。

      モーストリー・クラシック12月号

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