2024-03

2011・9・25(日)バイエルン州立歌劇場 ワーグナー「ローエングリン」(東京初日)

   NHKホール  3時

 カウフマンに代わるタイトルロールはヨハン・ボータ、シュトルックマンに代わるテルラムント役はエフゲニー・ニキーチン。
 招聘元NBSは、このくらいの歌手変更は物の数ではないと見たか、ジャパン・アーツ(MET)とフジテレビ(ボローニャ)がお詫びの意味で実施したような公式プログラム無料配布サービスなどはせず、しかも3千円そのままで販売していた。いかにもNBSらしい。

 そのヨハン・ボータだが、「白鳥の騎士」ならぬ「白鳥の力士」などと巷で綽名される巨体はともかく、歌唱は良かった。第3幕の「聖杯の物語」での表現力に富む歌いぶりも、高音域のソット・ヴォーチェも、なかなか見事なものである。昨年ウィーン国立歌劇場で彼が「タンホイザー」を歌うのを聴いて、この人のワーグナーも結構良いじゃないかと感心したことがあるが、今回も期待を裏切らない出来栄えだった。
 但し、演技の方は相変わらずである・・・・。そこだけは、カウフマンのあの精悍なローエングリンが見られないのが残念だと思った点である。

 一方ニキーチンは、阿修羅の如き大奮闘で、敢闘賞もの。ロシア的発声でボリス・ゴドゥノフを堂々と歌う一方で、インターナショナルなスタイルでこういうワーグナーものを見事にこなすのだから、当節のロシア人歌手は器用なものだ。これで歌唱に多彩さが加わればいいのだが。
 来春の新国立劇場と、来夏のバイロイトでの「さまよえるオランダ人」のタイトルロールを、どう歌ってくれるだろう?

 しかし何といっても今回は、ワルトラウト・マイヤーが予定通り来日してオルトルートを歌ってくれたのが有難い。
 さすがに声は往年の輝きを薄れさせているものの、全曲最後の大見得をあれだけ破綻なく決められるのはたいしたものだし、だいいちこの複雑な性格の役柄をこれだけ巧みに表現できる歌手はそうそう居るものではない。この舞台を引き締めた最大の功績は、彼女のものである。今夜随一の拍手を浴びたのも当然であろう。

 エルザのエミリー・マギーと、ハインリヒ王のクリスティン・シグムンドソン、伝令のマーティン・ガントナーは、まあそれなりの出来。

 ケント・ナガノの指揮はいつも通り、端整で落ち着いて、羽目を外さない。このオペラの中では最後に書かれた第2幕での、ワーグナーの作曲技法の成熟を示す「緩・急・緩」を巧みに交錯させた構成の起伏感もよく再現されているし、何処と言って破綻はない。演奏には滔々たる大河の如き趣きもあった。だが私の好みから言えば、すべてにもっと引き締まった劇的緊迫感が欲しいところだ。
 音楽のカットに関しては、第2幕中ほどの合唱個所でのそれは最小限に留まっていたが、第3幕後半でのカットは、慣習的なものとはいえ、腹立たしくなるほど大きい。とはいえ、今回のような合唱団の水準では、スコア通り全部演奏されなくてもさほど残念ではないという気はしたが・・・・。

 その合唱(一応、バイエルン州立歌劇場合唱団)だが、エキストラらしい東洋人の顔が随分多数見られたのはともかくとしても、コーラス全体の音色やバランスが非常に粗く、響きにひどく隙間が感じられたのは落胆の極みである。合唱に並外れた雄弁さが求められるこの「ローエングリン」の場合、これは致命的と言わなくてはならぬ。特に細かいパートの動きが多い第3幕後半など、そのあまりの密度の薄さには、本当に情けなくなったほどである。

 オーケストラ(バイエルン州立管弦楽団)の方に、トラがどのくらい入っていたかは、私は知らない。ただ聴いた範囲で言えば、木管群の一部に頼りないところがあった以外は――全体にあのミュンヘンの劇場で聴くオーケストラの水準とはかなりの差が感じられるにせよ――こちらはまずまずの出来だったのではないか? 

 リチャード・ジョーンズの演出は、DVDで出たバイエルン上演ライヴでも観ることができる。が、実際のステージを観れば、ここの人物の演技と舞台全体との関連が理解できて面白さを増すのは当然である。映像で観ると、小細工がやたら目立ち、また例の如くやっておるわい、という印象も生じるが、ナマで観ればそこまでの違和感はない。

 ローエングリンとエルザは、一所懸命、小さな家を建てる。第3幕の初め、出来上がった別荘風の家に新婚として入居した2人の嬉しそうな表情! 私はどうも、この演出を最初に観た時から、小坂明子の歌「あなた」を連想してならなかったのだが・・・・あたかもこれは、「小市民の幸福」の物語に思える。
 幸せな家庭を夢見る女性エルザに、何が起こったのか? 新婚生活が男と女の性(さが)ともいうべきものにより瓦解した時、ローエングリンが採った行動は、マイホームに放火することだった――などと書けば、テレビドラマの番組案内であろう。
 もちろん、このジョーンズの演出コンセプトは、もっといろいろな要素を含んだ複雑なもので、それ自体はすこぶる興味深い。ただ、私もそれに関しては、今の段階ではまだ完全に整理が出来ていない。ひところ話題になった、学校のイジメを舞台にしたコンヴィチュニーの「学校ローエングリン」に対し、こちらは「市民ローエングリン」か、などという発想も、あれこれ去来する。

 一つだけ。今日の上演では、前記マイヤーのオルトルートがあまりに存在感があるために、終場面では「お前たちが古来の美徳に背くから、こういう悲しい結果になるのだよ」と、彼女が今日の世界に警告しているように思えてしまった・・・・。これが演出の意図に沿った解釈かどうかは別だが。
 ともあれ、歌詞内容と、実際の光景との甚だしい乖離は相変わらずだ。といって中世の騎士の軍団や、ネズミの大群を見せられるよりは、この演出、まだマシであろう。

 35分の休憩2回を挟み、7時40分頃終演。

コメント

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新婚、そりゃ、嬉しいだろニャア。東条センセもなかなか可愛いとこまでよく見ておられるニャリね。ミャハハ!本年バイロイトのねずみの大群、テレビで見えたが、ありゃ、ねこにもちと気色悪かった。このローエングリンも観たかったニャあ。それにしても日本で、インターナショナル、いろんなオペラ観られて丸ニャリ。

東条先生、こんばんは。

>オーケストラ(バイエルン州立管弦楽団)の方に、トラがどのくらい入っていたかは、私は知らない。ただ聴いた範囲で言えば、木管群の一部に頼りないところがあった以外は――全体にあのミュンヘンの劇場で聴くオーケストラの水準とはかなりの差が感じられるにせよ――こちらはまずまずの出来だったのではないか?

ホールが悪すぎます。バイエルンの歌劇場の音響は最高レベルですから。あと、合唱団は世界のどこよりも日本のほうが巧いと思います。(特別なときのスカラ除く。)

7月にミュンヘンで「トリスタン」を聴きましたが、合唱の迫力がなくて驚きました。もっとも、ナガノの指揮は、新国における大野和士の演奏が翳むほどの名演でしたが。

今後、海外歌劇場が万全の態勢で来られないことを考えると、いよいよ労働に勤しんで旅行資金を稼がなくてはなりません…(笑)

7月2日の公演を観た人間として、今だから言えること。
<<エルザのエミリー・マギーと、ハインリヒ王のクリスティン・シグムンドソン、伝令のマーティン・ガントナーは、まあそれなりの出来。>>、この公演自体が、上野駅の横で上演したら、まず良い成果は出たでしょう。
 特に、ガントナーは良かったのだから。
 エルザは、現地で最低1人、ブーイングを出した人がいたから、<<まあそれなり>>も理解できる。
 クリスティン・シグムンドソンは、元々の数年前にNBSで発表していたプログラム予告に従えば、ドンジョヴァン二の騎士長で出演するのなら、<<それなり>>に上野駅で成功したでしょう。
 とんでもない演出だから、グルベローヴァに差し替え演目になったのだから。やはり<<それなりの>>。
 エルザの心を追い詰めた心の小さな’しみ’がによってに一切触れていないとも言っていい舞台。
 唯一の頼りは、小さな’しみ’が巨大化して化けたシーンであるテルラムントに激しく唆されたときの、表情のみ。心の’しみ’が巨大化するのが、この作品の魅力でもあるから、自分は好きです。
 実は、このシーン、現地の劇場では、左側の座席からはまず表情が見えないところで、繰り広げられていく。左サイドの値段の高いカテゴリー(バルコニー)からでも。NHKホールでは見える。これは、NHKの利点。

 <<歌詞内容と、実際の光景との甚だしい乖離は相変わらず>>、そんなことを言ったら、(ブログの管理人様には申し訳ないけど)、前回来日の’マイスター’だって、チアガールは、ないでしょ。になってしまう。
 <<もっといろいろな要素を含んだ複雑なもの>>は、原演出は、DVDで観ることができるけど、面白いが、長続きしない演出とも思います。ブラバント王国の’規律’社会における幸せを感じたいエルザの’感覚’。
 規律と感覚(感性)の対比。という観点から捉えると、この演出は、善き清き心の世界と悪しき邪推した生き様の破局。本当に描いたといえるのかな。
 
描いているのはわかるけど、邪推した女の性(サガ)は、マイヤーからは強く感じさせる。マイヤーやシュースター以外でこの演出のこの個性をどこまで演じる歌い手が居るのでしょう。

29日の公演(皇太子殿下ご臨席)を聴きました。
原発事故の影響で紆余曲折の来日公演ですが、聴き終ってみると充実した内容で招聘元には感謝です。
1)ケント・ナガノ:緻密でありながら情感たっぷり、神々しいまでの指揮ぶり。オケに最善を尽くさせていた。本日の一番の功労者。
2)ポータ:輝かしい高音。驚異的なスタミナと声量で理想的なローエングリン。NHKホールでここまでやってくれるとは。演技なしで棒立ちで歌ってもらっても全くかまいません。
3)マイヤー:よくぞ来日してくれました。抜群の存在感。97年のイゾルデの歌唱がいまだに脳裏に焼きついていますが、もう一度日本でイゾルデを歌ってほしいです。
4)合唱:そう悪くはなかったという印象ですが、日独混成チームで波長が今ひとつあわなかったのでしょうか。

昨日のローエングリン

はじめまして
いつも参考にさせていただいております。
昨日のバイエルンの「ローエングリン」ですが
おっしゃるように、オーケストラは、私は抜群だったと思いますし、音の立体的構成は素晴らしかったと思います。
ソリストに関しては私はマギーまでは合格点をつけてしまいましたが、合唱に関しては
ソロに聞こえてきたのは、あれは演出上ではなく(もしかして市民に個性を持たせるという意味だと思っておりました)ただ単に、合わなかったということなんでしょうか?それでしたら、あまりにあわなさすぎたと思います。どうなんでしょうか?
後上の方がおっしゃるように、皇太子観覧なので、指揮者からして気合いが違っていたと思います。それは、始まる前を見れば一目瞭然。もう一度見たいのですが、無理です。金銭的にも、空席もないでしょうし。

ヨハン・ボタに変わったこと、かえって良かったかも。がたいの見栄えは、おデブだけど朗々と歌っているのは、とっても良かった。カウフマン、声量不足になるかも。
 カウフマンったら、予定になかったベルリンシュターツオーパーで、仕事入れてるし。復帰公演は、10月10日だったのに。10月7日前倒し復帰。バレンボイムのピアノ伴奏つき。カウフマンの人間性・社会性の無さだから。コミュニティの領分を知らないで生きているから幸せだね。10月下旬のMETのリサイタルの練習会。ソプラノつきの二重唱の夕べでベルリンでやるにしてもね。。。礼儀知らず。。。

 ヨハン・ボタって、その意味で質を保った救世主(ヨハンをヨハネと強引に引っ付けつつ)。
 マイヤーは、とりあえず日本で彼女のワーグナーレパートリーを全部消化。足掛け15年近くお疲れ様です。次は、クリテムネストラとかゲシュヴィッツ伯爵令嬢とか。60過ぎてから歌える役でやってきて欲しいな。多分ルルの中の役では来ない。

 K・ナガノで’RING'全部を聴きたい。モントリオールのオーケストラを使ってコンサート形式で日本で一気に上演する。実際向こうで、少しずつとりあげているのだし。
 今回、オペラでの来日だったので、「えー、こんなプログラミングがあり得るんだ!!!」をやらなかったので。「え!!」というプログラムで何か聴きたい。
 

二キーチン、やはりドイツものもいいけど。どこか軽いけど・重厚なフィリッポⅡ世や宗教裁判長も歌えそう。Verdiも歌えそう?

マギー、いつもいい線いっているんだけど、感動しないのは、なんで。これ、自分の好み??

演出、花園のような幸せ、いつでも維持できるわけではないから。いっそうのこと、禁断の問いに答えてしまったら、家に放火するんでなくて年’老’いた花’園’でお花畑を踏みつけにしていったら、題名役の体重で押しつぶせたのに。。

最後、題名役が、父親Parsifalの元に帰っていったら、群衆が’輪’をなすように死んでしまうのもとても、’愚’かな’輪(群集)’ように見える。

だから、’老’’園’’愚’’輪’=’ロー’’エン’’グ’’リン’=ローエングリン。
パロってしまえば、より秀逸。この劇場では無理。
だったら、いい子ぶりっ子といじめっ子いじめられっ子とウサギちゃんの絵も入ったあの演出も良いですね。DVDの世界しか知らないけど。


 
 

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