2024-03

2012・2・11(土)高関健指揮札幌交響楽団の「トゥーランガリラ交響曲」2日目

   札幌コンサートホールkitara  3時

 昨夜も雪が降り、マイナス7~10度と冷え込んだ札幌――雪祭りも今や酣で、大通公園やすすきの界隈は明るく華やかだ。観に行きたかったが、靴と足捌きに自信がないので止めにする。
 札響定期は昨日と同じプログラム。マチネーを聴いてから帰京しても時間的にさほど変りない。ならばいっそ、マエストロ高関の札響在任最後の定期を祝ってから、と思った次第。

 さすがに2日目の演奏となると、いっそうまとまりが良くなっている。
 初日より2日目の公演の方が出来が良くなるとは限らないが、このように初めて手がけるレパートリーの場合には、手探り状態の初日よりは、2回目の演奏の方に柔軟性が生じることが多いものだ。

 事実、「愛の歌第1」では昨日より造型的な構築性が増した。また「愛の展開」でも、バランスの良いつくりの裡に見事な盛り上がりを見せていた。
 昨日の演奏では、後半は一寸息切れしたのか、テンポの遅い個所では緊張感が不足する印象無きにしも非ずだったが、今日は「トゥーランガリラ第2」といい、「愛の展開」といい、「トゥーランガリラ第3」といい、音楽の弛緩は全くない。「終曲」での昂揚感も、昨日よりはずっと強く感じられる。

 もちろん中盤での「星たちの血の喜び」での熱狂も昨日と同様に見事だったし、トロンボーンとテューバとホルンのモティーフでの響きの素晴らしい均衡、全体の響きの柔らかさ、刺激的にも攻撃的にもならぬ叙情的な表情など、申し分ない。札響の演奏、見事だった。

 児玉桃のピアノも、原田節のオンド・マルトノも、昨日よりも更に主張の強いものに聞こえたが、特に児玉のピアノはオケを牽引するかのよう。音色に今一つ華麗な色彩感があれば、目も眩むような幻想を与えられたかもしれぬ。

 ただ、そうした造型的な構築が増した一方、演奏の表情は、昨日の演奏よりも些か真面目な――たとえば「愛の歌第2」など――ものに変わっていたようにも感じられる。
 これは、やはり高関健の個性のしからしむるところだろうか? 
 ベルリンで学び、カラヤンのもとで研鑽を積んだ彼は、日頃からどんな作品でもがっちりと隙なく論理的に構築して行く指揮に秀でた人だ。それゆえ、野性的な血の歓喜と法悦の表現ともいうべきこのメシアンの「トウーランガリラ交響曲」を指揮しても、やはり彼のその個性が出て来てしまっているのかもしれない。
 どこかに理性と論理性を備えた法悦の歌――? これはしかし、非難すべきことではなく、むしろ興味深い解釈のように私には思える。

 夜8時30分のANA便で帰京。さすがに満席である。

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