2024-03

2012・3・21(水)尾高忠明指揮札幌交響楽団の東京公演

   サントリーホール  午後7時

 私が全国のオーケストラを聴き歩いたこれまでの経験(とは口幅ったい言い方だが)だと、たいていの日本各都市のオケは、地元での演奏よりも、東京で演奏する時の方が凄い馬力を出す。
 しかし、たった一つ、明らかに逆の傾向を示すオーケストラがある――それが札響である。

 どうも東京公演での札響は、札幌のKitaraで聴く札響とは、何か違う。
 緊張しているのか? まさか。かつて尾高忠明の指揮で、英国のバーミンガムやエディンバラであれほど圧倒的な演奏を行なったことのある札響ではないか。
 それとも東京の汚い空気に馴染まないのか? もしかしたら札響のメンバーは、東京公演を地方公演と見做して、手を抜いているンでないかい、などという冗談ともつかぬ野次もあるくらいだが・・・・。

 理屈では解らない類の話をしていてもどうにもならぬ。
 とにかく今日はベートーヴェン・プロで、前半に「交響曲第7番」、後半に「交響曲第5番」という組み合わせ。

 いかにも尾高らしく、一切の誇張を排し、何のけれんもない直裁的な表現でひたすら作曲者の心に迫ろうとする姿勢がはっきりと感じられる演奏だ。
 弦は基本14型で、それほど大きな音は出さず、「5番」の大詰めでさえ、節度を弁えた音量のまま押し切る。激しい情熱は、古典的な均衡の範囲で燃え滾る。
 こういうスタイルによるベートーヴェンの交響曲を聴くのは、最近ではむしろ珍しいだろう。拍子抜けするか、耳が洗われる思いになるか。それは聞き手の好み次第だが、私としては、正直に言えば――その両方の印象を得た。

 だが、決して淡々と一瀉千里に演奏されたなどと言っているのではない。「7番」のアレグレットや「5番」のアンダンテ楽章における沈潜した緊張感は印象的だったし、とりわけ「5番」の第3楽章でハ短調が再現したあと――第230小節前後の個所でのクラリネットとファゴットの動きなどには、不気味で神秘的な雰囲気さえ漂い、この楽章の魔性的な特徴が見事に打ち出されていて、非常に感動的だった。

 札響の弦は、いつものようにしっとりとして瑞々しい。だが今日は木管に所々で不安定なものがあり、特にそれぞれの第1楽章でホルンが不調だったのは痛かった。当節、ベートーヴェンの交響曲でこういうケースがあると、ことさらに目立ってしまう。

 アンコールは、シベリウスの「悲しきワルツ」。1年前の東日本大震災の犠牲者の冥福を祈って、と尾高みずからアナウンスした。
 実は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」――これは尾高と札響の最近の「名作」である――が聴けるかと大いに楽しみにしていたのだが。しかし追悼の演奏とあっては、「フェスティーヴォ」というわけにも・・・・。
 

コメント

そうなのですね。

関東圏に引っ越して来た道産子として、これは絶対に聴きに行かねばと聴きに行きましたが・・・・・
まず、どうして7番を最初に持ってきたのかが良くわからず、最初の第1第2楽章では本当に椅子の中に崩れ落ちそうになるくらい、落胆しました。
聴き比べができるほど、札響の演奏を聴いているわけではないのですが、なんだかとってもがっかりしました。
東京で聴かれている札響のほうがダメなんですね。
しばらくぶりに聴いたので、メンバーもずいぶんと若返っているかんじもしましたが、それも関係あるのでしょうか?
残念ながら、私の耳には「誇張を排し」ているというより、「すでに息のない」音楽に聴こえて来てしまいました。

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