2024-03

2012・5・23(水)ダン・エッティンガー指揮東京フィルハーモニー交響楽団 
ショハット:オペラ「アルファとオメガ」

       サントリーホール  7時

 イスラエルの作曲家ギル・ショハット(1973~)が2001年に発表したオペラ「アルファとオメガ」の、コンサートスタイルによる日本初演(一部カットあり)。ヘブライ語歌詞による原語上演である。
 但し今日は2日目だから、本当の日本初演は5月20日の定期公演(オーチャードホール)でということになる。

 これは、アダムとイヴの物語のヴァリエーションともいうべきもの。あのエドヴァルド・ムンクが画いたリトグラフ集(20枚近い)に基づいたストーリーだというのも面白い。

 物語は、ある島に住む「最初の男と女」アルファとオメガに訪れた悲劇で、オメガは蛇の誘惑がもとで獣愛に陥り、半人半獣の子を次々と生む。
 従って、われわれ人類は彼らの子孫なのであり、「人」と「獣」との両性を備えた存在なのである――という、少々やり切れない自虐的な象徴的内容だ。
 オメガの母親としての苦悩や、裏切られたアルファの絶望と怒りと復讐なども、詳細に描かれる。大詰めでは、怒りに駆られて母オメガを殺した父親アルファを、今度は子供たちが殺す。人間の性(さが)の暗部を抉り出した物語である。

 それゆえ、プログラムに掲載されている翻訳解説も、「この世に残るのは、屈折した欲情、禁じられた行為により出現した新しい人類」(アルデン)、「獣との混血児の心に真実の愛が芽生えることがあるのだろうか」(ヘルマン)といったように、このドラマに悲観的な現世と未来とを見る。

 ただし、ショハットの音楽は、最後の最後にいたって、「それでもまだ希望は残されている」といった雰囲気の音調をも感じさせる。――といっても、それが映画「博士の異常な愛情」ラストシーンと同じような逆説的音楽効果なのだと解釈されるなら、何をかいわんやだが・・・・。
 (この大詰めの音楽が、何となく一時代前のミュージカル――たとえばR・ロジャースの「回転木馬」終場や、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」終場――のような趣きを呈しているのが笑える)。

 音楽は、ポスト・モダニズムの範疇というか、その中でもごく中庸を得たスタイルと言えようか。
 シェーンベルクの「グレの歌」冒頭にも似た官能的な開始部を除けば、ほぼ全篇、阿鼻叫喚、怒号咆哮の、分厚い響層の連鎖だ。ダン・エッティンガー指揮する東京フィルが、終始轟々と鳴り渡る。オケ自体は、いい演奏だった。

 このオケの大音響は、舞台前方に位置した歌手陣――ヨタム・コーエン(アルファ、T)、メラヴ・バルネア(オメガ、S)、エドナ・プロフニック(蛇、Ms)の声の大半をかき消してしまう。P席に配置された新国立劇場合唱団も、聞こえない個所が多い。
 ところが一方では、脇役の邦人歌手たち――青山貴(虎)、児玉和弘(ロバ)、原田圭(豚)、畠山茂(熊)、大久保光哉(ハイエナ)らのうち、特に最初の4人の声は、えらくよく響いていたのだ――。
 もしや、日本人勢にはPAが使われたのかと思って、終演後の楽屋で制作スタッフに問い合わせたところ、むしろ逆で、日本人歌手の「ほうには」PAは使っていない、との返事なのであった。現場でのこの聴感上のアンバランスは実に不思議で、今でも合点が行かないのだが・・・・。

 ともあれ、面白いオペラを日本初演してくれたものである。この姿勢と、演奏者たちすべての力演を讃えたいと思う。

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