2024-03

2012・6・28(木)レオシュ・スワロフスキー指揮スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団  

    サントリーホール  7時

 昨日と同じオーケストラを、今度は常任客演指揮者のレオシュ・スワロフスキーの指揮で聴いてみる。同オケの今回の日本公演で彼が振るのは、今夜が初めて。残り2回の公演も彼が指揮する。
 プログラムは、スメタナの「売られた花嫁」序曲、ドヴォルジャークの「チェロ協奏曲」(ソロはガブリエル・リプキン)と「第8交響曲」、アンコールとして同「スラヴ舞曲」の「作品72の7」と「46の1」。

 1曲目が始まった途端に、前夜とはオーケストラのアンサンブルや音色がガラリ一変しているのに驚いたり、やっぱりそうだろうなと思ったり。
 響きが緻密になり、均衡が備わり、指揮者がオケを完全に掌握しているのが明確に解る。音楽づくりも老練で要を得ている。その点では、当然ながら若い三ツ橋敬子とは格段の差がある。

 ただ、贔屓目ではないけれども、スリル感や解放感、オーケストラの自由で生き生きした感興――といった点では、前夜の、彼女が指揮した演奏の方が遥かに面白かったな、という気もしたのであった。
 老練スワロフスキーの指揮は、破綻のない立派なものであることは確かなのだが、些か真面目できちんとしていて、渋いのである――特に「売られた花嫁」序曲では。

 「第8交響曲」では、もう少し面白くなった。第2楽章までは未ださっきと同様な感触を得たが、第3楽章からは、音楽に温かい情感が溢れ始めた。このアレグレットは、すこぶる艶やかな演奏だった。
 フィナーレは――この楽章は、あの「ドライ・ボーンズ」みたいな個所をはじめ、何度聴いても可笑しな曲だが、今夜の演奏もリズミカルで痛快で勢いもあって、愉しめた。スワロフスキーはかなり精密に音のバランスをつくっており、第4楽章【D】のソロ・フルートの背後でフォルテピアノからピアニッシモに消えて行くトランペットの絶妙な音量、あるいは【N】でチェロの背後に音を刻む2番ファゴットの明確な響き、また【O】での第1ヴァイオリンとチェロ&コントラバスの声部の美しい対比など、作曲者の筆致の巧さを再認識させてくれる演奏を聴かせてくれたのである。

 「作品72の7」でも、急速なコロ舞曲における主題の浮き沈みや音色の明暗の変化の妙、木管の精妙なバランスなど、いや巧いの何の、お見事。
 「46の1」冒頭で弦の主題よりも管を強く出す解釈にはちょっと驚いたが、これは以前ソヒエフがトゥールーズと来た時にもやっていた手だ――あの時は「やり過ぎか、洒落か?」と思ったが、スロヴァキアのオーケストラまでがそんなことをやるとは、意外だった。

 コンチェルト。
 リプキンは例の如く個性的なソロで、荒々しく奔放な表情も交え、しばしば極度に遅く誇張したテンポを採って、この協奏曲を時に解体の一歩手前まで追いつめて行く。それは非常に興味深いが、一面煩わしく感じられることもある。
 スワロフスキーは、その面妖なテンポにも、よく合わせていた。演奏終了後、楽員の半数近くがソリストへの拍手に参加していなかったが、その理由にまで言及するのは控えよう。
 リプキンは、アンコールにはリゲティの「無伴奏ソナタ」からの猛烈な「カプリッチョ」を弾いたが、こういう作品は流石に堂に入っている。

 なお、この協奏曲の演奏で、木管がしばしば強く浮き出て、時にはソリストの音を掻き消すほどになり――つまりそこは「聞き慣れない曲になる」。こういうケースは前夜の演奏でも何度か聞かれたので、特にスワロフスキーの癖というわけではないらしいが・・・・オーケストラの癖なのか? ちょっと変わっている。

 前夜も今夜も、客席は満杯に近い。若い聴衆が多かった。

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