2024-03

2012・10・27(土)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団  創立50周年記念委嘱作品初演 他

   サントリーホール  6時

 その「創立50周年記念委嘱作品」であるドイツの現代作曲家ハンス・ツェンダーの「般若心經」(約15分)が前半に「世界初演」され、細川俊夫の大作「ヒロシマ・声なき声」(約70分)が後半に演奏された。
 カンブルランと読売日響の、極めて意欲的な企画である。こうした演奏会への客の入りが必ずしもよろしくないのは残念だが、しかし今夜ホールにやって来た人たちは、熱心な聴き手だったと思う。

 「般若心經」には、バス・バリトン(大久保光哉)のソロがつく。
 私の家は仏教ではないから、お経についてはからきし無知である。聴く前には、まさかあの黛敏郎の「涅槃交響曲」の路線をいまさら後追いするのでは、と冷や冷やしていたのだが、さすがツェンダー、声楽パートにも飛躍する音程を多用し、音色や響きの対比を鋭く強調して、彼らしい感覚の世界を創り上げていた。ヴァイオリンを欠いた編成による弦楽器の音色も、沈んだ陰翳を示して印象的だ。
 ただ、かつての前衛作曲家ツェンダーも、随分円熟しておとなしくなったのではないか、という点では、周囲の知人たちとも意見が一致した。

 細川俊夫の「ヒロシマ・声なき声」は、大作だ。この「5楽章版」は、2001年にカンブルラン指揮のバイエルン放送響によりミュンヘンで初演されたもの。
 アルトのソロ(藤井美雪)、朗読(明野響香、谷口優人、トーマス・クラーク)、合唱(ひろしまオペラルネッサンス合唱団)が協演している。

 細川作品としては珍しいほど「洪水のような音響」(作曲者の解説文から)が多用されている曲である。特に第2楽章「死と再生」では、その激しいオーケストラの響きとともに、3人の朗読者が悲劇の瞬間を回想した子供たちの異なる手記(「原爆の子」から採られた)を「同時に」読み上げるという手法が展開されて、極めて凄味のある効果を出していた。
 その一方、第4楽章「春のきざし」で、アルト・ソロの背景に流れる神秘的かつ叙情的な音楽は、まさしくこれまで聴きなれた、私の好きな細川の世界である。第5楽章「梵鐘の声」の終結も、風のような音とともに虚空に溶解して行く、あの細川トーンで閉じられる。

 全曲70分という長い曲だったが、私は全く長さを感じなかった。ツェンダーの新作よりも、こちらの方が遥かに感銘が深かったというのが正直なところだ。2人の作曲家はいずれも今夜客席にいて、演奏終了後には舞台に上がって長い拍手に応えていたし、それぞれに敬意を払わなくてはならないけれども。
 ともあれ、指揮者もオーケストラも、協演者たちも、みんないい演奏を聴かせてくれた。広島から参加した合唱団にも賛辞を捧げたい。

 今年8月6日に、広島でカンブルランと読響とこの合唱団がモーツァルトの「レクイエム」を演奏し、原爆投下直後の凄惨な光景を語る詩を吉川晃司が朗読したのを聴きに行ったが、ほかならぬ広島の地で聞くそれは、襟を正したくなる気持にさせられる。今夜の作品も、もし広島で聴いたとしたら、さらにただならぬ精神状態に引き込まれたことだろう。

コメント

東条先生、お疲れ様です。
関西在住ですが、27日のカンブルラン/ヒロシマ、28日のインバル/マラ3とハシゴしました。

マラ3は大変な名演でしたが、満員の聴衆のマナーの悪さが目に(耳に)つきました。私語や寝言(!)が聞こえ、二階席では二楽章途中に客同士の諍いまで起こる始末…一階席の私にまで聞こえるほどでウンザリしました。

それに対して、ヒロシマのお客さんの素晴らしかったこと!
スカスカの客席から察するに、好き者だけが集まったという感じなのでしょうが、完全なる静寂の中でこそ活きる楽曲なのを皆さんがきちんと理解していたようです。
楽曲、演奏、聴衆のすべてにおいて最高級のものが集った、まさに神公演でした。
いわゆる現代音楽のコンサートで、これほどのブラボーが飛んだのも経験ありませんし、私自身がこれほど感動したことも他にありません。
重いテーマの作品ではありますが、いろいろな意味で胸が熱くなった夜でした。
作曲者と演奏者の皆さんに感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいです。

10月22日公開リハーサル(於:広島・アステールプラザオーケストラ等練習場)

「ヒロシマ、声なき声」は2005年、広島で日本初演されました。戦後60周年・原爆投下60周年の年です。当時、予習なしに初めて聴いた第1楽章と第2楽章のインパクトは非常に大きく、特に第2楽章での女児1名、男児1名による日本語とアメリカ人1名による英語の朗読は音楽や相互の朗読に消されて全ての内容は聴き取れないものの、その淡々とした朗読ぶりにかえって胸が詰まる思いでした。原爆当日のことを子どもが6年後に書いた作文の朗読ですが、作文は親など年長者のことを引用している部分が多く、70年代までは残っていた広島弁独特の敬語が散りばめられている点にも感銘を受けます。今では使わくなった敬語です。時代が変わり多くの良きものをなくしてしまったのかも知れないという喪失感も感じさせます。

今回の東京公演は残念ながら聴くことが出来なかったのですが、10月22日の広島でのピアノ伴奏による合唱団リハーサルを聴きました(公開・無料リハーサル・第一楽章はなし・細川俊夫さんのレクチャー付き・07年から続いている細川さんのレクチャー・コンサート・シリーズ「Hiroshima Happy New Yea」の特別編という位置付け)。
7年前はオーケストラ演奏、今回のリハーサルはピアノ伴奏による合唱団と3人の朗読のみ(第1楽章は除く)という違いはありますが、合唱団はこの作品で海外公演(イタリア)も行い、7年間でこの作品をすっかり自分のものにしているという印象でした。公開リハーサル後のトークショーでも合唱団の代表の方たちはこの作品に対する理解が7年間で深まっていることを語っていました。

日本初演時に、頭に浮かんだのは「戦後、60年経って、広島はここまで復興したのだ」と思う一方、まだ「戦後が残っている部分もある。戦争による爪痕はなかなか無くならないものだ」と過去の1点(8月6日)と現在との比較でした。今回のリハーサルでは曲を聴きながら、原爆に思いが及ぶと言うより、昨今の国内外の様々な情勢(アラブ諸国の動き、日本の周辺国とのギクシャクした関係、そして3.11などなど)に想い・イメージが広がりました。作品そのものはこの7年間で変わっていないのに世界にいろいろ変化があることで曲に新しい意味が加わってくるという印象でした。

東条さんの日記で東京公演の成功を知りうれしい思いでした。この作品は何度も再演されるべき作品だと思います。多くの方に聴いて頂きたいと思います。

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