2024-03

2013・1・23(水)新国立劇場 ワーグナー「タンホイザー」初日

    新国立劇場オペラパレス  5時30分

 2007年10月にプレミエされたハンス=ペーター・レーマン演出によるプロダクションの再演。今回はコンスタンティン・トリンクスが指揮、東京交響楽団がピットに入った。

 何とももどかしい限りだが、今回も、オーケストラの音は、ひどくか細い。弦の音は紙の如く薄い。第3幕序奏や「エリーザベトの祈り」の個所での管楽器群の自信なげな吹きぶりは、一体どうしたことだろう。ステージでの東響からは考えられないような演奏である。
 最強奏で盛り上がる個所では、ある程度それなりの音を聞かせるが、弱音の個所になると、なさけないほど貧弱な音楽になる。
 しかもトリンクスの指揮が――いつものことだが――ダイナミックな個所ではなかなか壮大な音楽をつくるものの、テンポの遅い弱音個所では必ずといっていいほど緊張感を失う傾向があるので、第3幕などでは、その両者の弱点が、モロに露呈してしまう。

 これでは、とてもワーグナーのオーケストラにはならない。
 それに、いつも疑問に思うのだが、この劇場のオケ・ピットは「下げすぎ」なのではないのだろうか? オペラでのオーケストラは、単なる「伴奏」ではなく、歌と対等の位置でドラマを物語る役割を担っているのだから、劇場関係者もオケの音を日常的に改善して行くよう、早く対策を考えてもらいたいものだ。

 こういう音になるのは、オケ・ピットの音響特性のせいでなければ、指揮者のせいか、オケのせいか。かつてアルミンクと新日本フィルがここで「フィレンツェの悲劇」を演奏した時の、豊麗で沸き立つように美しかった弦の音色を思い出す。メルクルとN響が演奏した「指環」の重厚なサウンドをも思い出す。東響も東フィルも、いい音を出したことがある。となると、やはり指揮者のせい――ということになるのか?
 とにかく、「新国のオケの音」は難題である。新芸術監督、飯守泰次郎さんに、その解決をお願いしたい。
 今夜のトリンクスも、先月のベルリン・ドイツオペラでの指揮と共通したところもあり、別人のようなところもあり。彼の場合は多分、自ら音を巧くつくっているオケ相手でないと、力が出せない――まだそういう段階なのだろう。
 
 「歌」の方だが、――タンホイザーのスティー・アナセンは、ヘルデン・テナーの性格は充分あるものの、グラグラした歌い方で、題名役として音楽を引き締める存在感に不足するのが気になる。風邪だったという話も聞いた。
 彼の演技に関しては、なんせレーマンの演出が基本的に明快さを欠いているために、個々の分析はあまり出来ないけれど、第2幕冒頭でのいい加減とも見える演技(膝まづくあたり)が、もしタンホイザーがエリーザベトを軽薄になめきっていることを表わすのなら、悪くない演技力と言えるのかもしれない。だが全体を見ると、やはり、大雑把な演技というしかないだろう。

 ヴォルフラムのヨッヘン・クプファーは、第1幕ではやや怒鳴りすぎの傾向があったが、第2幕以降では、知的な詩人としての風格をよく表現した。
 エリーザベト役のミーガン・ミラーと、ヴェーヌス役のエレナ・ツィトコーワは、双生児のようなメイクと衣装と美貌で、この2役が一体であるというドラマの視点に沿った性格を巧く表現していた。ミラーは第3幕の「エリーザベトの祈り」での少し大芝居調の歌い方が気になるが、第2幕後半で突如騎士たちを圧する主導権を握る存在となる個所でのパワーは、なかなかのものだ。一方ツィトコーワは、これまで新国立劇場で演じた多くの役(オクタヴィアン、ブランゲーネ他)を凌ぐ出来と言っていいのでは?

 領主へルマンのクリスティン・ジグムンドソンは、長身と底力のあるバスで、これはもう貫禄である。
 その他の騎士たちは日本勢で固められ――ワルターは望月哲也、ビーテロルフは小森輝彦、ハインリヒは鈴木准、ラインマルは斉木健司という顔ぶれ。歌合戦で「出番のある」ワルター役の望月も健闘していた。
 演技の点では小森が非常に細かいところを見せ、タンホイザーとエリーザベトに対し終始、底意地悪そうな表情を隠さない、エリーザベトのとりなしに際しても独り最後まで剣を収めようとしないビーテロルフを巧みに演じていた。脇役がみんなこういう演技をしてくれれば、舞台も引き締まるのだが――。

 もっとも、最近好調の新国立劇場合唱団はしっかりした歌唱を聴かせており、第2幕での騎士淑女たちの演技も――何か恐ろしげなメイクだったが――ある程度の雰囲気を感じさせるものだった。この劇場が今最も誇れるものは、この合唱団であろう。
 バレエはもちろん新国立劇場バレエ団だが、メメット・バルカンの振付が何とも酷いものなので、これは問題外の外。
 そうそう、それから、牧童役の國光ともこが非常にいい歌唱を聴かせていた。新国立劇場オペラ研修所出身で、二期会会員だそうだが、楽しみである。

 第2幕後半の魅力的な大アンサンブルのカットなどについては、前回(2007年10月8日)の項や東京新聞批評欄などでかなり息巻いたから、もう繰り返さない。ドレスデン版、パリ版、ウィーン版という単なる便宜的な呼称についてあれこれほじくることも、此処ではもう止める。どんな版で演奏しようと、オーケストラが頑張ってくれなければ、何にもならない。
 9時半過ぎ終演。
 

コメント

ピットの高さ

いつも興味深く拝見しております。
僭越ながら、以前、バックステージツアーに参加した時に、案内の方が「ピットの高さ(深さ)は指揮者が決めます」とおっしゃっていました。なるほど、響きの最終責任は指揮者なのだな、と思いました。それに値する絶大な権限も含めて。

26日の公演を聴きました。
白眉は第3幕におけるタイトルロールの演技と歌唱。この日も咳をしながらの出演で初日と比較しての良し悪しははかりかねますが、少なくとも「大雑把」の一言で片付けられてしまうレベルの内容ではない。それは間違いない。今回のキャストの中で最も役柄が体に入っていたのはこの方です。その上、体調不良でも音程の崩れがなかった。立派です。私は彼を聴くのは全く初めてですが、元々こういう歌い口の方なのではないでしょうかね。最近の履歴ではローゲやヘロデ王といった役柄が多いようです。癖のある名脇役という立ち位置で最も適性を発揮される方のように思われましたが、道を踏み外した騎士というタンホイザーのキャラクターにも嵌っていました。
トリンクスと東響のコンビに関しては1年前のラ・ボエームはとても良かったので、どちらがどうとも言えません。合う時もあれば合わない時もあるでしょう。ここの木管セクションは個人的には在京一と思っていますが、第3幕では確かに「タイミングをはかりかねて吹きにくそう」という印象がありました。
私はワーグナーは大の苦手としており(戯曲としてのテキストが弱すぎて萎えてしまう)、タンホイザーを見たのも今回が初めてです。理想のワーグナー演奏像、理想のヘルデンテノール像、理想のタンホイザー像も持っていません。そういう白紙の立場から見た場合、今回のこのタンホイザーはとても面白かった。劇として成立していました。また、音楽も無駄なく潔い美しさがあると感じました。
失敗したくて舞台に立ったりピットに入ったりする人はいません。オーダーメイドの演奏も存在しません。ご自分が見たいもの聴きたいもの理想とするものが得られなかったことと、公演の○×は分けて考えるべきです。私のように基本的に他者の評を信用せず、自分の目と耳で確かめなければ気が済まないタイプは微動だにしませんが、他者のネガティヴ評を根拠にこの公演に興味を持ちながらも足を運ばない決断をしてしまう人がいるとするなら、それはとても残念なことです。

「タンホイザーについて、まだこの世には借りがあるな」

東条先生
二日目(1/26)の演奏も、直接音の来るはずの4F正面で聴いても、先生ご指摘の通り「薄―い」弦と、「色香に乏しい」管に変わりなし。テンポもかなりゆっくり目で、合唱のがんばりがなければ起伏に欠ける演奏でした。
ただし、3幕の頃には、これがトリンクスの狙いだったのか、あるいはこちらの耳が慣れただけなのか、それなりの緊張感と感動が得られたのは、やはりリヒャルト翁の曲の良さに起因するものなのでしょう。

風邪で不調のアナセン、途中何度も振り返って苦しい咳をするにもかかわらず、決め所だけはしっかりと押さえ、最後まで歌い通した姿勢はさすがプロ。ローマ語りなど、聖と性に加え「声」の葛藤に苦しむタンホイザー像に、妙に感情移入してしまった。見事な喉自慢だけでは感動できないところがこの曲の不思議なところ。
一方、エリーザベト(ミラー)は俗の際だつやや品のない声、またヴェーヌス(ツィトコワ)は地母神的な官能に欠け、ドラマの上での女性の持つ両面性のコントラストが声の面では逆転したのが残念。男性低音陣はまず安定。

それにしても、コンセプトもメッセージもないまま、だだっ広い舞台でシンメトリカルな配置に終始するレーマン演出には、なんの発見も感動も得られない。せっかくの舞台機構を使ってせり上がってきた列柱も、回転して十字架に変わるだけでは。。。

思えば、ベルリン国立歌劇場の引っ越し公演( スウィットナー指揮・エアハルト・フィッシャー演出)で、初のタンホイザー上演(初ワーグナーでもありました)に接して以来ちょうど30年目。個人的には、トリイゾと並び好きな作品だが、演奏・歌手・演出と三位一体となった上演に巡り会えることが少ない。
リヒャルト翁曰く、「タンホイザーについて、まだこの世には借りがあるな」

東条先生、ご無沙汰しています。
私は2月5日の公演を拝見しました。
なるべく他の方の評や意見を読んだり聞いたりしないで公演に向かう主義なので、今回も東条先生の評があるのを知りながら我慢して読まずに出かけました。
結果、第二幕半ばで、先生の評を読んだら来なかったかなあ・・・と。
あまりに静的な演出+指揮者とオケの不調(ということにしておきます。この指揮者を聴いたのは初めてなので)のせいで、まったく楽しめない舞台になってしまっていましたね。
ああいう動きのない演出は、昔のヨーロッパのワーグナー演出にはよくあったパターンだと思いますが、それにあの変化のないだらだらとした演奏が加わっては退屈この上ありませんでした。救いは第三幕冒頭からローマ語りのシーンまでの、3人の歌手の熱唱が素晴らしかったことですが、それもそのあとのヴェーヌスの敗退(?)で帳消しです。
新国がなぜこのプロダクションを再演する気になったのか?何回か上演するという契約があったのでしょうか?大きな疑問です。

新国立劇場「タンホイザー」(2月2日)

私にとっては「合唱団」につきる公演。「世界一の歌劇場合唱団の一つ」とも言うべき実力を示した公演だった。
カーテンコールではまず、ソリストたちがカーテン前でのご挨拶。
再度幕が開くと合唱団に対しての圧倒的な賞賛の拍手。カーテン前でのソリストご挨拶への拍手よりはるかに大きい拍手だったとの印象。
その後はソリストが一人ひとり出てくるので、特に外国人歌手を中心にそれぞれ大きな拍手はあったものの、もし、もう一度合唱団のみが挨拶する場面があればソリスト一人ひとり分を凌駕したかも知れない。
翌週の「愛の妙薬」での合唱も良かったが、比較においては「タンホイザー」の合唱の方が良かったと感じた。

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