2024-03

2013・1・31(木)ヤニック・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

   サントリーホール  7時

 シューマンの「ゲノフェーファ」序曲、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第2番」(ソリストは庄司紗矢香)、ブラームスの「交響曲第4番」というプログラム。

 ネゼ=セガン(ネジェ=セギャン?)は、キリル・ペトレンコやトゥガン・ソヒエフ、アンドリス・ネルソンス、ヤクブ・フルシャらとともに、私の御贔屓ライジングスター指揮者の一人だ。

 ロッテルダム・フィルの音楽監督に就任して4年半。既に彼の個性がこのオケに明確に刻印されているのが感じられる。それは、かつて首席指揮者として来日したデ・ワールトの端整な清澄さとも、ゲルギエフの豪壮な力感とも全く異なる、室内管弦楽団的な方向に引き締められた、瑞々しい弾力性を備えた響きである。
 しかもそれは、CDで聴くよりもずっと柔らかくて、ふくよかな拡がりをもった音なのだ(こういう音は、録音で忠実に捉えるのは難しいだろう)。

 最初の「ゲノフェーファ」序曲での、引き締まった響きの裡にシューマンらしく陰翳の豊かな叙情を溢れさせた演奏は、まさに見事そのものである。この指揮者はいい感性を持っているな、と陶然とさせられてしまう。
 プロコフィエフの第2楽章以降でのほの暗い音色、ブラームスの前半2楽章におけるしっとりした響きなども、同様だ。

 意外だったのは、ブラームスの交響曲において12・12・9・9・8という弦の編成(対向配置、コンバスは舞台正面奥に並ぶ)が採られていたこと。この第1ヴァイオリンの数の少なさ――もちろんよく聞こえはしたものの――と、それに比べての低弦の数の多さが、弦全体の音色をややくぐもった翳りの濃いものにし、響きを重厚にしていた原因なのかもしれない。
 だが、ネゼ=セガンは、協奏曲第2楽章での管弦楽パートを千変万化の音色で雄弁に語らせ、作品の性格によっては極めて多彩華麗なオーケストラ・サウンドを創れる指揮者であることをも実証していたのだった。

 それに何よりこの人は、演奏での「もって行き方」が巧い。「ゲノフェーファ」におけるテンポの動かし方、加速、クライマックスへ追い込んで行くストリンジェンド(次第に急迫して)の呼吸など素晴らしかったし、すべての曲での最後の「決め」のつくりの鮮やかさなど、さすがオペラの指揮でも定評のある力量である。アンコールはブラームスの「セレナード」の第6楽章。これも渋い活気だ。

 ソリストの庄司紗矢香も、いつもながらの魅力的な演奏だった。きらきらとする音色でのびやかに歌いながらも、張りつめた叙情美と緊迫度と造型感を些かも失うことなく、全曲を完璧にバランスよく構築するあたり、舌を巻く他はない。先頃のカシオーリとのベートーヴェンでは、常に似合わず何か持って回ったような演奏をしていたので気になったが、今夜はまたいつもの素晴らしい庄司紗矢香に戻っていた。
 ソロ・アンコールはバッハの「無伴奏ソナタ第1番」からの「アダージョ」。これも心豊かで美しい。オケの演奏会でソリストが長いアンコールをやるのは、私はどうも気に入らないのだが、こういう演奏なら全く文句はない。それどころか、いっそここで全曲聴きたくなったほどである。

     音楽の友3月号 演奏会評

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