2024-03

2013・2・10(日)ヤニック・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

    サントリーホール  2時

 東京芸術劇場でやっているサロネンの「春の祭典」ももちろん聴きたかったが、とりあえず今日はネゼ=セガンのラフマニノフの「第2交響曲」を聴きに行く。どちらも開演が同時刻――せめて片方が夜の開演時間になっていてくれれば、両方聴けるものを。

 但し今日は、ネゼ=セガンが体調不良で(腹をこわしたとか?)、前半のベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」は指揮者なしで、コンサートミストレスのマリエケ・ブランケスティンのリードにより演奏された。
 ソリストは、弱冠17歳のヤン・リシエツキ。音楽としては未だ完成途上だが、ストレートで真摯な演奏で、瑞々しい表情なのが好感を呼ぶ。オケとはアイ・コンタクトを交わしつつ進めていた(第3楽章の最初だけはちょっと危なかったが)。

 しかしオケの方も、今日の公演までに既に日本で3回も演奏を重ねていたのだから、基本は完全に出来上がっていたはずだ。たとえば第1楽章第22小節のフォルテと指定された3つの8分音符を、僅かにテンポを抑えつつ強調する方法など、明らかに指揮者によって既に決められていた演奏だということをうかがわせる。
 リシエツキのアンコールは、ショパンの「別れの曲」。

 後半のラフマニノフの「第2交響曲」では、約束どおり(?)ネゼ=セガンが、気のせいか、やや控え目な動作で指揮台に登った。
 だが、いざ演奏が始まれば、冒頭の哀愁に富む和音に籠められた色彩からして、何と濃厚で、しかも豊かな表情にあふれていたことか。

 そして、まさに圧巻としか言いようがない演奏だったのは、第3楽章のアダージョだ。ネゼ=セガンが創り出す音楽の、ふくよかで官能的な音色、フレーズごとに籠められた大きな息づきとカンタービレの見事さ。
 こういう言い方は照れ臭くて私はこれまで使ったことはないのだが、音楽が甘く切なく、吐息をもらし、無限の感情を籠めてすすり泣く――という表現がこれほどぴったり来る演奏を、私はかつて聴いたことがない。この楽章での演奏一つだけでも、ネゼ=セガンという指揮者がタダモノではないことが証明されているだろう。
 第3楽章が終ると、数人の聴衆から拍手が起こったが、手を叩いた人々の気持は解る。

 第4楽章の最後はさほど煽るテンポを採らず、確固とした造型を保って結んだ。このように過度な熱狂に陥らぬスタイルもまた、ネゼ=セガンの芸風の特徴の一つだろう。

 ネゼ=セガンは、楽章の合間ごとにペットボトルを手に取り、水分を補給しながら指揮。この奮戦ぶりに、全曲が終ったあとには、楽員たちも足を踏み鳴らしながらの大拍手。
 しかしこれは本当に、サロネンの「ハルサイ」を聴きに行った知人たちにも聴いてほしかったですね。繰り返すが、公演時間さえずれていれば・・・・。
 アンコールは、同じラフマニノフの「ヴォカリーズ」。これも名調子。

コメント

先生のブログでいつも勉強させて頂いております、一読者です。はじめまして。
先生が、ロッテルダムのラフ2とフィルハーモニアの春祭の公演時間がずれていれば、、という悔やまれている文章を拝見しましたので、恐れ多いとは思いましたが、ちょっと自慢げにコメントさせて頂きました。
ロッテルダムを2回(西宮と名古屋)、フィルハーモニアも2回(西宮と池袋)で聴きましたので、当然ラフ2も春祭も聴けました。 
時には、来日するオケが、平日東京のみ、というのがありますので、今回はラッキーでした。
これからもよろしくお願い申し上げます。

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