2024-02

2008・4・10(木)新国立劇場 ウェーバー:「魔弾の射手」

 序曲が始まる前に、台本にはなかった隠者の庵の場面が設定され、そこで隠者とアガーテがすでに知己の関係にあることが描かれる。アガーテはしばしば、隠者の生活に必要なものを時に届けに来ていることになっている。演出はマティアス・フォン・シュテークマン。

 オペラの最後の場面で隠者が突如出現、領主が宣告した狩人マックス追放をひっくり返すのはあまりに唐突ではないかという疑問を解決するには、これはいいアイディアだろう。
 とはいえ、この隠者が冒頭で悪夢にうなされ悲鳴を上げているというのは、いささか頼りない。そんなことでは、彼の超自然的な存在、もしくは村人から尊敬されている人格者としての威厳をだいなしにしてしまうのではなかろうか。とりわけラストシーンで、彼が悪魔ザミエルと対峙する存在として描かれる演出になっているからには(たとえこの両者が表裏一体と解釈されるにしてもだ)、なおさらである。
 まあ、これは、演出家の選択肢の問題だが。

 とはいうもの今回の舞台、おとぎ話的な物語としてストレートに演出されたものの中では、比較的よくできているだろう。
 そもそも妖怪変化の出現する狼谷の場面などは、まともにやって上手く行ったためしはなく、舞台装置を含めてどれも学芸会的な安っぽい見世物になるのがおちであった。それを避けるには、「森」から離れて抽象的な舞台にして逃げるか、あるいは昨年のザルツブルク音楽祭でのファルク・リヒター演出のように全く設定を読み替えた舞台(8月20日の項)で観客の裏をかくしかあるまい。
 しかし、このシュテークマンの舞台は、特に照明(沢田祐二)を巧く使い、魑魅魍魎が跋扈する狼谷の場をそれなりに面白く見せていた。ただ、悪漢カスパルが魔弾を受けて斃れる場面の演出だけは、どうも腑に落ちないけれども。
 その他、PAのエコーがらみのザミエルのセリフ落ちなど、いろいろ手違いのようなものはあったが、それはなんとか改善されるだろう。

 ソロ歌手陣に関しては、主役も脇役も、全体にあまり納得が行かない。マックス役のアルフォンス・エーベルツなど、こんなに旧式に喚くテノールだったか? アガーテのエディット・ハッラーも、もっといいソプラノのはずなのに、この日は少し調子を崩していたのかしらん。
 むしろ合唱団の方が面白かった。狩人たちのメイクと衣装が、狩人というよりジャングルの自衛隊員といういでたちだったのと、女性たちのメイクが妙に田舎っぽい(田舎の物語だから仕方がないにしても)のが気にはなったが・・・・。

 ダン・エッティンガーの指揮は、ところどころにテンポの誇張がありすぎるが、全体としてはロマン派オペラの解釈に妥当な線を行っているだろう。
 だが、問題はやはりオーケストラ(東京フィル)だ。たとえば、この作品で重要な役割を果たすはずのホルン群の、あの痩せた音はどうしたものか。管も相変わらず不安定だ。何年経ってもピットの中で腕の上がらないこの「東京国立歌劇場管弦楽団」には、もはや我慢も限界、不信任案を突きつけたい気持にもなってしまう。責任を自覚してくれない体制の契約オーケストラなら、交替していただくしか手だてがないかもしれぬ。どうなんでしょう?

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