2024-02

2008・4・11(金)ラドミル・エリシュカ指揮札幌交響楽団

  札幌コンサートホール kitara

 札響の本領を聴きたければ kitaraへ行くがよろしい、とは私の持論である。空気が良い。ホールが良い。ホールと一体化して創られた音色は、ここで最良のものを発揮する。日本の地方都市オーケストラは、たいてい東京で演奏する時には張り切って物凄いパワーを発揮するものだが、逆に地元での方が良い演奏をするのが札響である。

 それはともかく、大評判の裡に首席客演指揮者に迎えられたエリシュカの指揮を、その札響で聴いた。プログラムはヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番(ソロ:伊藤恵)、ドヴォルジャークの交響曲第6番。

 エリシュカの指揮も、予想通り先日の東京都響との演奏とは格段の差。気持の上で相性が良く、しかも一所懸命、真剣に演奏する札響との演奏は、音も美しく、決して無用に力みかえったりすることがない。作品の性格によることもあろうが、先日の都響との演奏を聴いた際のエリシュカの指揮の印象は、若干修正する必要がある。その音楽はいかにも瑞々しくしっとりしていて、まさにチェコの指揮者たちのよき伝統を今に伝える音楽家なのだ。今日の演奏には、先日のような古武士的な豪快さは全くといっていいほど感じられなかった。あのチャイコフスキーは何だったのだろう? しかし、芯の通った揺るぎない風格が音楽にあふれていることだけは共通している。

「タラス・ブーリバ」の演奏は、リハーサルでの美しさとしなやかさに比べて些かぎこちなかった(翌日の演奏は良かったということである)。
 だが、たとえば3曲目の、ヤナーチェク特有の和声が津波のように押していく個所で、弦楽器群にびっくりするほど瑞々しくエロティックな表情が顔を覗かせるあたり、指揮者との呼吸の良さが窺われるだろう。
 協奏曲に入るとオーケストラは、室内楽的な端正さに転じた。伊藤恵も、たとえばシューマンなどで聴かせる柔らかさとは異なった透明で明晰で、時に禁欲的にさえ感じられるアプローチでモーツァルトを聴かせてくれる。それらは清澄で鮮やかなものではあったが、一面ではある種の冷たさが漂っているようにも聞こえ、演奏家たちが持つさまざまな側面を垣間見たような気がして、なかなか興味深かった。

 この古典派の作品を経由したためだろうか、ドヴォルジャークの交響曲では、札響はしなやかな動きを取り戻した。エリシュカもチェコの指揮者らしい情感を存分に発揮する。作品にどっしりした安定感がみなぎっているのは、彼のテンポの適正さによるものだろう。少しも不自然な、無用に強調したところがないが、さりとて無骨で融通の利かないものでもない。第3楽章の最後にかけての自然で快い加速など、この指揮者のテンポ感覚の見事さを感じさせるものであった。
  北海道新聞(4月23日)演奏会評

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