2013・11・24(日)日生劇場開場50周年記念公演 「フィデリオ」
日生劇場 2時
飯守泰次郎指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団がピットに入る。演出は三浦安浩、舞台美術は鈴木敏朗。
上演2日目の今日は第2キャストで、レオノーレを並河寿美、フロレスタンを今尾滋、ロッコを斉木健司、マルツェリーネを三宅理恵、ヤキーノを升島唯博、ドン・ピツァロを須藤慎吾、ドン・フェルナンドを大沼徹。合唱は田中信昭指揮のC・ヴィレッジシンガーズ。
50年前の10月、ベルリン・ドイツオペラの大規模な引越公演によるベートーヴェンの「フィデリオ」上演で杮落しをした日生劇場――カール・ベームの指揮、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーの演出に、クリスタ・ルートヴィヒ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ワルター・ベリー、ヨーゼフ・グラインドル、ジェームズ・キングらにより演じ歌われたステージは、まさに圧巻だった。
あのベルリン・ドイツオペラの初来日は、われわれ日本のオペラ・ファンに、演技と演奏の両面におけるアンサンブルというものの重要さと、ドラマの深層を抉り出す演出の面白さとを初めて教えてくれた画期的な大事件だったのである。
そのわが国オペラ史上空前の大イベントを企画し制作した日生劇場が、杮落しと同じ演目「フィデリオ」を、今度は記念事業として、すべて日本人の手で上演した。いわばこれは、わが日本の演奏家とスタッフによる「50年前」への恩返し、あるいは挑戦ともいうべき意義を持つ公演のはずだったのだ・・・・。
しかし実際は、それにふさわしい舞台が達成できていただろうか?
新日本フィルは薄手の音ではあったものの、飯守泰次郎の指揮で、とにかく第2幕冒頭では暗澹たる牢獄の絶望感を出し、「レオノーレ」序曲第3番や全曲のフィナーレでもそれなりの演奏をした。歌手陣では、ロッコの斉木健司が響きのあるバスを聴かせた。
だが演出は――情けないほど緊迫度に不足していた。特に第2幕の頂点たる牢獄内での対決の場や全曲の最終場面などは、唖然とさせられるほどちぐはぐなコンセプトで、敢えて言えば幼稚な舞台であった。先日の「リア」に比べても、何という落差か!
【番外編 コンサート会場におけるマナーあれこれ 自省も含めて】
今日の「レオノーレ」序曲第3番のコーダで、曲に合わせて手拍子(?)をやり出し、最後まで続けていた人が1階後方下手側の席にいた。会場係の制止も聞かなかったとのことである。御当人はさぞかし曲に興奮していい気持になっていたのだろうが、これはどう好意的に見ても言語道断だ。それも、手拍子が曲のリズムと完全に合っているならともかく、途中から次第にずれて行き、「あと打ち」になって行ったりしたのはいけません。
こんな珍事はともかくとしても、演奏本番中の飴の紙の音、プログラムなどをめくる音、ストラップの鈴の音、早すぎる拍手やブラボーの声・・・・など、最近苦情が絶えないのが会場のマナーのことだ。傍からすれば迷惑に感じられる行動も、本人は全く意識していなかったり、別に問題もないだろうと思っていたりするところに、この問題の悲劇性がある。
何年か前、サントリーホールでの東京響定期の休憩時のロビーで、いい歳をしたオジサンが2人、つかみ合いの大喧嘩をしていた。あとで聞くと、どちらかが本番中に音楽に合わせて指揮をするように手を動かしており、それを目障りに思った相手が注意をしたが聞かなかった・・・・のが発端だったとか。両者とも、その気持は充分解るけれども、乱闘までやることもあるまいに、と思う。
こういう場合、日本人は、注意する側も、注意される側も、必ずケンカ腰になってしまう傾向があるようである(もちろん例外はあるだろう)。その点、外国人のお客は、何とも洒落ている(これも当然例外はあるだろう)。
ある時、ニューヨーク・シティオペラで「トゥーランドット」を観ていると、隣のアメリカ人青年が、買い物の紙袋をガサガサとさせている前列席の女性客に穏やかに注意をした。女性客はもちろんすぐ止めたが、何と休憩時間になると後ろの青年に向かい、「さっきは悪かったわね」と改めて詫びたのである。青年もまた「It’s OK,It’s OK」と軽く返したのであった。清々しい空気が一瞬漂った。
またある時、ウィーン国立歌劇場で、本番中に延々と咳をしていた男の中年客がいた。周囲の観客もチラチラとそちらに目をやっていた。するとその後ろに座っていたオバサンが、バッグの中からアメを出し、彼に差し出したのである! なんとまあスマートな注意の仕方であろう。――ただし、その「咳男」がそれを受け取るかと思いきや、「いいよいいよ、俺も持ってるから」と、おもむろに自分のポケットからアメを出して頬張ったのには驚いたが。
外国ではそういう流儀なのかと私は感心したので、ある時METで、隣席のヒスパニック系とおぼしき中年男性客の猛烈な鼻つまりの息の荒さに閉口した際に、休憩時間を利用して穏やかに彼に指摘してみたことがある。すると彼はびっくりしたように、「えっ、そうか、自分では全然意識していなかったよ、すまなかった」と詫びて鼻をかみ、それから一切、鼻息を立てなくなった。そして、終演後に別れる際には、私に握手を求めて去って行ったのだった。注意した方もされた方も後腐れのない、鮮やかな幕切れと言うべきか。
しかし実は私にも、演奏を聴きながらつい出てしまう癖がある。演奏に乗ってしまうと、ついそれに合わせ、手の指が動いてしまうのである。雑音を出すわけではないからいいだろうとこちらは思っていても、視覚の範囲内で何かがチラチラ動いていると気が散ってしまう人もいることは間違いない。
今年のザルツブルク音楽祭でのことである。ラトルとベルリン・フィルの「春の祭典」を聴いていた際、あの錯綜したリズムが快く、無意識のうちについ指がそれに合わせて動いていたらしい。するとその時、隣のドイツ人らしきおじさんが、そっと横から私の手を抑え、にこにこしながら私の顔を覗き込んで来たのであった。
あの流儀を思い出して、曲が終ったあと、私は彼に丁重に詫びた。彼はその時にも笑顔を絶やさない。「いいんだよ。それより、私の頼みを聞いてくれてありがとう」とまで答え、私に握手を求めて来たのである。そしてわれわれは、茶目っ気も含めて、日本式の丁寧なお辞儀をしあって別れたのであった・・・・。
この一件で私も「悪しき癖」を大いに反省する機会を得たわけだが、どうしても今なお、音楽に没頭すると、ついそれが出てしまう。日本ではそんなに和やかには行かないから、前述のような修羅場を招く前に、何とか改めたいと思っている次第である。
飯守泰次郎指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団がピットに入る。演出は三浦安浩、舞台美術は鈴木敏朗。
上演2日目の今日は第2キャストで、レオノーレを並河寿美、フロレスタンを今尾滋、ロッコを斉木健司、マルツェリーネを三宅理恵、ヤキーノを升島唯博、ドン・ピツァロを須藤慎吾、ドン・フェルナンドを大沼徹。合唱は田中信昭指揮のC・ヴィレッジシンガーズ。
50年前の10月、ベルリン・ドイツオペラの大規模な引越公演によるベートーヴェンの「フィデリオ」上演で杮落しをした日生劇場――カール・ベームの指揮、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーの演出に、クリスタ・ルートヴィヒ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ワルター・ベリー、ヨーゼフ・グラインドル、ジェームズ・キングらにより演じ歌われたステージは、まさに圧巻だった。
あのベルリン・ドイツオペラの初来日は、われわれ日本のオペラ・ファンに、演技と演奏の両面におけるアンサンブルというものの重要さと、ドラマの深層を抉り出す演出の面白さとを初めて教えてくれた画期的な大事件だったのである。
そのわが国オペラ史上空前の大イベントを企画し制作した日生劇場が、杮落しと同じ演目「フィデリオ」を、今度は記念事業として、すべて日本人の手で上演した。いわばこれは、わが日本の演奏家とスタッフによる「50年前」への恩返し、あるいは挑戦ともいうべき意義を持つ公演のはずだったのだ・・・・。
しかし実際は、それにふさわしい舞台が達成できていただろうか?
新日本フィルは薄手の音ではあったものの、飯守泰次郎の指揮で、とにかく第2幕冒頭では暗澹たる牢獄の絶望感を出し、「レオノーレ」序曲第3番や全曲のフィナーレでもそれなりの演奏をした。歌手陣では、ロッコの斉木健司が響きのあるバスを聴かせた。
だが演出は――情けないほど緊迫度に不足していた。特に第2幕の頂点たる牢獄内での対決の場や全曲の最終場面などは、唖然とさせられるほどちぐはぐなコンセプトで、敢えて言えば幼稚な舞台であった。先日の「リア」に比べても、何という落差か!
【番外編 コンサート会場におけるマナーあれこれ 自省も含めて】
今日の「レオノーレ」序曲第3番のコーダで、曲に合わせて手拍子(?)をやり出し、最後まで続けていた人が1階後方下手側の席にいた。会場係の制止も聞かなかったとのことである。御当人はさぞかし曲に興奮していい気持になっていたのだろうが、これはどう好意的に見ても言語道断だ。それも、手拍子が曲のリズムと完全に合っているならともかく、途中から次第にずれて行き、「あと打ち」になって行ったりしたのはいけません。
こんな珍事はともかくとしても、演奏本番中の飴の紙の音、プログラムなどをめくる音、ストラップの鈴の音、早すぎる拍手やブラボーの声・・・・など、最近苦情が絶えないのが会場のマナーのことだ。傍からすれば迷惑に感じられる行動も、本人は全く意識していなかったり、別に問題もないだろうと思っていたりするところに、この問題の悲劇性がある。
何年か前、サントリーホールでの東京響定期の休憩時のロビーで、いい歳をしたオジサンが2人、つかみ合いの大喧嘩をしていた。あとで聞くと、どちらかが本番中に音楽に合わせて指揮をするように手を動かしており、それを目障りに思った相手が注意をしたが聞かなかった・・・・のが発端だったとか。両者とも、その気持は充分解るけれども、乱闘までやることもあるまいに、と思う。
こういう場合、日本人は、注意する側も、注意される側も、必ずケンカ腰になってしまう傾向があるようである(もちろん例外はあるだろう)。その点、外国人のお客は、何とも洒落ている(これも当然例外はあるだろう)。
ある時、ニューヨーク・シティオペラで「トゥーランドット」を観ていると、隣のアメリカ人青年が、買い物の紙袋をガサガサとさせている前列席の女性客に穏やかに注意をした。女性客はもちろんすぐ止めたが、何と休憩時間になると後ろの青年に向かい、「さっきは悪かったわね」と改めて詫びたのである。青年もまた「It’s OK,It’s OK」と軽く返したのであった。清々しい空気が一瞬漂った。
またある時、ウィーン国立歌劇場で、本番中に延々と咳をしていた男の中年客がいた。周囲の観客もチラチラとそちらに目をやっていた。するとその後ろに座っていたオバサンが、バッグの中からアメを出し、彼に差し出したのである! なんとまあスマートな注意の仕方であろう。――ただし、その「咳男」がそれを受け取るかと思いきや、「いいよいいよ、俺も持ってるから」と、おもむろに自分のポケットからアメを出して頬張ったのには驚いたが。
外国ではそういう流儀なのかと私は感心したので、ある時METで、隣席のヒスパニック系とおぼしき中年男性客の猛烈な鼻つまりの息の荒さに閉口した際に、休憩時間を利用して穏やかに彼に指摘してみたことがある。すると彼はびっくりしたように、「えっ、そうか、自分では全然意識していなかったよ、すまなかった」と詫びて鼻をかみ、それから一切、鼻息を立てなくなった。そして、終演後に別れる際には、私に握手を求めて去って行ったのだった。注意した方もされた方も後腐れのない、鮮やかな幕切れと言うべきか。
しかし実は私にも、演奏を聴きながらつい出てしまう癖がある。演奏に乗ってしまうと、ついそれに合わせ、手の指が動いてしまうのである。雑音を出すわけではないからいいだろうとこちらは思っていても、視覚の範囲内で何かがチラチラ動いていると気が散ってしまう人もいることは間違いない。
今年のザルツブルク音楽祭でのことである。ラトルとベルリン・フィルの「春の祭典」を聴いていた際、あの錯綜したリズムが快く、無意識のうちについ指がそれに合わせて動いていたらしい。するとその時、隣のドイツ人らしきおじさんが、そっと横から私の手を抑え、にこにこしながら私の顔を覗き込んで来たのであった。
あの流儀を思い出して、曲が終ったあと、私は彼に丁重に詫びた。彼はその時にも笑顔を絶やさない。「いいんだよ。それより、私の頼みを聞いてくれてありがとう」とまで答え、私に握手を求めて来たのである。そしてわれわれは、茶目っ気も含めて、日本式の丁寧なお辞儀をしあって別れたのであった・・・・。
この一件で私も「悪しき癖」を大いに反省する機会を得たわけだが、どうしても今なお、音楽に没頭すると、ついそれが出てしまう。日本ではそんなに和やかには行かないから、前述のような修羅場を招く前に、何とか改めたいと思っている次第である。
コメント
私は失礼ながら、一幕で帰りました。あのホールは、どうしてあんなに、狭苦しいオケピットで、しかも響かないんだろう。そもそもの目的が違うにしても。50年前はあれでも感激してたのを思い出すが。レオノーレやマルツェリーネも、歌以前のいで立ちや振る舞いをなんとかしてほしい。
聞きたい歌手・演奏かも居ないことが行かなくなった原因でない。
コンサート・オペラのマナーが最近、どころか随分おかしくなっているから、行きたくも聴きたくもない。
悪いけど、コンサート・オペラは、アメリカ的なイヴェントやShowではないです。
日本の コンサート や 一部のオペラ、METの最近の’リゴレット’のような ラスヴェガスが舞台。ではない。
某ホールは、いつも”我こそは会員でござる”と云って、座席の横で静かな喧嘩をしていること、遠い田舎でも、情報交換で入ってきたり・情報が入ってくるのはどういうこと??
が、本音かな。
コンサート・オペラのマナーが最近、どころか随分おかしくなっているから、行きたくも聴きたくもない。
悪いけど、コンサート・オペラは、アメリカ的なイヴェントやShowではないです。
日本の コンサート や 一部のオペラ、METの最近の’リゴレット’のような ラスヴェガスが舞台。ではない。
某ホールは、いつも”我こそは会員でござる”と云って、座席の横で静かな喧嘩をしていること、遠い田舎でも、情報交換で入ってきたり・情報が入ってくるのはどういうこと??
が、本音かな。
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burabooを発した人
世の中には精神疾患をわずらったりいろんな人がいます。そういうことも含め劇場に楽しみに来ているのも事実。そういつ人がブラボーと言ったことを全く無視するわけもにいかず・・・・
初めまして
マナーに関して日本人と欧米人に注意した時の違いですが、日本人は普段から
口に出して注意したりする事は快しとしないところがありますね。
欧米人は普段から気軽に口頭で注意しあうようなので、そのような態度でいられると思います。
ですので国内ではどうしても注意するときは考えてしまいます。
穏やかに注意するとなめられるかも知れませんし、厳しく注意すると喧嘩になるかも
知れません。
中年以下の女に注意するときは大抵キレた態度を返してきますので、覚悟が要ります。
こうゆう時は係員に言うのが一番ですが、演奏中には不可能ですので自分でするしか
ありません。
ある在阪オケの定演には、1階最前列に必ずフライング拍手をする爺さんがおります。
演奏中は手をフラフラさせてますので演奏者にも目障りだと思いますが、今のところ
事務局が手を打つ気配はありません。困ったものです。
私は早くくたばって頂けないかと願っております。
マナーに関して日本人と欧米人に注意した時の違いですが、日本人は普段から
口に出して注意したりする事は快しとしないところがありますね。
欧米人は普段から気軽に口頭で注意しあうようなので、そのような態度でいられると思います。
ですので国内ではどうしても注意するときは考えてしまいます。
穏やかに注意するとなめられるかも知れませんし、厳しく注意すると喧嘩になるかも
知れません。
中年以下の女に注意するときは大抵キレた態度を返してきますので、覚悟が要ります。
こうゆう時は係員に言うのが一番ですが、演奏中には不可能ですので自分でするしか
ありません。
ある在阪オケの定演には、1階最前列に必ずフライング拍手をする爺さんがおります。
演奏中は手をフラフラさせてますので演奏者にも目障りだと思いますが、今のところ
事務局が手を打つ気配はありません。困ったものです。
私は早くくたばって頂けないかと願っております。
東条先生、私は来年よりコンサートに通う回数を半減の半減の半減、厳選することにしました。コンサート会場でのマナー違反に遭遇する確率が高くなったのとコンサート往復する際の電車内での不愉快や運転マナーの悪化で、音楽聴きにゆくことが苦痛になってきました。この三年で隠し撮り録画の客に三度隣席することがあり、(ユジャワン@県立音楽堂、グリモー@サントリー、プルーデルマッハ@武蔵野 その他にはアルゲリッチ@東京フォーラム)、オークラでサインを待ち構えている勘違いしているファン、スマホみながら鑑賞している客、ブラボーどころか吠えている客、音楽の余韻をぶち壊す拍手、雑音につぐ雑音、演奏中に扇子で仰ぐ客(香料と音と視覚の三重苦)等等等枚挙にいとまがありません。自分の耳が良いこと(隣席の隠し撮りの音も聞こえる)が苦痛でもある。今後は聴いていない多数のCDとDVDを聴くのと海外本拠地での公演を聴こうと考え方を変えたということであります。
グールドが「コンサートは死んだ」発言ではありませんが、マナー違反でコンサート離れが加速するとなれば、ホール・エージェント・ひいては音楽家の死活問題になるやもしれず、数年後には対策を打たなかったことにホゾを噛むことになるのかも知れません。
逆のことですが、カナディアン・ブラスがやるように、演奏中どんどん撮影してFACEBOOKにアップしてください、自分たちに送って下さいというスタイルのコンサートは楽しくファンが増える。 たとえシリアスなコンサートでも。プログラムの一部かアンコールだけでも、どんどん撮影して宣伝して、というスタイルもありだと思います。演奏中はともかくホール内での写真撮影をご法度もあれば開演前ホール内撮影OKのホールもありますが、レセプショニストが写真撮るサービスするホールの方が今後は流行るのではないか、とも思うのであります。音楽評論家諸氏で、今年のホールマネージメントベストテン座談会もやっていただけるとよろしいかもしれません。
最後に、不愉快な客が隣席している場合には、決して自分で注意をしてはよろしくなく、演奏中といえどもスタッフを呼ぶというのが最も正しい対応であります。なぜならお客同士の喧嘩がホールマネージメントでは最も忌むべきことだそうです。
グールドが「コンサートは死んだ」発言ではありませんが、マナー違反でコンサート離れが加速するとなれば、ホール・エージェント・ひいては音楽家の死活問題になるやもしれず、数年後には対策を打たなかったことにホゾを噛むことになるのかも知れません。
逆のことですが、カナディアン・ブラスがやるように、演奏中どんどん撮影してFACEBOOKにアップしてください、自分たちに送って下さいというスタイルのコンサートは楽しくファンが増える。 たとえシリアスなコンサートでも。プログラムの一部かアンコールだけでも、どんどん撮影して宣伝して、というスタイルもありだと思います。演奏中はともかくホール内での写真撮影をご法度もあれば開演前ホール内撮影OKのホールもありますが、レセプショニストが写真撮るサービスするホールの方が今後は流行るのではないか、とも思うのであります。音楽評論家諸氏で、今年のホールマネージメントベストテン座談会もやっていただけるとよろしいかもしれません。
最後に、不愉快な客が隣席している場合には、決して自分で注意をしてはよろしくなく、演奏中といえどもスタッフを呼ぶというのが最も正しい対応であります。なぜならお客同士の喧嘩がホールマネージメントでは最も忌むべきことだそうです。
レストランで他人のお皿にゴミを入れる人はいないはず。
コンサートホールにおける客席ノイズはこれと同等の行為といえます。
このたとえを用いたのは私の友人ですが、
とても的を射た表現だと思います。
でも、そこまでの意識を持っている方は少数派であると言えましょう。
音の出る可能性を排除していない方が殆どです(膝上の荷物、CDの袋)。
もちろん飴はホール内で唯一食べて良いおやつではないし、
楽章間は咳払いタイムではない。
いや、そんなことよりも。
演奏者側がその舞台のためにどれほどの時間と労力をかけているか、とか、
わずかなお小遣いから高額なチケット代を捻出して、
一音も聴きもらすまいとして来ている若い方もいるかもしれない、とか、
ほんの少し想像をめぐらせるだけで随分変わってくるのでは。
またゴーアーの皆さんも。
もう少しスマートな注意の仕方を覚えてもバチは当たらないかと。
鬼か般若かといった形相で執拗に振り返ってノイズ源を睨みつける行為も、
私にとってはノイズのひとつです。
一期一会の時間と空間を、美しくするのも醜くするのも客席次第。
チケット代を払っているのだからとお客様根性で踏ん反り返っている姿も
正直不快。
ギスギスした雰囲気は持ち込みたくないものです。
自戒をこめて。長文失礼しました。
コンサートホールにおける客席ノイズはこれと同等の行為といえます。
このたとえを用いたのは私の友人ですが、
とても的を射た表現だと思います。
でも、そこまでの意識を持っている方は少数派であると言えましょう。
音の出る可能性を排除していない方が殆どです(膝上の荷物、CDの袋)。
もちろん飴はホール内で唯一食べて良いおやつではないし、
楽章間は咳払いタイムではない。
いや、そんなことよりも。
演奏者側がその舞台のためにどれほどの時間と労力をかけているか、とか、
わずかなお小遣いから高額なチケット代を捻出して、
一音も聴きもらすまいとして来ている若い方もいるかもしれない、とか、
ほんの少し想像をめぐらせるだけで随分変わってくるのでは。
またゴーアーの皆さんも。
もう少しスマートな注意の仕方を覚えてもバチは当たらないかと。
鬼か般若かといった形相で執拗に振り返ってノイズ源を睨みつける行為も、
私にとってはノイズのひとつです。
一期一会の時間と空間を、美しくするのも醜くするのも客席次第。
チケット代を払っているのだからとお客様根性で踏ん反り返っている姿も
正直不快。
ギスギスした雰囲気は持ち込みたくないものです。
自戒をこめて。長文失礼しました。
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このコンサートは聴きにいきませんでした。話題のマナーの悪い客は、会場係の制止も聞かなかったそうですが、それなら強制的に会場から排除すべきです。会場係の対処の仕方にも問題があったように思えます。ここに一昨年の演奏会で起こった最悪の事態が報告されています。東京ニューシティ管での事らしいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/archive/2011/06/25
読むだけで、ゾーとします。こんな常識を遥かに越えた想定外の人と演奏会で出会ってしまったら、どうすればいいのやら....
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/archive/2011/06/25
読むだけで、ゾーとします。こんな常識を遥かに越えた想定外の人と演奏会で出会ってしまったら、どうすればいいのやら....
ブログを始めました。
リサイクルショップ(有)小柳商事を運営している桜田です。
いつも楽しませていただいているのですが、私もこのような面白い記事を書けるように参考にさせていただきます。
リサイクルショップ(有)小柳商事を運営している桜田です。
いつも楽しませていただいているのですが、私もこのような面白い記事を書けるように参考にさせていただきます。
マナー違反
東条先生、いつも楽しんで拝見させて頂いています。
最近は、スマートな聴衆ばかりが集まることはまずないですからね。ただ、自身も気をつけねばと感じました。
先日のOEK定期(石川県立音楽堂)。私のまわりに、ビデオ撮影する英語を話す女性、演奏中大声で韓国語で会話する男性2人、菓子の袋をガサガサさせる日本の老夫婦と、凄まじい面々が揃いました。私の隣席の方が、それぞれを睨みつけて、抑えておられました。今年の悪運は全て使い果たした、そう思っております。
最近は、スマートな聴衆ばかりが集まることはまずないですからね。ただ、自身も気をつけねばと感じました。
先日のOEK定期(石川県立音楽堂)。私のまわりに、ビデオ撮影する英語を話す女性、演奏中大声で韓国語で会話する男性2人、菓子の袋をガサガサさせる日本の老夫婦と、凄まじい面々が揃いました。私の隣席の方が、それぞれを睨みつけて、抑えておられました。今年の悪運は全て使い果たした、そう思っております。
欧米人でのマナー
ニューヨーク、ロンドンを中心に海外でコンサートをたくさん聴いた経験からいうと、欧米の聴衆は結構うるさいし、マナーはもっと普通にカジュアルですよ。鼻を音を立ててかんだり、感想を述べたり、若者なんか演奏中にスマホをいじったり。
ただ、その対応がもっとストレートでフランクなだけ。
日本のコンサート会場が息が詰まると思うか、集中力があると思うかは、時代(音楽は教養であり、精神修養であった時代)と許容度ではないでしょうか?そもそも、何千人もが何十分も音一つ立てない(演奏者を除いては!)というのは、大変なことです。
ただ、その対応がもっとストレートでフランクなだけ。
日本のコンサート会場が息が詰まると思うか、集中力があると思うかは、時代(音楽は教養であり、精神修養であった時代)と許容度ではないでしょうか?そもそも、何千人もが何十分も音一つ立てない(演奏者を除いては!)というのは、大変なことです。
こんなこと言ったら怒られるかも・・
このオペラの評価を楽しみにしていたのですが、本題はどうやら別のようですね(笑)。
演奏会のマナー、確かに問題です。演奏中に喧嘩したり、レオノーレ第3番で手拍子とかありえませんが、多少ノイジーなのは、生の演奏会だし、その会場の雰囲気も含めて、ってことで、私は許容の範囲だと思っています。私個人としては音など極力鳴らさないように気をつけていますが、どんな咳払いやちょっとした音がでただけで、ギッとにらみつけたりする人ととかいますが、それが私に向けられたものでないのはわかっていても、目に入ればドキッとするし、そちらの方が正直、私としては迷惑です。ノイズというのも生の演奏会だから有り得ることであって、それが、CDとは違う音楽の聴き方のあり方でもあるし、音楽に集中していればさほど気にならないような気もするのですが・・。これがあるから演奏会に足を運ばない、とは私はならないです。
演奏会のマナー、確かに問題です。演奏中に喧嘩したり、レオノーレ第3番で手拍子とかありえませんが、多少ノイジーなのは、生の演奏会だし、その会場の雰囲気も含めて、ってことで、私は許容の範囲だと思っています。私個人としては音など極力鳴らさないように気をつけていますが、どんな咳払いやちょっとした音がでただけで、ギッとにらみつけたりする人ととかいますが、それが私に向けられたものでないのはわかっていても、目に入ればドキッとするし、そちらの方が正直、私としては迷惑です。ノイズというのも生の演奏会だから有り得ることであって、それが、CDとは違う音楽の聴き方のあり方でもあるし、音楽に集中していればさほど気にならないような気もするのですが・・。これがあるから演奏会に足を運ばない、とは私はならないです。
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