2024-03

2013・12・8(日)イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル

    サントリーホール  7時

 ベートーヴェン・プログラム。第1部に「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」、ロンド・ア・カプリッチョ「失われた小銭への怒り」、「ソナタ第22番」。第2部に「ソナタ第23番《熱情》」、「ソナタ第24番《テレーゼ》」。
 ただしアンコールには、突然ショパン(夜想曲 作品48-1)が登場した。

 ポゴレリッチといえば、近年は極度に遅いテンポによる構築解体寸前の演奏、とめどない沈潜――というイメージが定着し、それが極端な好悪を呼ぶ因になっていたが、昨年の来日時あたりからは、そこに少し変化が生じて来ているようだった。まして、6日の川崎での演奏を聴いた人たちが「テンポも速くなったし、意外にまともになった」と語っているのを聞き、ますます興味が湧いていたのである。

 なるほど第1部は、予想外に「まとも」(?)な演奏になっていた。
 「悲愴」は、演奏時間こそ26分を要し(提示部反復あり)たものの、グラーヴェ(第1楽章序奏他)やアンダンテ・カンタービレ(第2楽章)など、もともと遅いテンポに指定されている個所においてさえ、あの「解体寸前のテンポ」は採られていなかったのだ。
 もちろん、普通のピアニストだったら「異様に遅い」と感じさせるテンポだが、ポゴレリッチの場合には「思ったほど遅くないね」となるテンポなのである。それどころか、アレグロの個所では、デュナミークのつけ方に彼らしい個性的な解釈はあるものの、概してイン・テンポで、快速に飛ばす。
 特に「失われた小銭への怒り」が、あれほど正確なテンポで、しかも威容に富んで豪壮に演奏された例を聴いたことがない。

 舞台の出入りの時の歩調も、この何年かの例に比べ、随分速くなったようである。本当に、彼の中で、何が起こったのだろう? 
 まともな演奏のポゴレリッチじゃ拍子抜けだね、と言っていた人もいた(しかしずっと昔には、彼は所謂「まとも」だったのだ)。

 いずれにせよ、特筆すべきは、その音色の驚異的な美しさである。
 実に明晰透明で、内声部のすべてがはっきりと浮かび上がり交錯し、作品の和声的構造を明確に示してくれる。その響きは、どんな最強音においても、些かの濁りがなく、きらきらと輝いているのだ。その魅力は何ものにも替え難い。

 ところが、第2部になると、彼は所謂「近年のポゴレリッチ・スタイル」をもろに出して来る。何とも複雑なピアニストである。演奏時間も、「熱情」は33分、「テレーゼ」は15分、「ノクターン」は9分を要すという具合で、これはやはり相当な遅いテンポだろう。

 「熱情」の第1楽章は、「アレグロ・アッサイ」ながら、もともとテンポの変動が生じやすい楽章と言えるが、そういう個所ではポゴレリッチの独壇場だ。テンポはもちろん千変万化、極度に遅くなる。
 だがその一方、再現部の少し進んだ個所、第1主題が最強奏で再現するあたり(第152小節以降)では、その主題は実に輝かしい壮大な風格に満ち、澄んだ音色で轟き、この楽章の頂点を形成する。このあたり、さすがポゴレリッチの巧さだ。彼はただむやみに勝手な沈潜を続けているわけではなく、作品解体どころか、作品の形式を完璧に把握し構築しているのである。

 が、こうなると、第1部のあの演奏は何だったのか? 第2部との対照だったのか?
 結局、作品それぞれに対するアプローチの違いだったとでも考える以外にないのかもしれない。

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