2024-03

2013・12・15(日)クシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団

    ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 ウルバンスキの首席客演指揮者就任披露の演奏会の一つ、こちらは定期。
 チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」、「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストは神尾真由子)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」というプログラム。チケットは完売という。

 先日(12月1日)と同様、オーケストラのすべてのパートが聞こえて来るような、明晰さの際立つ演奏だ。東京響が、きりりと引き締まった鮮やかな音を響かせる。リズムも相変わらず歯切れ良い。
 「春の祭典」でのそのリズムが生き生きと躍動していたのは、彼のしなやかな全身の動きの指揮――とりわけ、なよなよと(こんな表現の仕方は変だが、しかしまさしくそういう感じなのである)くねるような左手の動きが目立つ指揮のなせるわざなのかもしれない。

 「ロメオ」の序奏は非常に遅いテンポで重々しく開始されたが、そのようなテンポでじっくりと歌われると、冒頭のクラリネットとファゴットの、あるいは第85小節からの木管群によるその主題が、驚くほどロシア民謡的な雰囲気を帯びて聞こえて来る。しかも、甘いロマンティシズムなどは吹き飛んで、恐ろしく陰鬱な色合いになって立ち現れて来る。いかにもこの悲劇にふさわしい演奏である。
 そしてウルバンスキは、主部のアレグロ・ジュストに向け、かなり強烈なクレッシェンドと加速を試みるが、この辺の呼吸がすこぶる巧い。
 もう一つ感心するのは、デュナミークの対比に関する彼の細かい設計だ。第112小節で「争いの主題」が爆発する個所と、第151小節でそれが更に激烈さを加える個所とでは明らかに音量の差を感じるのだが、スコアを見れば、前者はまさに単なるフォルテであり、後者はフォルティシモと指定されているのである。こういう対比は、先日のブラームスの「第2交響曲」でも聴かれたものだ。ウルバンスキもなかなか芸が細かいなと思わせる。

 協奏曲では、神尾真由子の表情の濃さが最大限に生きた。これを聞くと、この曲は彼女の最良のレパートリーではなかろうかという気さえする。所々に音程の乱れがあったのは事実だが、それを除けば第一級の演奏だったと言ってもいい。

 そして最後の「春の祭典」だが、ウルバンスキは遅めのテンポと極度に速いテンポとを対比させつつ、演奏に大きな起伏をつくっていた。最後の「生贄の踊り」で、更にグイと一押し、力感を増して行くあたりなど、ここでも持って行き方の巧みさを感じさせる。木管の一部に東京響らしからぬ不安定さがあった(しかも肝心かなめの個所で)のは惜しいけれども、全体としては纏まりのいい演奏だったと申し上げよう。

 もっとも、ウルバンスキの指揮は、さっきも書いたように設計も巧いし、バランスもいいし、清澄な音色、胸のすくようなエネルギー感、といった良さもあるのだけれど、それがあまりに怜悧冷徹であり、温かさや情感といったものを拒否しているように感じられるという不満もある。このあたりが良し悪しだ。だが面白い指揮者であることには変わりない。
     ⇒モーストリー・クラシック3月号 Reviews

コメント

「真実に温度はない」

コーマック・マッカーシーが脚本を書き、リドリー・スコットが監督した映画の中で、女豹メイクを施したキャメロン・ディアスが上記の台詞を放ったとき、サントリーホールで聴いたばかりのウルバンスキ指揮東響の春の祭典がフラッシュバックしてきて頭の中で鳴り響きました。

来季のショスタコーヴィチ7番、楽しみです。

今頃恐縮です。実は今日(昨夜)福岡にて、読響と神尾真由子のチャイコフスキーの協奏曲を聴きました。東条先生が「最良のレパートリー」とおっしゃる通りの素晴らしい演奏でした。また弾く姿がこれまで見た何人かの女性ソリストとはまた違って動かずどっしり、男性的な印象さえ感じました。歩く姿も凛として。実演では特にソリストはやはり見栄えも重要だと思いました。

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