2024-02

2013・12・20(金)P・コンヴィチュニー門下生によるオペラ演出試演会GP

   ドイツ文化会館ホール  1時30分

 びわ湖ホール等で開催された演出セミナーにおいて、ペーター・コンヴィチュニーの薫陶を受けた若手演出家5人が集まり、それぞれ30分の持ち時間の中で革新的な演出を試みるという企画。夜の本番は観られないので、GPを見学させていただく。

 原純が「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)の「お手をどうぞ」のシーン、加藤裕美子が「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)の「魔女の家」の場面、田丸一宏が「コジ・ファン・トゥッテ」の「もうすぐ彼の腕の中に」の場面、舘亜里沙が「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ)の「ある日、青空を眺めて」と「亡くなった母が」の場面、木川田直聡が「ラ・トラヴィアータ」第1幕終場面――という分担で、総計ほぼ2時間、大勢の若手歌手とピアニストも出演していた。

 「P・コンヴィチュニー門下生」たちの意欲は沸々たるものだ。師が標榜した、作品の深層を追求し、現代的意味において浮き彫りにするとでもいうべきコンセプトを各々自分なりに咀嚼して、名作オペラの1場面に斬新な視点からの解釈を導入する。
 「解釈」というと演出家は機嫌を悪くするかもしれないが、多くの舞台を体験している観客からすれば、それは畢竟「一つの手法」に過ぎないのは自明の理である。それがわれわれを満足させてくれれば、それはその時点で最高の舞台となり得るのだ。

 事実、今回の5つの舞台を拝見して、なるほどそういう解釈に基づく表現方法もあるか――と感心させられるところも多かったし、この手法で全曲上演を観てみたいものだ、と思わせられるものもあった。

 しかしその一方――ここからは歯に衣着せぬ物言いになるのをお許し願いたいが――いくつかの場面では、コンヴィチュニーの悪しき亜流のようなものを感じないでもいられなかった。
 「悪しき」とは何か? これは、コンヴィチュニーの舞台を20作近く観ながら、必ずしもコンヴィチュニー信者になれぬ私の主観だが、俗な言葉で言うと例えば、コンセプト過剰、舞台のごちゃごちゃし過ぎ、過度の馬鹿騒ぎ、音楽(レチタティーヴォ)の流れの破壊・・・・といった特徴だろうか。
 但し、「悪しき」ではあっても、何らかの主張があれば、「亜流」よりはマシである。良かれ悪しかれ、師の影響をどこで脱することができるかが問題なのだ。

 今日の5種の中では、原純が演出した「ドン・ジョヴァンニ」の、・・・・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑できたのは自らの魅力というより「金の力」であり、彼自身それに自己嫌悪を感じつつも己が道を突っ走る・・・・というシンプルな表現(中っているかどうかは判らないが)は、観客も一目見ただけで理解しやすいだろう。
 そもそもコンヴィチュニーの演出は、言葉で説明しなくても、比較的解りやすい類のものである。されば今日、たとえ試演会とはいえ、何人かの演出家がやったような、自分の舞台について事前に観客へ長々と説明するなどという行為は、師が本来求めるところではないと思われるのだが如何? 

 ――とはいえ、この種の企画は、極めて有意義だ。わが国のオペラ上演を活性化するためにも、大いに盛んになってほしいところである。

コメント

今となってはコンビチュニーもマシなほうになってしまいました。あまりにひどい演出ばかりなものですから。もうどんな解釈でもかまいません。音楽を邪魔する余計な音を立てなければ結構です。気に入らなければ目をつむっていればよいので。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

https://concertdiary.blog.fc2.com/tb.php/1802-1b71f94c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since Sep.13.2007
今日までの訪問者数

ブログ内検索

最近の記事

Category

プロフィール

リンク

News   

・衛星デジタル音楽放送
ミュージックバード(エフエム東京系) 121ch THE CLASSIC
「エターナル・クラシック」
(毎週日曜日 12:00~16:00放送)出演

・雑誌「モーストリー・クラシック」に「東条碩夫の音楽巡礼記」
連載中