2024-03

2013・12・20(金)エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団のバルトーク

    サントリーホール  7時

 先週のカンブルラン&読売日響に続き、バルトーク作品による定期。今日は大曲で、庄司紗矢香をソリストに迎えた「ヴァイオリン協奏曲第2番」と、演奏会形式によるオペラ「青ひげ公の城」。

 庄司紗矢香が、いつもの顔で登場したので一安心。どこやらのチラシに載っているような、ぎょっとするようなどぎつい変身メイクで出て来たらどうしよう、と実はびくびくしていたところだった。
 だがそんなことはともかく、あのハープとピチカートの弦に乗って彼女が弾き始めた瞬間から、その強靭な力、広大な気宇、オーケストラを霞ませるほどの強大な音、ホールを独占してしまうような存在感――といった特徴に魅惑されてしまう。艶のある美しさと、突き詰めたような厳しい緊迫感とを兼ね備えた演奏は、まさしく超一流のものだ。

 インバル指揮する都響も揺るぎない構築性を押し出した演奏で、攻撃的な曲想の個所では強引なほどの最強奏を爆発させるが、庄司もまた一歩も譲らず、丁々発止の応酬を繰り広げてくれる。
 この音響上のバランスは、録音ならともかく、ナマのステージではなかなか難しい。よほどしっかりしたソリストでないとオーケストラに打ち消され、もしくはオケがそれに遠慮して音量を抑制し過ぎて演奏がつまらなくなることもあるくらいだ。今夜のようなスリリングな演奏が聴ければ、聴きに行った甲斐があるというものである。

 後半には、「青ひげ公の城」が演奏された。
 「詩人役」は無し。マルクス・アイヒェが青ひげ公を、イルディコ・コムロシがユーディトを歌った。

 前者は昨年の「東京・春・音楽祭」における「タンホイザー」のヴォルフラム役を、いとも真面目な知識人という表現で歌った人だ。今回は譜面を見ながらの歌唱で、この役をどのくらい歌った経験があるのかは知らぬが、やはり何か生真面目すぎる歌い方である。従って、この複雑な心理のカタマリのような男の、得体の知れぬ神秘性、凄み、苦悩と深み・・・・といった表現がまるきり感じられなかったのは残念であった。
 一方のコムロシは、2010年に井上道義が新日本フィルを指揮してこの曲を上演した時にも歌っていたソプラノだ。もちろんこの役には慣れているはずであり、暗譜で、時に表情豊かな身振りをも交えて歌ってくれたので、これで救われた、という感であろう。

 インバルは例のごとく、がっしりと明晰に、この作品の音楽を組み立てる。
 冒頭の、地の底から響いて来るような最弱音の低弦さえ、スコアに書かれている「ミステリオーゾ(神秘的に)」ではなく、おどろおどろしい不気味さでもなく、はっきりと割り切った明快さで鳴り始める。この隈取りの明晰な音と、強面の厳しい造型とがすべてに行き渡った演奏なので、スコアの隅々までが、冷徹な光に照らされて浮かび上がるよう。
 ただ、その割にあの鋭い「血のモティーフ」がどの扉の個所でも際立たず、それが衝撃的に音楽の中に割り込んで来てユーディト(と聴衆)を戦慄させるという効果が発揮されないのである。これはおそらく、先日のマーラーの「第7交響曲」の場合と同様、前後の音楽がすでに強いメリハリで演奏され過ぎているため、そこへ鋭い音型が割り込んで来てもほとんど目立たない、ということなのではなかろうか。

 いずれにせよ、このような演奏では、音楽全体はきわめて刺激的な、劇的でダイナミックなものになる――「第5の扉」の個所で、オルガン下に並ぶ金管のバンダを加えた全管弦楽の咆哮は強烈だった――その一方で、その明快な音のために、この音楽が本来備えているはずの陰翳には不足することになるだろう。
 したがって、ドラマの神秘性や、登場人物の心理の襞の描写も的確に行われないということになる。このオペラの音楽には、何よりも「恐怖」が必要だと思うのだが・・・・。

 それに、インバルの即物的な解釈は、たとえば前半でユーディトが扉を叩いた瞬間に聞こえる、彼女を震え上がらせる「長く狭い廊下を吹き抜ける風のうなりにも似た苦しい溜息のような音」を、効果音を使用せず、ウィンドマシンでリアルに「演奏」させたことにも表れているのではなかろうか。最近のインバルには、そういう意味での芝居っ気はなくなってしまったらしい。92年に彼がフランクフルト放送響を指揮したCDでは、もう少し陰翳に富んだ解釈が施されていたし、もちろんその「溜息」も効果音で不気味に挿入されていたはずである。

 しかし、それはそれとして、都響の演奏はやはり巧く、この上なく立派だ。引き締まったアンサンブルといい、均衡豊かな響きといい、今や絶好調の状態にあるといえるだろう。

 字幕は、一部腑に落ちないところもあり、ちょっと解釈が違うのではないかな、という個所もないではなかった。たとえば「第6の扉」の部分、ユーディトが「この白い、動かない湖は何?」と慄きながら尋ねるのを受け、青ひげが「涙だ、涙なのだ」と答える個所に、「涙だ、女の涙だ」という字幕が出たのは、青ひげの心の内側にある秘密を読み違えたものではないかという気もするのだけれども・・・・。
    音楽の友2月号 演奏会評

(註)「青ひげ公の城」のウィンドマシンの個所では、その音に合わせて金管の男性奏者たちが声を出していた、という報告のコメントを頂戴しました。ありがとうございました。しかし・・・・私の席からは全然聞こえませんでしたね。それに、「男の溜息」ってのは、サマにならんのじゃないですか?

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私は前日の12/19文化会館で聴きました。庄司紗矢香が華奢な体格なのにオケに負けぬ大音量で驚きました。楽器はストラドだそうですが、かなりの名器なのでしょうね。ストラドと言ってもピンキリで、齢300年も経ると楽器自体が損傷したり消耗して鳴りが悪いのもあります。さて、演奏ですが第5の扉の金管の咆哮あたりから俄然盛り上がりました。前半の淡々とした運びは演出だったのかもしれません。インパルの解釈は即物的で、ドラマの神秘性や登場人物の心理の襞の描写も的確に行われないとありますが、慥かにハンガリー的な土臭さの無い演奏でしたが、これほど明晰な演奏は珍しくバルトーク演奏の一つの極を窮めた名演だと思います。そもそも此のオペラの演奏で陰影と恐怖と神秘さがあり、そのうえ明快でメリハリのある演奏があるのでしょうか。インパルのマーラーにはバーンスタインのユダヤ的情感が不足していると指摘するのと同様に、無い物ねだりをされているような気がします。MSのコムロシの体格の良さには驚きましたが、その割には声量がなかった。
チケット代は、庄司+インパル+オペラの相乗効果?で、S:9500円と都響にして高めですが、演奏には満足したものの此れでイイのかと少しだけ思いました。ところで、都知事が代わるようですが、新しい知事には、かつての石原苛政のように都響の予算を削減しないよう願います。

文化会館で聴きました。庄司さんのソロはこれ以上何を望めるのかというハイレベルなもの。インバル・都響のサポートも完璧でした。庄司さんはこの長丁場の難曲の後にさらにアンコールまで弾いてくれました。これだけの演奏を行った後の精神的かつ肉体的な消耗は並のレベルではないはずで、心配になってしまいます。
“青髭”は最近のインバルにしては弦楽器の強弱などに微妙な陰影をつけていたように思います。都響は精妙かつパワフルな音で、アングロサクソン系の一流オケに迫る出来栄え。しかし、この暗澹たる曲は実演で聴くと本当に気分が落ち込みます…。
このコンサートは今年最も良かったコンサートの一つとなりました。

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