2014・3・16(日)広上淳一指揮京都市交響楽団東京公演
サントリーホール 2時
京都市響は、1週間前にびわ湖ホールで沼尻竜典指揮により「死の都」を聴いたばかり。その時にも演奏の水準の高さに感じ入ったが、今日は広上淳一の指揮によるマーラーの第1交響曲「巨人」の演奏を聴いて、まさに唖然、感嘆、舌を巻いた。
各地のオーケストラが数知れず行なって来た東京公演の中でも、これは超弩級の演奏と敢えて称してもいいほどだろう。40年前から聴いて来た(録音もした)立場から言うと、京響は凄いオーケストラになったものだと思う。
最近の世評では、京阪神の6大オーケストラの中で圧倒的に演奏水準が高いのは京響だ、ということになっている。確かにそうに違いない。楽員たちの熱意ももちろんだろうが、常任指揮者・広上淳一の力量のたまものでもあろう。
「巨人」では、厚みと重量感も並外れていて、音色も輝かしく、スケール感が豊かで、宏大雄壮な風格があふれる。オーケストラ全体がしなやかな流動性に富み、巨大なうねりを聴かせながら進んで行く。
といって、洗練されて巧いとか、アンサンブルが整然としているとか、まとまりがいいとかいうものとは、少し違う。それよりも、何か感情の吐露が異様に激しく、それが凄まじい起伏を形づくっているといった演奏なのだ。
しかも、メリハリも充分である――たとえばホルン群がフォルティシモで全音符一つを吹いた時に、その音が何となく終るというのではなく、きりりと引き締まった響きのまま決然と終る・・・・どうも上手く言えないが、とにかくそういった、叩きつけるような激しい演奏でもあったのである。金管、木管、弦、打楽器群、すべてが見事だった。
広上淳一の指揮がまた、実に考え抜かれて綿密な、神経を行き届かせたものだった。マーラーのスコアに書かれている微細なニュアンスを、たた形どおりでなく、これほど表情をこめて再現した指揮も、稀ではなかったか。
例えば第3楽章や第4楽章で、マーラーが突然躁状態になったように音楽が昂ぶったかと思うと、それがまた突然意気消沈したようにハラハラと崩折れて行く・・・・その一連の過程の表現が、おそろしく表情に富んでいて、巧いのである。広上自身の指揮のジェスチュアがまさしくその感情の起伏を表わしており、視覚的にもオーケストラの演奏と合致してしまう。
オーケストラのアンコールは、広上のスピーチを先導として、R・シュトラウスの「カプリッチョ」から「月光の音楽」。これで、終演は4時20分頃になったか。
なお1曲目は、ニコライ・ルガンスキーをソリストに迎えてのラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。これはもう、ルガンスキーを聴くべき曲。男性的な風格のラフマニノフ像が描き出された、胸のすくような演奏であった。ソロ・アンコールは、メトネルの「カンツォーナ・セレナータ 作品38-6」で、これまた美しい。
京都市響は、1週間前にびわ湖ホールで沼尻竜典指揮により「死の都」を聴いたばかり。その時にも演奏の水準の高さに感じ入ったが、今日は広上淳一の指揮によるマーラーの第1交響曲「巨人」の演奏を聴いて、まさに唖然、感嘆、舌を巻いた。
各地のオーケストラが数知れず行なって来た東京公演の中でも、これは超弩級の演奏と敢えて称してもいいほどだろう。40年前から聴いて来た(録音もした)立場から言うと、京響は凄いオーケストラになったものだと思う。
最近の世評では、京阪神の6大オーケストラの中で圧倒的に演奏水準が高いのは京響だ、ということになっている。確かにそうに違いない。楽員たちの熱意ももちろんだろうが、常任指揮者・広上淳一の力量のたまものでもあろう。
「巨人」では、厚みと重量感も並外れていて、音色も輝かしく、スケール感が豊かで、宏大雄壮な風格があふれる。オーケストラ全体がしなやかな流動性に富み、巨大なうねりを聴かせながら進んで行く。
といって、洗練されて巧いとか、アンサンブルが整然としているとか、まとまりがいいとかいうものとは、少し違う。それよりも、何か感情の吐露が異様に激しく、それが凄まじい起伏を形づくっているといった演奏なのだ。
しかも、メリハリも充分である――たとえばホルン群がフォルティシモで全音符一つを吹いた時に、その音が何となく終るというのではなく、きりりと引き締まった響きのまま決然と終る・・・・どうも上手く言えないが、とにかくそういった、叩きつけるような激しい演奏でもあったのである。金管、木管、弦、打楽器群、すべてが見事だった。
広上淳一の指揮がまた、実に考え抜かれて綿密な、神経を行き届かせたものだった。マーラーのスコアに書かれている微細なニュアンスを、たた形どおりでなく、これほど表情をこめて再現した指揮も、稀ではなかったか。
例えば第3楽章や第4楽章で、マーラーが突然躁状態になったように音楽が昂ぶったかと思うと、それがまた突然意気消沈したようにハラハラと崩折れて行く・・・・その一連の過程の表現が、おそろしく表情に富んでいて、巧いのである。広上自身の指揮のジェスチュアがまさしくその感情の起伏を表わしており、視覚的にもオーケストラの演奏と合致してしまう。
オーケストラのアンコールは、広上のスピーチを先導として、R・シュトラウスの「カプリッチョ」から「月光の音楽」。これで、終演は4時20分頃になったか。
なお1曲目は、ニコライ・ルガンスキーをソリストに迎えてのラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。これはもう、ルガンスキーを聴くべき曲。男性的な風格のラフマニノフ像が描き出された、胸のすくような演奏であった。ソロ・アンコールは、メトネルの「カンツォーナ・セレナータ 作品38-6」で、これまた美しい。
コメント
当たりでした。
私はコンサートにゆくとロビーで誰が来ているのか見ますが、東條さんは9割がたいらっしゃるので、プロの聴き方、感じ方をこのブログで拝見するのが楽しみです。今回のコンサート、義母の誕生日に義父、妻とゆきました。ラフマニノフは真央力の人気がありますが、今回の演奏は現代の本流だと思いました。収穫はマーラーでした。普段クラシックを聴かない家族が、良かった~と言ってくれたのは、演奏が当たりであったことが何よりだと思います。ブログ、楽しく拝見しました。
このたびも東京公演にお運びいただき、またこのような記事を寄せていただき、京響を応援してきたものとして、本当にうれしく存じます。ありがとうございます。
数年前、このページで、京響の若い楽員の演奏後の笑顔をほめていただいたことがありましたが、そのあと、次第しだいに楽員の表情は控え目になり、その分、喜怒哀楽を自然と音楽に込めるようになった気がします。その大きな成果がこの「巨人」だったのではないかと。
わたくしは、同じプロの京都定期を14日に聞いたのですが、大人になった京響に、うれしいような、さみしいような気分でおります。
数年前、このページで、京響の若い楽員の演奏後の笑顔をほめていただいたことがありましたが、そのあと、次第しだいに楽員の表情は控え目になり、その分、喜怒哀楽を自然と音楽に込めるようになった気がします。その大きな成果がこの「巨人」だったのではないかと。
わたくしは、同じプロの京都定期を14日に聞いたのですが、大人になった京響に、うれしいような、さみしいような気分でおります。
古都様
ご覧になったコンサートをNHKが放送するので楽しみです。自分は東京交響楽団の会員ですが、京都交響楽団を初めて聴き、京都コンサートホールにゆきたいと心底思いました。お互い、ホームホールと市のバックアップがあり、恵まれていると思います。我が音楽の街、川崎ですが、定期が満席になる京都はすごい、と思います。
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会報に本文(抜粋)転載のお願い
初めまして。わたくしは、京響OB(2ndVL,スタッフ)の三原啓史と申します。
OB約100人が所属する「京響楽友会」が本年設立20周年になり、年一会報が6月に発行されます。会報編集理事担当者として、本ブログ記事(抜粋)を是非転載させて頂きたく、 ここに東条様の許諾をお願い申し上げます。何とぞ宜しくお願いいたします。
TEL/FAX 072 752 9653 090 3705 2219 hiromuj@ezweb.ne.jp
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