2008・6・23(月)佐渡裕プロデュース 「メリー・ウィドウ」3日目
兵庫県立芸術文化センター大ホール
同文化センター芸術監督の佐渡裕のプロデュースと指揮、広渡勲の演出による「メリー・ウィドウ」は、実に12回公演(6月21日~7月6日)という強気の興行。例の如く売れ行きはすべて好調というから、ここは凄い。客の6割は「阪神間」(東京モノには解りにくい表現だが、「大阪と神戸の間」の由)在住で、しかもリピーターが多いとのこと。
掘り起こせばまだまだクラシック・ファン、オペラ・ファンはたくさんいるのだ、という証明であろう。
今回は日本語上演で、さすが佐渡の制作だけあって「ご当地的メリー・ウィドウ」といった趣き。
桂ざこばがニェグシュ役で冒頭から突然登場、上方お笑いのスタイルで観客を瞬時に巻き込んでしまう。それが実にサマになっているところが「ご当地」の強みだ。
私自身、これを東京のホールで見たとしたら、きっと照れでモジモジするか白けるかだろうが、現地でどっぷりそれに浸っていると、ほとんど違和感を覚えないのである。そこが人間の感覚の不思議なところか。
それにしても、本編が終ったあとの「グランド・フィナーレ」での、これでもかとばかり押しまくる騒々しさ、賑やかさ、それに手拍子で大乗りする観客。これが「関西のノリ」というものなのか。私はただあっけにとられて眺めるのみだったが、しかし大いに愉しめたことは事実である。
それにあのフレンチ・カンカンの場での、歌と踊りの狂騒的なノリの良さときたら、これまで私が観て来た日本人による「メリー・ウィドウ」上演の中では、例を見ないものであった。
かように、オペレッタの味と、上方の味とが、ぎりぎりのところで均衡を保っている「メリー・ウィドウ」である。これで客が喜び、ファンが増えるなら、何を文句を言うことがあろう。その意味でも、全篇にわたり狂言回し的な役割をつとめた桂ざこばの存在は、きわめて大きいものがある。
佐渡はオーケストラを威勢よく鳴らし、エンターテインメントとして場を盛り上げる。終演後の楽屋でも汗びっしょりで、「とにかく、ここのお客さんがいいんですよねえ」と大感激中。あの一所懸命な仕事ぶりが彼の身上だ。
今日の歌手陣は「初日組」。平野忠彦がツェータ男爵役で健在振りを示してくれたのはうれしい。佐藤しのぶのハンナはまさに舞台映え満点で、セリフ回し(「間」の取り方を含む)の巧いのには感嘆するが、いざ「ヴィリアの歌」のような長いソロになると途端にあの過剰なヴィブラートが出て、歌詞が聞き取り難くなるのが惜しいところ。
今回はジョン・健・ヌッツォのカミーユにも期待したのだが、不思議に抑制した演技と歌唱で、いつもの彼の闊達ぶりが影を潜め、表情に乏しい。楽屋を訪ねて彼に質問したところ、「この役だけは騒ぎに巻き込まれない、超然とした表現で」と指示されているので、ということだった。「でも、あれじゃあなただけ沈んで見えるけど」と感想を述べさせてもらう。
ダニロの大山大輔は、結構カッコいい。「王子と王女」のくだりなどでは、その昔に故・立川清登が聴かせた名調子の域までにはだいぶ距離があるが、研鑽を積めばいい当り役になれるだろう。また、かつての宝塚雪組トップスター、平みちがシルヴィアーヌ役で出演、桂ざこばとタップダンスの掛け合いを披露していたが、こういう趣向も関西ならでは、か。
舞台装置(ロンドンで活躍するサイモン・ホルズワースによる)が、なかなか美しい。
同文化センター芸術監督の佐渡裕のプロデュースと指揮、広渡勲の演出による「メリー・ウィドウ」は、実に12回公演(6月21日~7月6日)という強気の興行。例の如く売れ行きはすべて好調というから、ここは凄い。客の6割は「阪神間」(東京モノには解りにくい表現だが、「大阪と神戸の間」の由)在住で、しかもリピーターが多いとのこと。
掘り起こせばまだまだクラシック・ファン、オペラ・ファンはたくさんいるのだ、という証明であろう。
今回は日本語上演で、さすが佐渡の制作だけあって「ご当地的メリー・ウィドウ」といった趣き。
桂ざこばがニェグシュ役で冒頭から突然登場、上方お笑いのスタイルで観客を瞬時に巻き込んでしまう。それが実にサマになっているところが「ご当地」の強みだ。
私自身、これを東京のホールで見たとしたら、きっと照れでモジモジするか白けるかだろうが、現地でどっぷりそれに浸っていると、ほとんど違和感を覚えないのである。そこが人間の感覚の不思議なところか。
それにしても、本編が終ったあとの「グランド・フィナーレ」での、これでもかとばかり押しまくる騒々しさ、賑やかさ、それに手拍子で大乗りする観客。これが「関西のノリ」というものなのか。私はただあっけにとられて眺めるのみだったが、しかし大いに愉しめたことは事実である。
それにあのフレンチ・カンカンの場での、歌と踊りの狂騒的なノリの良さときたら、これまで私が観て来た日本人による「メリー・ウィドウ」上演の中では、例を見ないものであった。
かように、オペレッタの味と、上方の味とが、ぎりぎりのところで均衡を保っている「メリー・ウィドウ」である。これで客が喜び、ファンが増えるなら、何を文句を言うことがあろう。その意味でも、全篇にわたり狂言回し的な役割をつとめた桂ざこばの存在は、きわめて大きいものがある。
佐渡はオーケストラを威勢よく鳴らし、エンターテインメントとして場を盛り上げる。終演後の楽屋でも汗びっしょりで、「とにかく、ここのお客さんがいいんですよねえ」と大感激中。あの一所懸命な仕事ぶりが彼の身上だ。
今日の歌手陣は「初日組」。平野忠彦がツェータ男爵役で健在振りを示してくれたのはうれしい。佐藤しのぶのハンナはまさに舞台映え満点で、セリフ回し(「間」の取り方を含む)の巧いのには感嘆するが、いざ「ヴィリアの歌」のような長いソロになると途端にあの過剰なヴィブラートが出て、歌詞が聞き取り難くなるのが惜しいところ。
今回はジョン・健・ヌッツォのカミーユにも期待したのだが、不思議に抑制した演技と歌唱で、いつもの彼の闊達ぶりが影を潜め、表情に乏しい。楽屋を訪ねて彼に質問したところ、「この役だけは騒ぎに巻き込まれない、超然とした表現で」と指示されているので、ということだった。「でも、あれじゃあなただけ沈んで見えるけど」と感想を述べさせてもらう。
ダニロの大山大輔は、結構カッコいい。「王子と王女」のくだりなどでは、その昔に故・立川清登が聴かせた名調子の域までにはだいぶ距離があるが、研鑽を積めばいい当り役になれるだろう。また、かつての宝塚雪組トップスター、平みちがシルヴィアーヌ役で出演、桂ざこばとタップダンスの掛け合いを披露していたが、こういう趣向も関西ならでは、か。
舞台装置(ロンドンで活躍するサイモン・ホルズワースによる)が、なかなか美しい。
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
コメントの投稿
トラックバック
https://concertdiary.blog.fc2.com/tb.php/235-3a7c750c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
日記を拝見しただけで、会場の盛り上がった雰囲気が伝わってきました。
そして本番がますます楽しみになって参りました。
今回のアドバイスでジョン・健・ヌッツオさんも工夫され
持ち前の素晴らしい歌いっぷりを披露してくださるのではないかと
5日、期待しております。
どうぞ東条さんはじめ、全国の皆様、
素晴らしい西宮の芸文センターへ、クラシック音楽を楽しみにお越しください !