2024-03

2008・8・19(火) 旅行日記第5日 ザルツブルク音楽祭「ドン・ジョヴァンニ」

   モーツァルト・ハウス(旧祝祭小劇場)

 クシェイ以来の新演出で、クラウス・グートが担当。舞台美術と衣装はクリスティアン・シュミット。

 このオペラの舞台には珍しく、場面が深夜の森林の中に設定されている。回転舞台が活用されるが、いくら回っても場面はすべて夜の林の中である。
 初めは、どこか別荘地に近い林の中かとも思ったが、その後の場面でアンナとオッターヴィオが乗って走って来たクルマがエンストしたり、エルヴィーラがトタン張りの掘立て小屋でバスを待っているらしい場面なども出て来るところをみると、森林は森林でも場所は漠然としているらしい。
 こんな夜中に、暗い林の中でいろいろな人間がうろついていたり、結婚祝いのパーティが行われたりするのは全く論理的でないけれども、その一点だけを除けば、――この演出はいかにもグートらしく、緻密にきちんと組み立てられている。

 通常の上演は「プラハ版」と「ウィーン版」の折衷版だが、今回は珍しく「ウィーン版」である――とはいえ、レチタティーヴォなどには一部カットがある。
 この版の特徴の一つは、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面でオペラが終了する点にある。したがって、最後の6重唱がない。
 そのため、残りの者たちの「一応の大団円」も一切語られないわけだが、これがむしろ人物描写の解釈の幅を広げるのに役立つという面白さにつながるだろう。
 他にも一般の版と異なっている部分がいくつかあるが、グートもそれらに着目して今回の演出を試みているようだ。

 ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオを待つものは、おそらく破局である。
 相手がジョヴァンニと知りつつ情事を重ねたアンナは、林の中でクルマがエンストした時、(何故かそこへ現われた)ジョヴァンニと秘密の合図を交わした瞬間をオッターヴィオに目撃され、ばれたと気づいた途端に防御姿勢に転じてジョヴァンニの「悪行を捏造して」オッターヴィオに告げるという女なのだ。 アンナとジョヴァンニの「謎」にこれほど簡単な抜け道を作ってしまった演出も、そう多くはないだろう。
 自己嫌悪に陥ったらしい彼女は、最後のアリアのあと、自殺をほのめかしつつピストルを持って姿を消す。茫然としていたオッターヴィオも、さすがにうろたえつつ後を追って去る。われわれがこの2人を見るのは、これが最後である。
  この版では、オッターヴィオの二つ目のアリアが削除されているため、彼のアンナへの想いが薄らぎ始めているのを観客に感じさせるだろう。もともとこのアリアは彼の性格をいっそう未練がましく煮えきらぬものとして描いているので、――音楽的魅力は別として、ドラマの進行の上では――無い方がすっきりするかもしれない。

 ツェルリーナとマゼットはどうか。
 この版には、ウィーンでの上演のために書かれた、ツェルリーナがレポレッロを縛り上げ拷問する場面の二重唱が入っている。彼女の異常な性格を浮き彫りにする場面として、モーツァルトがどうしてこういうものを書き加えたのか不思議ではあるが、ここでも彼女がレポレッロごときを相手になぜこれほど残虐な行動に出るのか理解しがたいような場面が展開されていた。
 この場の終りは、オリジナルのレチタティーヴォおよびト書きとは少し異なる進行と演出になっていて、彼女を追って来たマゼットが、その異常な行動を目の当たりに見て愕然とし、喚き暴れる彼女を強引に連れ去るという設定にされている。われわれが最後に見たツェルリーナは、容貌すらヒステリックな狂女と化した姿なのであった。
 こんなことのあとに、彼女と、真面目そのもののマゼットとの間に未来があるなどと思えるだろうか? これも、最後の大団円の6重唱が無いという版の特徴を逆手に取った、巧みな解釈といえよう。

 エルヴィーラとレポレッロの2人の今後に関しては、定かではない。

 主人公ドン・ジョヴァンニについては、グートは一風変った設定を試みている。
 ジョヴァンニは、騎士長の頭を太い木の枝で一撃して倒すが、みずからも騎士長のピストルで左腹を撃たれ、かなりの傷を負った。したがって彼は、その後遺症に悩み、いささか元気がない。なるほどこのオペラでは、ジョヴァンニは最初から最後までヘマばかりやっているが、その理由はそんなところにあったのかと納得させられてしまう設定である。
 ラストシーンの「地獄落ち」では、その場面の最初から大きなシャベルで穴を掘り返していた男が騎士長だ。頭に包帯を巻いていたところから見ると、どうやらあの時死ななかったらしいが、定かではない。彼の威嚇によりジョヴァンニは力を失い、土煙とともに穴の中へ転げ込む。
 騎士長が登場する音楽あたりからしきりに雪が降り出し(これは音楽の悲劇的な終末感を強調するのには実に効果的である)ジョヴァンニは激しく震え出すのだが、それが寒さのためなのか、あるいは古傷が悪化したためなのか、この演出ではあまり明確に描かれていない。

 歌手陣では、演技面でも歌唱面でも、最も闊達で劇的で、しかも微細な表現を見事に発揮していたのがレポレッロ役のエルヴィン・シュロットだ。その存在感は、不良青年的なジョヴァンニ役のクリストファー・マルトマンを食ってしまうほどであった。騎士長のアナトーリ・コチェルガが太い低音で健在だったのは懐かしいし、慶賀の至りだ。パーヴォル・ブレスリクのオッターヴィオと、アレックス・エスポジートのマゼットは手堅く健闘というところだろう。

 ドンナ・アンナのアネッテ・ダッシュが病気で出られなかったのは残念だが、ブルガリア出身のスヴェトラーナ・ドネーヴァが代役でいいところを示した。ドンナ・エルヴィーラのドロテア・レッシュマンは歌唱面では文句ない出来ながら、何かこの役柄を一つ掴みかねているような曖昧さが感じられた。勿論これは演出のせいだろう。観ているわれわれの側にも、この舞台ではエルヴィーラのみが何か明快な存在でなかったように思えたのである。
 例のツェルリーナ役はエカテリーナ・シウリナで、この歌手はなかなかの曲者だ。

 ウィーン・フィルの音色は相も変わらず美しい。2-27という至近距離で聴いたためもあり、その美しさはさらに増す。指揮はベルトラン・ド・ビリーで、オーケストラをかなり厚みのある響きで鳴らしており、最後のカタスローフでもすこぶる緊張にあふれた音楽をつくっていた。
 結構な指揮だと思ったが、どうも反対派がいるらしく、第2幕の初めに彼がピットに現われた瞬間には何人かが強烈なブーを叫んでいた。これに対してウィーン・フィルのメンバーがこれ見よがしに彼に拍手を贈るという光景も見られた。

 総じて、ザルツブルク音楽祭のプロダクションらしく、よく作ってあって、手堅い出来を示す上演といえよう。第1幕は芝居が長かったため100分近くを要したが、第2幕は通常版より曲が少ないので、わずか75分ほど。3時開演で、6時半にはすべて終った。
 昨日に続き快晴で、気温もかなり高い。

コメント

8/11に観ました。面白い人物・物語設定と舞台でしたね。なかなか見ごたえのあるオペラでした。歌手もオケもなかなかの公演でしたね。私の時は曲の終わった後のカーテンコールで少しブーイングがでました。見慣れぬ演出と6重唱のカットに対するブーイングかと思いました。私は全体としてかなり気にいりましたが、6重唱を初め、いろいろと歌唱のカットがあり、普通の演奏に聴きなれた耳には少しズッコケるような感じを味わいました。

・グート前演出の「フィガロ」と打って変わって、今回は盟友クリスチャン・シュミットとオラフ・ヴィンターの舞台・照明が印象的でした。。2幕神韻とした樹葉の間に木漏れ日が、回転舞台に伴って様々な意匠を凝らす所など陶然となりました。
・ヤク中のレポレロの造形が、シュロットの達者な演技もあり説得力がありました。チック的な痙攣動作や麻薬を打った後の多幸感の表出等、グート演出の緻密さを感じさせました。
・瑣末ですが、登場した車、アウディでなかったですね。エンコするからさすがに遠慮したようですね。雑音が出なかったから電気駆動に改造したのでしょうね。
・8月のこのあたり、去年の「魔弾」でもそうでしたが、常連の妙な〈ブーマー〉がいるようですね。ビリーの指揮は、すばらしいものでした。来年の最終作「コジ」がたのしみですね。

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