2024-02

2008・9・12(金)二期会「エフゲニー・オネーギン」初日

   東京文化会館

 日本人のみの歌手陣で、原語による「オネーギン」が上演できるようになったのだから、思えば時代も進んだものである。
 オーケストラも東京交響楽団だが、ただし指揮はロシア人のアレクサンドル・アニシモフ。すっきりした、誇張や思い入れのほとんど無い指揮ではあるけれど、このオペラの叙情的な音楽を浮き彫りにして美しく、また華やかさを排した演出ともよく合致していた。

 その演出は、話題のペーター・コンヴィチュニー。彼の舞台のうちでは、これは意外なほど「まとも」な部類に属する。とはいえ、新機軸はいくつかある。
 たとえば、オネーギンがタチヤーナに説教する時にも、レンスキーとの決闘に臨む時にも、すべて泥酔気味であること。もっともこれは、オネーギンが常にそのあと自己嫌悪に陥ることを考えれば、わざと酒を煽って自己逃避していると勘繰れないこともない。それにオネーギンは、タチヤーナの手紙を大勢の女に見せびらかして嘲笑するという言語道断な男で、みんなの顰蹙を買うのだが、これが第2幕冒頭での客たちの陰口に結びつく。よく考えられた伏線である。
 第3幕の「ポロネーズ」を舞台転換の音楽としているのは最近の演出の流行で、特筆すべきものではないが、その音楽に乗せて、自己嫌悪と後悔のカタマリになったオネーギンが親友の遺体に取りすがり絶叫し、ついには彼を抱いて踊り出すという狂態を演じるくだりなどは、コンヴィチュニーならではの発想であろう。

 タチヤーナの描き方にも、なるほどと思えるものがある。たとえば、オネーギンに手紙を書く際に、参考になる文章を引っ張り出そうと、いろいろな本を調べはじめること。読書好きの彼女なら、やるだろう。こういうところに着目するコンヴィチュニーのセンスは、やはり洒落ている。

 この人の演出の、極度の人間くささ、非論理性、精緻な機微を備えた心理描写、といった特徴は今回も充分に発揮されていたが、その一方で彼の舞台に時々感じられる、一種の野暮ったい「隙間」のようなものもかなり見られたのも事実だった。それは初日公演のせいもあろうが、また日本人歌手たちの演技の限界のせいかもしれなかった。

 しかし、ラストシーンにおけるオネーギン(黒田博)とタチヤーナ(津山恵)の歌唱と演技は、それまでの不満を解消した。そして最後の「おお、この恥辱!」というオネーギンの歌詞の意味を、これほどまで巧妙に、しかも皮肉に、多少は喜劇的に具現した演出を、私はこれまで見たことがない。オネーギンの性格のある面を描くにふさわしい、興味ある彼の行動である。

 カーテンコールでコンヴィチュニーが登場した時、ブーを飛ばしたのは、多分一人くらいだろうか。が、これしかブーイングがなかったということには、もしかしたらコンヴィチュニーは不満だったかも。

    詳細 グランドオペラ 2009春号 

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