2024-03

2018・4・15(日)東京・春・音楽祭 「スターバト・マーテル」

      東京文化会館大ホール  3時

 1カ月にわたった「東京・春・音楽祭」の、今日は目出度い千秋楽。
 祝典のような演奏会ゆえ、ホワイエに集う客層も、レオンスカヤのリサイタルのような、「好きでたまらず聴きに来た」といった雰囲気の聴衆の集まりとはちょっと違う。

 さて、その華やかな雰囲気の中で演奏されたモーツァルトの「交響曲第25番」と、ロッシーニの「スターバト・マーテル」だが、━━せっかくの良い音楽祭のフィナーレを飾る演奏会だったのに、残念ながら演奏は、著しく低調なものだった。
 第一に、スペランツァ・スカップッチという女性指揮者が力不足だ。彼女が東京都交響楽団から引き出す音楽に、何とも緊迫感がないのである。モーツァルトの交響曲の冒頭からして、都響の演奏には何か「お座敷的」な密度の薄い雰囲気が感じられ、音楽に生きた躍動がほとんど感じられなかったが、これは全く指揮者の責任であろう。

 次の「スターバト・マーテル」に至っては、演奏に緊迫感がさらに希薄なこと、驚くほどである。音楽たるもの、休止符の個所での静寂は、本来は息づまる緊張に満たされるべきなのに、彼女の指揮では、それが死んだような沈黙と化してしまう。つまり音楽の流れがそこで止まってしまい、次に続くべき生きた呼吸が感じられないのである。指揮者自身はパウゼを長く採って愉しみ、自らは頭の中で音楽しているつもりのかもしれないが、それが実際に聴き手に伝わって来なくてはなんにもならない━━。

 都響も生気が感じられない演奏だったが、声楽陣も同様。これも明らかに指揮者の責任である。ソロ歌手陣は、エヴァ・メイ(S)、マリアンナ・ピッツォラート(A)、マルコ・チャポーニ(T)、イルダール・アブドラザコフ(Bs)という顔ぶれだったが、指揮の所為もあってか、歌唱にも燃えるような熱気が不足していた。
 特にテノール歌手には、それ以前の問題がある。歌唱はお世辞にも一流とは言い難い水準で、第2曲(アリア)の歌い方もひどく乱暴なものだった。

 合唱の東京オペラシンガーズ(合唱指揮はマティアス・ブラウアーと宮松重紀)は何とか頑張ったようだ。だがそれも、彼らが最後の第10曲(アーメン)でせっかく熱唱して盛り上げて行っても、終結直前の大きなパウゼで音楽の流れがまたせき止められてしまうのだから、感興が削がれてしまう。

 私はいつも演奏のあとでは、オケが引き上げるまで拍手を送ることを旨としているのだが、今回ばかりは、どうにもその気になれなかった。
 演奏とは関係のない話だが、右側後方ではプログラムを異常にバリバリと音をさせてめくるオヤジがいるし、また私の左隣の男は、1時間に及ぶ「スターバト・マーテル」の間、終始居眠りしていて、やたらこちらに寄りかかって来るし(4度押し返したが全く効果がなかった)、散々である。

コメント

どうしたら、そういうことになってしまうんだ!!

>>終始居眠りしていて

 ミュン・フン=チュン指揮NHKsoの組み合わせのたぶんメシアン・イヤーだったと思うけど、2つプログラムがあって(メシアン+ブルックナー7番)と(メシアン+マーラー9番)の両方行きました。の前者、本当に行きたくて行ったプログラム。けど聴いているのはあの多目的ホールの3FーRブロック。
 まだティーレマンの時代じゃないけど、ドレスデンに登場し始めていたからオルガンのようなブルックナー・サウンドが聴けると思って聴いていた。傾斜のある座席だから後ろ席の何気ない音も耳に入ってくる。(いびきの明確に判る)+(放送日なんだから放送にでも乗ってしまうしまうんじゃないのというくらいの鼾)。第2楽章の崇高な分厚いサウンド/静寂も音楽の一部をなしている音楽の時。
 「もう、いい加減にして。」と思いました。隣の人もクスクス笑っていてお互いアイコンタクトとりだして、若干斜めの座席だし、傾斜のついている座席だから鉛筆の先で軽いタッチで(トン+トン+トン)と3回も突っついた。けど、反省もしないしますます深いご就寝モードに入っていきました。
 曲が終わり、何事もなくお帰りになりました。驚いたのは、その通路で立派な拍手と大きな”ブラヴォー”まで発していました。☚<<<本当の本当の話です。>>>

 2つ目これはさすがに仕方がないのですが、インバル指揮チューリヒ・トーンハレ管の”トゥーランガリラ交響曲”。ピアノはジャン・イヴ=ティボーテ。豪華版です。
あそこは風呂桶にでも入っているような錯覚を覚えてしまうような1500人入らないホールですよね。(サントリーホールのような人工的な空間とは全く別物 タケミツメモリアルホール=東京オペラシティーコンサートホールがより一層自然発生的に進化しきってしまったような空間)
 シューボックスタイプの2FーL側に居たので傾斜があります。19時30分開始1曲だけです。前の列の3つ隣の席の明らかに定期会員のご淑女様。70代前半でしょう。。頭がどんどん垂れていく。「あっ、寝てる。」けど、忠実な定期会員の証である特徴的な席位置だから音楽そのものに耐えられないのでしょう。。
 曲全体前半のクライマックス第5楽章でも起きない。その後の第6楽章は<ああいう音楽>だから起きる訳は到底考えられない。
第7楽章のガムランの響きに全体がな風呂桶のように響いているのに打楽器群の音響に強いご淑女様(良い意味で女史殿)。
 最後まで、合計78分間程度全体。記憶に残らない演奏だったことでしょう。
 ちなみに1列違うだけで当時のレートで2,500円違うんだけど。。(次の日は、ウラディーミル・フェドセーエフ指揮チューリヒ歌劇場の マッティ・サルミネンの詠う”ボリス・ゴドゥノフ”。マリーナはルチアーナ・ディンティーノ。今では演奏されなくなりつつあるボリスの死で終わる版。モネ劇場からのレンタル新演出初日だった)

>>やたらこちらに寄りかかって来るし

 そうですね。いますね。隣の席だったから、寝てるし(「いい加減にしなさいよ!どうしたらそういう口臭になるの。なんか内臓の病気でも抱えているの?病院行ってらっしゃいよ。」という)吐息が臭いからつま先で靴を本気で蹴ったことあります。 こっちは(大げさではない偽りなく)二重にマスクしたい状態。若い時だから蹴った。「すみませんね。」と白々しく言ったことがあります。

<<こういうこと、隣の席の方に苦言を発したことがあります>>

もう25年前でしょうか。藤原オペラが抽象的な何度も見ないとちょっとやそっとでは演出意図の見えにくい(わかりやすく言ったら、ロバート・ウィルソン演出にとって命 いのちの大事な照明が具体的に明るくさせてしまったような)”蝶々夫人”。東京文化会館5FーLブロック2列目の真端っこ、(崎陽軒の焼売)を始まる前から広げてしまった80代に差し掛かったご年配の男性。第1幕をほんのり肉汁の零れ落ちる温かみのある匂い気。興が削ぎれる。また判りにくい演出・舞台に、林康子がもう第1幕しか持たない声だから。第2幕全部耐えられない状態でもあることが第1幕前から判る、舞台袖で発声し出していて。「不調だけど、歌います。」のアナウンスももちろんありました。
第1幕が終わって言いました。
「すみません。恐れ入りますが召しあがっておられる食べ物の封を閉じていただけますか。」 その80代の男性は第1幕中にも上演中、焼売を食べ続けていたので口臭が中華独特の臭いなのです。「あ、すみません。これですか。(封を閉じて)これでよろしいですか。」
80代なので、その後の言葉は敢えて言わないことが大事だと思ったから何も話しませんでした。(この方、のちに建設された新国立劇場に行くことが可能な身体だったのでしょうかね。。今から思うに)
その舞台、再演されてしまうから驚いた。二度と見たくない。現在の新国の演出は、高校生の鑑賞教室の公演でも行ったくらい気にいっているけど。

****
そんな自分だって注意されたことがあります。
新国立劇場での ダン・エッティンガー指揮東フィル下での”ジークフリート”再演。第1幕。およそ60分。どうも鼾をしたらしいです。隣の60代後半男性から「起きられましたか。いびきを少ししておられましたよ。」  人のこと言えないな。と思いました。

****だけど、云う。もう東京を離れて5年経つけど、
あくまでも一つの氷山の一角の例だけど、ミュン・フン=チュンの指揮での演奏会の時って、<どうしたら、あんた(貴方)そういう反応の仕方になるんだよ!>がありますね。今でもあるのかなー。

日本初登場のようで。チューリヒにも登場するそうで。。

スペランツァ・スカップッチSperanza Scappucci 。

今回、東京に来たそうで。前月は、ウィーンシュターツオーパーで、アニタ・ハルティヒ主演の”ラ・ボエーム”だったそうで。誰かの代わりのような気がします。間違いだったらすみません。

Facebookにどんどん彼女の情報が自ら更新されていく母親と一緒に東京行きLH714便のゲートでの写真が写っている。
次シーズン2018/2019に”ラ・ボエーム”再演に登場するそうで。

 ウィーンシュターツオーパーの公式ホームページ上のプロフィールでは、チューリヒ歌劇場に”連隊の娘”で登場することになるでしょう。だそうで。次シーズンの演目には挙がっていない。もう新演出でしかありえなくなります。
前回チューリヒ歌劇場”連隊の娘”は1995年12月31日再演演目初日です。グルベローヴァ/デオン・ファン・デア・ヴァルトの組み合わせです。

 うーん?マルチェロ・パンニ指揮だから。
 マルチェロ・パンニ。(パヴァロッティのウィーンでの最後の”愛の妙薬”の指揮だった。楽友協会で最後のリーダーアーベントが急遽行われた時でもある。もちろん行きました。カルロス・クライバー指揮ウィーンフィル日本公演が実現しなかったジュゼッペ・シノポリが代役指揮の時期)
 この指揮者で聴くくらいなら、ペーター・シュナイダー指揮のお得意の”薔薇の騎士”観ようと思いました。同じジルヴェスター・ガラならば。
 出てきたのは、フェリシティー・ロットでなくチェリル・スチューダーのミュンヘンではお初のマルシャリン(ザルツブルグでの成功を受けての)。
 クリスティーヌ・シェーファーのミュンヘン初登場。(ロットは、ウィーンで初めてのアラベラを控えていて、ミュンヘンをキャンセル)

スペランツァ・スカップッチSperanza Scappucci 。
まず、チューリヒでお試しでの”ラボエーム”を切り抜けられるかどうか使ってみて、この歌劇場は使おうとしているのだろうか。
 個人的には高い交通費を払ってまでも寄りたいとは思わない配役。1泊50スイスフランで宿泊でも行きたいとは思わない配役です。
 ウィーンのこの3月は同じ演目で一定の成功を達成していたこととつじつまが合ってしまう。
チューリヒ歌劇場の詳細は何もかも具体的に発表されていて、旅行のパズルを組み合わせていく段階だから、どういう配役なのか見向きもしていなかったから行くはずはない。
家の周りに/家の中にも、これでもかという位お魚がたくさんある”ムチェンスク郡のマクベス夫人”の演出家の舞台のもの。人間の身体と同じくらいのサイズを抱きかかえて演技したり歌ったりする舞台写真ありました。ベルリン・ドイツオペラと北欧のどこかの共同制作。

 チューリヒ歌劇場の”連隊の娘”。次次シーズン2019/2020シーズン以降、誰が出演し得るんだろう。次シーズンは、アレクサンダー・ぺレイラ総支配人時代の演出の再演が今までで最も非常に多い。なおかつスター級の歌手も比較的大勢戻ってくるというか旬の大物がやってくる。
( ファビオ・ルイジが再び”薔薇の騎士”を振る。かつて、ドレスデン歌劇場日本公演で準・メルクルを追いやって自分が指揮して、”タンホイザー”も結局自分は振らなかった時の。
 シモーネ・ヤングも、ぺレイラ総支配人時代の”エレクトラ”。今シーズンは、6年前東京二期会にもレンタルされたクラウス・グートの”パルシファル”も指揮している。)
 
誰が、スペランツァ・スカップッチという指揮者の下で”連隊の娘”歌えるのだろう。。
あの劇場は、エンリケ・マツォーラEnrique Mazzolaがドニゼッティの類の新演出担当の指揮者に選ばれています。
グルベローヴァ級の歌手での新演出なら、ディアナ・ダムラウが主役になってしまうのだけど。。お相手のテノール歌手は、Ismael Jordiくらいなら釣り合いが取れます。
 ベルケンフィールド侯爵夫人をどうするのだろう。笑わせてくれる要素を持ち合わせている台詞同然の歌を熟さなくてはならない。
 誰かぺレイラ総支配人時代に大物だった歌手を引き連れて来るしかない。それもソプラノ歌手。。
100%当たらないけど、ヴァルトラウト・マイヤーという選択肢はあるにはあるでしょう。ホモキ総支配人の下でも、リーダーアーベントはやっています。昨秋11月に。
(ウィーンの3人目のベルケンフィールド侯爵夫人は、マルヤーナ・リポフセク。モンセラ・カバリエ→キリ・テカナワ→M・リポフセク)

*********   *******   ******

ネロ・サンティの居た時代に戻してほしい。N響に客演していたサンティだったら、今指揮できるかどうかわからなくてもどんな配役にしてくれるだろう。と心から思います。

反動・揺り戻しに転じているようなチューリヒ。どんな展開を見せるのか、障子の襖に唾を指先に付けて穴を開けたような感触を覚えてしまうSperanza Scappucciのフェイスブックです。今後の手がかりをのぞかせています。

聴いてないけどマルコ・チャポーニ。

マルコ・チャポーニMarco Ciaponi。

operabaseで2014年以来の舞台での活動を中心に判るのですが、
東京での活動は本人にとっては体験少ない最も少ない(やかましい論評・批評の交錯する)音楽市場進出の第1歩のような略歴。
まだ、次シーズン2018/2019での公表されているのはまだ一つだけ
ベルリンドイツオペラ 
2018/12/13・16 ラ・トラヴィアータ(ゲッツ・フリードリヒ演出)
指揮:ドナルド・ラニクルス
ヴィオレッタ:パトリシア・チョ―フィ  アルフレード:マルコ・チャポーニ
ジョルジョ・ジェルモン:ノエル・ボウレイNoel Bouley

だけは判明しています。

*****
この4人のソリストで国際的な一流指揮者で鍛えられていないのは、マルコ・チャポーニのみということのようです。これは断言してもいい状態。
マリアンナ・ピッツォラート(A)もレヴァイン指揮の”アルジェのイタリア女”に起用されている。

1990年代に登場してきて今、大器晩成しているグレゴリー・クンデ。この人はリッカルド・ムーティという強力なバックがあったから、叩かれても叩かれても生き残った。
もう60歳過ぎてしまっているけど、今やミュン・フン=チュン/フェニーチェ・オペラ日本公演で”オテロ”。今度のローマ歌劇場日本公演の”マノンレスコー”のデグリュー。ロイヤルオペラハウス日本公演予定の”オテロ”では題名役。現地のロンドンではヨナス・カウフマンとダブル。
にまで生き残った。

今までつぶれてしまった歌手。思いつけばテノール歌手2人(1990年代)。ルカ・カノ―ニチ ピエトロ・バッロ(新国の”リゴレット”不調で出演して歌ったから叩かれて消えていった)は思い当たる。 しかしこの二人にも強力な後ろ盾になる超一流指揮者はいなかった。

誰もが後ろ盾になっていてダメになってしまった歌手に ステファニア・ボンファデッリ。

歌手の成長時、本人自身の悩んでいるであろう時期にさりげなく支えてくれるエージェント/歌劇場/一流指揮者の存在は、およそ何とか生き残っていく場面はあると思います。この三者の一つでも欠けると苦しい生き残りが強いられていくと私は思います。
(異論もあるでしょう)
                                 END

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