2024-03

2008・10・12(日) びわ湖オペラ「サロメ」

   滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

 僅か9ヶ月の間にR・シュトラウスのオペラを、それも非凡な水準の新プロダクションを二つも制作するというのは、日本のオペラ界にあっては偉業と言うべきであろう。
 沼尻竜典(芸術監督)とびわ湖ホールが、2月の「ばらの騎士」に続き、今回は「サロメ」を成功させた。彼が指揮する大阪センチュリー響の濃密な快演と、日本人のみで編成された歌手陣の健闘、カロリーネ・グルーバーの新解釈演出による、見事な上演だった。
 これはポルトガル国立サン・カルロス劇場との共同制作。

 まずはグルーバーの演出だが、基本的なコンセプトは多分こうだろう。
 ここでのサロメは、本来は異常な怪物でもなんでもなく、思春期を迎えている普通の少女(スカートにソックスという服装)なのだが、両親との幸せな家庭生活に憧れているにもかかわらず、その両親の淫乱猥雑な日常を見せ付けられていることにより精神的に荒廃して行く。彼女のそのストレスは、偶々ヨカナーンという予言者に出会ったことで暴発し、彼への愛を妨害するナラボートや小姓をも殺害した挙句、ヨカナーンの血塗れの首を抱きかかえ(あたかも胎児を抱くことを夢見るような姿で)愛撫しつつ、自ら短剣で命を絶つ――。
 サロメ像については古今多くの解釈が行われているが、このグルーバーの演出アイディアは、すこぶる面白い。

 場面は一貫して、ブランコや滑り台、人形や玩具なども見える遊園地のような光景の中に進められる。
 冒頭、ブランコで遊ぶ幼女サロメの姿が目に入るが、これはまもなく、同じ服装をした、少女に成長したサロメ(大岩千穂)にすり替わる。とはいえ幼女の方も最後まで舞台に存在し続け、人々の関心の対象にもなっているので、これはサロメの分身としての性格を示していることは明らかだろう。
 ヨカナーン(井原秀人)は井戸でなく地上にいて、折々後景から出て来る(これは最近よくやられるテである)。ヘロデ(高橋淳)やヘロディアス(小山由美)をはじめ、その場に集う人物はいずれも淫靡で華美な服装と演技である。
 
 しかし、なんといっても極めつけは、「7つのヴェールの踊り」を、サロメが父母――もちろん、ヘロデとヘロディアス――との家庭の団欒を夢見る場面に仕立て上げたことであった。サロメは父のバースデーを祝って母とともにケーキを楽しく食べ、父とバドミントンをしてはしゃぎ、母は服にアイロンをかけるという、まさに温かい一家の生活が展開する。しかし、この夢も長くは続かぬ。踊りの音楽が終結に近づくと、父と母は突如悪魔のような姿に変って行き、少女サロメの顔に恐怖の表情が浮かぶや、踊りの終了和音とともに舞台はもとの猥らな世界に戻る。
 この心理学的な解釈は実にすばらしく、強烈な印象を生む。現代の社会問題を描き出すとかなんとかいう説明も可能だろうが、それ以前にまず舞台芸術としての一つの成果であることは疑いない。

 こういうドラマを創り出すに当たり、日本人歌手たちは見事な演技と歌唱を繰り広げていた。聴きごたえと観ごたえ、ともに充分なものだったと断言して間違いではない。脇役や無言役の助演者たちにいたるまで同様である。下手寄りでは終始かなりエロっぽい演技を続けていた助演者たちもいたが、そうした隅々までの完璧な演技こそが、舞台を引き締めるもとになる。

 カーテンコールでグルーバーとヘルマン・フォイヒター(照明)が一緒に登場した時には少々のブーイングも出たが、むしろこのくらいの反応がなければ、手ごたえがあったとは言えまい(なおブーを叫んだ一人は、某大新聞社の論説委員だった由)。

 そして何より最大の賛辞は、沼尻竜典と、彼の指揮する大阪センチュリー響に捧げられなければならない。今回も、今年2月の「ばらの騎士」に勝るとも劣らぬ濃厚で官能的な、劇的表情の強烈な演奏であった。歌手の声量を考慮した、抑制された音量の個所にも、きわめて柔らかく拡がる豊満な音色があふれていた。その一方、ヨカナーンの首が台車の荷台から放り出されるあたりの管弦楽の怒号には、衝撃的なほどの魔性も漲っていたのだった。経済的な苦境に直面している大阪センチュリー響の、必死とも言える演奏を称えたい。

 当然ながら、沼尻の近年の変貌にも目を見張らずにはいられない。かつてはクールな音楽の持ち主だった彼が、なにがきっかけで、こんなに表情の濃厚な、劇的な音楽をも創るようになったのか。
 終演後の打ち上げの際に、冗談交じりに彼に「そういう傾向を、自分でも意識している?」とたずねたら、「そうかなあ、全然自分では意識してないけど。しいて言えば、トシとったせいかな」と笑い飛ばされた。頼もしい指揮者が、ここにもいる。

コメント

すごいサロメですね。読んだだけで興奮しました。サロメが普通の少女なのだという考え方は、非常に共感できるものです。

琵琶湖ホールの『サロメ』

『カロリーネ・グルーバーの新解釈』
私には理解不能だ。
神奈川県から足を運び、期待していただけに、
正直なところ、一寸損した。それが実感です。
新解釈も良いが、原作の良さをないがしろにしたもので、
私の期待したもののではなかったことだけは確かです。

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