2024-02

2008・11・26(水)イアン・ボストリッジ・リサイタル

  東京オペラシティコンサートホール

 マーラーの「若き日の歌」から2曲、「子供の不思議な角笛」から3曲、「さすらう若人の歌」、後半にベルリオーズの「夏の夜」。

 もともとボストリッジは、リサイタルでは前後左右に激しく動き回り、上下左右に顔の向きをのべつ変えながら歌う癖がある。
 ところがこのホールは、左右の壁の音のはね返りが大きいので――前回ここで彼のリサイタルを聴いた時もそうだったが――顔の向きが変わるたびに、声の響きが全く違って聞こえる傾向があるのだ。早い話が、ソロの声がステレオのスピーカーの左、中央、右と絶え間なく動き、その都度左は左側から、右は右側から、それぞれ残響が付加されるようなもの。1階真ん中あたりの席からは、これが気になって、落ち着かないこと夥しい。
 しかもピアニストのジュリアス・ドレイクが、(もともと饒舌に書かれている)上声部を異様に大きく、しかも鋭く弾く。そのためもあって、歌との和声的な一体感が失われ、えらく雑然とした音楽に聞こえてしまうのであった。

 ボストリッジの声そのものはすばらしいし、ソット・ヴォーチェも見事だし、ドラマティックな表現力も卓越している。それゆえ、マーラーやベルリオーズの歌曲にこめられた劇的な激情を、彼以上に巧く表現できる歌手はいないと思うのだが、こちらが最後までそれにほとんど集中できなかったのがもどかしい。どれも大好きな曲だったのに――いっそオーケストラ伴奏で聴きたかったなと思っても詮無きこと。

 もっと大きなホールか、あるいは音のはね返りが少ないホールなら、また違った印象を得るだろう。
 彼が4年前のイースター音楽祭の際、ザルツブルク祝祭大劇場で、ラトル指揮ベルリン・フィルと協演して3日連続で歌ったブリテンの歌曲集など、それはもう見事なものだった。リサイタルの時ほどには顔の向きは動かさないけれど、それでも他の歌手よりは頻繁に動く。にもかかわらず、音像がぶれることは全くなかったのである。したがって ppp から ff にいたる音量の幅、歌詞の内容に応じての表現の多様さが、あの時は実に自然に味わえた。そして彼独特の身振りも――ポケットに手を突っ込んでアパッシュよろしく与太って見せたり、客をにらみつけたり、罵るような格好で歌ったり、苦悩や陶酔の表情を交えたりといった「癖=演技」も、今回のような余計なことに煩わされずに楽しめたのであった。

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