2024-02

2006・4・2(日)東京のオペラの森 ヴェルディ「オテロ」

      東京文化会館大ホール  3時

 4回公演の最終日。指揮が小澤征爾からフィリップ・オーギャンに変ったのと、初日にはオテロのクリフトン・フォービスが開演直前にドタキャンしたことなど、少なからずドタバタもあった公演である。

 しかし、プロダクション自体は、悪いどころか、むしろ日本でのオペラ上演としては優秀な部類に属するだろう。クリスティーネ・ミーリッツの演出は予想外にストレートで、妙な読み替えも捻りも見られなかったのは、日本の観客向けということを意識したのだろうか。これはウィーンでも上演されるらしいが、その場合には極めておとなしく、新味がないと評されるかもしれない。

 ユニークなところといえば、冒頭と最終箇所にヴェネツィア元老院の議員連中を無言で登場させ、オペラでは触れられていないシェクスピアの原作戯曲のイメージを多少導入していたこととか、あるいは終場面でヤーゴは逮捕されず、それどころか悔悟の身振りさえしつつ独りで退場して行くことくらいであろうか。
 キプロス島などの光景を一切取り入れず、網状の紗幕か仕切り板のようなものを活用した抽象的な舞台(クリスチャン・フローレン)および変化の激しい強力なパワーも備えた照明(ルドルフ・フィッシャー)などは、現代のプロダクションとしてはとりわけ珍しいものではない。

 クリフトン・フォービスのオテロは、超人的なオペラ・スターの役柄というイメージはないが、しかし十分な力感を備えたものだった。
 クラッシミラ・ストヤノヴァのデズデーモナは演技も歌唱も立派である。ラード・アタネッリのヤーゴも、声量も充分で迫力に富んでいた。
 その他の内外混成歌手陣は特に傑出したものではない。「東京のオペラの森合唱団」は演技も歌唱も力演である。もっとも舞台はおしなべて暗く、合唱団員の姿が明るい光の中に晒されることはほとんどなかったが、それでも動きはよく統一されていた。

 フィリップ・オーギャンがオーケストラを極めてダイナミックに鳴らすのには少々驚いた。「オテロの死」の最後の箇所でも、コントラバスのトレモロはかなりの強奏で行なわれている。その他、フォルティシモはしばしば怒号になる。日本のオケ・ピットがこれだけ荒々しく咆哮した例はあまりないだろう。だが悪いことではない。メンバー表には錚々たる顔ぶれが並んでいるが、昨年同様に粗っぽいし音は汚いのは問題だが。

 にもかかわらず歌手の声がよく聞こえるのは、オーギャンがオペラに関してのベテランであり、オーケストラの慣らし方が巧いのだろうか。主役歌手は前方に出てきて歌うことが多いため、これだけオーケストラが咆哮しても、歌をちゃんと客席に響かせることができる。ヤーゴの信条の箇所など、普通でもオケに消されることが多いのに、今日は充分に聞こえたのだ。もし小澤征爾だったらこんなにオケを鳴らさないだろうから、その時には前方に出てきている歌手の声とのバランスはどのようなものになったのだろうか。

 ともあれ、今回のプロダクションは、あれこれ言われているにもかかわらず、昨年同様に、決して悪い出来ではなかった。

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