2024-02

2006・4・12(水)ベルリン日記(2)「トリスタンとイゾルデ」

      ベルリン州立歌劇場 5時

 平土間4-4と、これも随分前過ぎる席だが、オーケストラの音色を楽しむには絶好の場所。オーケストラは連夜の公演の疲れからか、管楽器にはミスが続出していたが、音楽そのものは完璧といってもいい水準に達している。ワーグナーの音楽の深さ、拡がり、奥行感、神秘性といったものを実に見事に備えた演奏で、この作品の偉大さを改めて印象づけるものであった。

 何よりも、バレンボイムの腕の確かさは明らかだ。特に第2幕での恍惚の響きはすばらしい。彼の指揮には以前のようなフルトヴェングラーばりの大きなテンポの動きは影を潜めてきたが、しかしオーケストラをドラマティックに鳴らし、音楽を恍惚状態にさせたりする感情表現の豊かさはまたもや増したと思われる。その点でも彼は、今日屈指のワーグナー指揮者といって間違いないであろう。

 演出(シュテファン・バッハマン)が、あまりに視覚的効果が乏しいものであるため、ほとんどセミ・ステージ形式上演といってもいいくらいだ。舞台のやや高い位置にワイドスクリーン型に拡がっている回廊のような場が3幕共通のものである。人物たちは影のように動く。トリスタンは「もう一人」いて、イゾルデの愛はその歌わない存在の方に向けられている。つまり彼女の愛は、トリスタンの虚像に向けられていると思われる。
 ラストシーンでは、トリスタンのみが舞台に残される。第1幕で薬を飲んだ2人が口から血を流して倒れていたことからみると、それ以降はすべて2人の死後の出来事なのかもしれない。ともあれ、舞台がこういう有様なので、音楽を聴いていればそれで充分だという心理状態になった。

 ペーター・ザイフェルトのトリスタンがいい。イゾルデのカタリーナ・ダライマンが初日のあとで降りたので、デボラ・ポラスキが代役として登場したが、彼女の歌唱は相変わらずのダイナミックなスタイルだ。ザイフェルトのトリスタンならば、イゾルデはやはりもっとリリカルな歌唱の歌手が好ましいだろう。
 ルネ・パーペのマルケ王には文句の付けようがない。ロマン・トレケルのクルヴェナルもよく、この役は本当に影のように、無表情のままで舞台を行き来するように描かれている。

 ミシェル・デ・ヤングのブランゲーネも悪くない。彼女が最初にトリスタンに会いに行く場面でちょっとヘア・スタイルを気にする演技は、それ以降の「影のような」演技の連続とは少々相反する流れである。なおメーロトにライナー・ゴールドベルクが出ていて、歌はもうヨレヨレだが、トリスタンを威嚇する演技などには実に味があった。

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