2024-03

2005・3・28(月) ザルツブルク・イースター(終)
ブリテン「ピーター・グライムズ」ラトル指揮、ヌン演出

     ザルツブルク祝祭大劇場  6時30分

 さすがにこの日は満席に近い客の入り。これほどオーケストラの壮大な「ピーター・グライムズ」を未だ聴いたことがない。嵐の場面の間奏曲をはじめ、あの幅広いピットからオーケストラが囂々と沸き上がる。
 このような演奏で聴くと、ブリテンがオーケストラを歌詞のある箇所では比較的控えめにさせ、間奏曲ではここぞとばかりに発言させ、こうしてオペラ全体に強いアクセントを付そうと意図していたことがはっきりと理解できるのである。
 それほどまでにここでのベルリン・フィルは物凄く、このオケの本来の実力と、ラトルの鮮烈な個性が裁量の形で結びついているといっていいだろう。

 演出(トレヴァー・ヌン)は、特に奇抜なことはやっていないが、ピーターと群衆の性格づけについては興味ある試みが感じられる。大劇場の広い舞台を埋め尽くさんばかりの群衆の重量感は、彼らの異常なマス・ヒステリーの圧力をよく描きだしている。
 ラストシーンでの村人の服装が全く漁村のイメージでなく、むしろ盛装のパーティみたいだったのは少しく疑問だが、本来の意図はまだ解らない。
 この直前、舞台裏から幽かに響いてくる合唱(ヨーロピアン・ヴォイシズ)は実に見事だった。

 舞台装置(ジョン・グンター)はリアリスムとシンボリズムの中間に位置する落ち着いた風格のあるものだ。大詰の海岸場面は荒涼として凄味があり、ピーターの荒んだ心理を見事に投影している。

 ロバート・ギャンビルのピーターは、ジョン・ヴィッカーズのような変り者の野趣はなく、ピーター・ピアーズが持っていたかもしれぬ神経質な趣もない。どちらかといえば冒頭の裁判の場面などでは、我侭だがまじめで、育ちのいい青年というイメージだ。
 彼が村人の異常なほどのいびりに逢って次第に一層荒廃していく、その過程を描きだすのが今回の演出の意図かと思われるが、そういう面ではギャンビルは巧くこの役を演じたといえるだろう。

 もしかしたら、ジョン・ヴィッカーズの解釈を間違いだと決め付けたブリテンの考えも、ここにあったのではあるまいか? エレン(アマンダ・ルークロフト)とバルストロード船長(ジョン・トムリンソン)がピーターをあれだけかばうのには、やはり彼にもそれなりの弱々しさや美点があったからであるはずだ。

 船長のトムリンソンは、この役にはぴったりだ。もともと巧い人だから、腹黒いハーゲンをやってもぴったりだけれど、今回のような人のいい、温か味のある役柄を受け持っても実にいい味を出す。
 大詰近く、もはやこれまでと、舟を沖に出して自ら沈めるようピーターに勧める場面で「Good by,Peter」と震え声で言う瞬間などは泣かせる━━ただここは、前のセリフからもう少し間を置いて言った方が効果的ではないかと思ったが。

 いずれにせよこの「ピーター・グライムズ」は、昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」よりも遥かに優れた上演であった。なおこれはMETとの共同制作である由。

 おなじみのメンバーで、クラウンプラザのバーで11時過ぎまで。
 2週間にわたった旅もこれで終る。翌日、フランクフルト経由で帰国。

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