2024-03

2009・1・15(木)
読売日本交響楽団が演奏するシューベルトの「冬の旅」

  サントリーホール

 リンツ生れの指揮者ワルター・グガバウアーが客演して、モーツァルトの「交響曲第40番」と、シューベルトの「冬の旅」(!)を指揮した。何となく曲の組み合わせがサマになっている。

 「40番」は昔、小遣いを貯めてトスカニーニのレコード(SPだった)を買い、だいじに抱えて帰って来て、テレフンケンの電蓄にかけてむさぼるように聴き入った時、2,3日前に降った雪に夕陽が木立を通して穏やかに光を投げかけていた庭の光景に音楽がぴったり合い、名状しがたい陶酔感に浸ったものであった――。
 それはともかく、今日の演奏は、久しぶりに聴く、柔らかいサウンドのモーツァルトだった。どんなスタイルの演奏であろうと、良い曲は良い曲に変わりはない。すべての反復を遵守していたが、第2楽章はテンポが速いので、演奏時間はさほど長くはない。

 後半は、ピアノ・パートを鈴木行一がオーケストラに編曲した「冬の旅」だ。
 以前、岩城宏之指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢とヘルマン・プライの歌によるCDで聴いた時には、所詮ゲテモノの域を出まい、と感じたのだが、今日改めてナマで聴いてみると、案に相違してなかなか良くできていると認識を新たにした次第である。
 これは、弦12型という、大きからず小さからずの編成で演奏されたため、適度な空間的拡がりをもった響きで聴けたからでもあろう。弦のトレモロを有効に使ったり、木管を巧く組み合わせたりして、厚みのあるオーケストレーションをつくっているこの編曲の特色は、ナマ演奏での方がよく解る。

 このアレンジで聴くと、なるほどこの曲は、まさに独墺ロマン派の時代が生んだ子なのだ、という思いにさせられる――このオーケストレーションには、ウェーバー、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナーら(ついでにヴェルディまでも!)が、みんな顔を覗かせているからである。
 最も成功している編曲は「旅籠屋」(第21曲)である。ゆったりと長く引き伸ばされる表情豊かな響きは、これはもうオーケストラにしかできない大ワザであった。

 とはいえ、もちろんこれは、一長一短である。
 最大の、しかも致命的な欠点は、メリハリがなく、ただ叙情的に甘く流れすぎること。シューベルトがピアノ1台であれほど凄絶に描き出した深淵、身の毛もよだつような絶望感や虚無感、激烈な感情の高まり、といったものが、この編曲では、ものの見事に欠落してしまっているのである。
 これなくしては、「冬の旅」は成立しないのだ。となると、やはりこのオーケストラ編曲は、一種のゲーム程度のものに留まる、ということになってしまうか。

 もっともこれは、演奏に因るところが大きいかもしれない。グガバウアーは、いくつかの個所を除いて、オーケストラにソット・ヴォーチェを保たせ、延々と平板に演奏させた。また、バリトン・ソロのフローリアン・プライは、父へルマン・プライよりもずっとリリカルな声質を持っている人のようだが、このなだらかでメリハリのないオーケストラに合わせたのか、これまた劇的な要素の全くない歌い方をしていた。

 思えば、歌とピアノだけであれほどの壮絶な世界を創り出したシューベルトの凄さ!

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