2009・1・18(日)飯森範親指揮山形交響楽団の
ブルックナー「交響曲第5番」
山形テルサホール(マチネー)
「つばさ109号」で、正午前に山形に入る。予想に反し、雲一つない晴天。残雪の山形市内は、澄んだ空気が快い。
飯森と山形響がブルックナーの交響曲を手がけるのは、先頃の「4番」に次いで、これが2度目だ。
今回も弦は10-8-6-6-4の編成。だが、楽器のバランスさえ巧く設定されていれば、オーケストラの響きは、決して小編成というイメージにはならないのである(これは「4番」の時にも証明されている)。管にしてもスコアでは木管は2管編成だし、金管もホルン4(+アシスタント1)、トランペットとトロンボーン各3、バス・テューバ1という編成なのだから、楽譜通りにやるのであれば、山形響としては、せいぜい2~3人のトラを調達するだけで事足りることになる。
ブルックナーの交響曲といえばとかく超大編成というイメージがあるが、少なくとも中期の作品までは、ロマン派初期の交響曲までの編成で基本的に充分に演奏が可能なのだ。「5番」第4楽章最後のクライマックスで金管の大軍を補強するなどという手法は、あくまでオプションである。
たしかにこの飯森=山響の「5番」は、いわゆる広大無辺な響きをもつブルックナーではなかったかもしれない。だがそれは、客席数800程度のこのホールのアコースティックにも由るだろう。私は時に目を閉じ、弦の編成のことなどを全く考えずに聴いていたのだが、これはまぎれもなくブルックナーの響きであり、まさしくあの堂々たる「第5交響曲」になっていることが感じられたのである。それは筋肉質的に引き締まった演奏で、緻密に凝縮されたブルックナーであった。
特に感心させられたのは、第4楽章終結の個所。
ふつう、このあたりは、バテバテになった金管群が、数を恃んでやけっぱちのように咆哮し、アンサンブルのバランスも雑になってしまうことが多いのだが、この日の山響の――スコア通りの数の金管群は、最後まできちんと形を崩さずに、実に明晰かつ整然たるバランスで吹いてのけたのである。その結果、トロンボーンとテューバおよび低弦群によるオクターヴの跳躍のリズム(ハース版第624小節以降)が明確に浮かび上がって来て、音楽がスコア通りの律動感に富むものになっていたのだった。
この数小節を、これほど躍動的に演奏できた例は、めずらしいと言っていいだろう。
総じてこれは、まことに驚異的な演奏であった。飯森が音楽監督として率いる山形響は、いよいよ快調のようだ。10年前の山響と比較すると、その水準は、隔世の感がある。
演奏会は例のごとくライヴ収録されていたが、これは別にセッション録音されてCD化されるとのこと。おそらくライヴの方が勢いがあって良いのではないかと思うのだが――まあ、そのへんはどうなるか。
「つばさ109号」で、正午前に山形に入る。予想に反し、雲一つない晴天。残雪の山形市内は、澄んだ空気が快い。
飯森と山形響がブルックナーの交響曲を手がけるのは、先頃の「4番」に次いで、これが2度目だ。
今回も弦は10-8-6-6-4の編成。だが、楽器のバランスさえ巧く設定されていれば、オーケストラの響きは、決して小編成というイメージにはならないのである(これは「4番」の時にも証明されている)。管にしてもスコアでは木管は2管編成だし、金管もホルン4(+アシスタント1)、トランペットとトロンボーン各3、バス・テューバ1という編成なのだから、楽譜通りにやるのであれば、山形響としては、せいぜい2~3人のトラを調達するだけで事足りることになる。
ブルックナーの交響曲といえばとかく超大編成というイメージがあるが、少なくとも中期の作品までは、ロマン派初期の交響曲までの編成で基本的に充分に演奏が可能なのだ。「5番」第4楽章最後のクライマックスで金管の大軍を補強するなどという手法は、あくまでオプションである。
たしかにこの飯森=山響の「5番」は、いわゆる広大無辺な響きをもつブルックナーではなかったかもしれない。だがそれは、客席数800程度のこのホールのアコースティックにも由るだろう。私は時に目を閉じ、弦の編成のことなどを全く考えずに聴いていたのだが、これはまぎれもなくブルックナーの響きであり、まさしくあの堂々たる「第5交響曲」になっていることが感じられたのである。それは筋肉質的に引き締まった演奏で、緻密に凝縮されたブルックナーであった。
特に感心させられたのは、第4楽章終結の個所。
ふつう、このあたりは、バテバテになった金管群が、数を恃んでやけっぱちのように咆哮し、アンサンブルのバランスも雑になってしまうことが多いのだが、この日の山響の――スコア通りの数の金管群は、最後まできちんと形を崩さずに、実に明晰かつ整然たるバランスで吹いてのけたのである。その結果、トロンボーンとテューバおよび低弦群によるオクターヴの跳躍のリズム(ハース版第624小節以降)が明確に浮かび上がって来て、音楽がスコア通りの律動感に富むものになっていたのだった。
この数小節を、これほど躍動的に演奏できた例は、めずらしいと言っていいだろう。
総じてこれは、まことに驚異的な演奏であった。飯森が音楽監督として率いる山形響は、いよいよ快調のようだ。10年前の山響と比較すると、その水準は、隔世の感がある。
演奏会は例のごとくライヴ収録されていたが、これは別にセッション録音されてCD化されるとのこと。おそらくライヴの方が勢いがあって良いのではないかと思うのだが――まあ、そのへんはどうなるか。
コメント
TBさせて頂きました
アマチュア音楽愛好家の戯れ言で、推敲もろくにしていない書きなぐり文で恐縮ですが、TBさせて頂きます
聴きました
balaine さんの記事を見てうかがいました、地元山形の素人音楽愛好家です。ちょいと畏れ多い気もしますが、素朴な演奏会レポートをトラックバックいたします。当日は、たいへんすばらしい演奏と感じました。大オーケストラによる重量級のブルックナーも良いですが、このようなアプローチもあるのだなと、説得力を感じました。
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