2024-02

2009・1・21(水)児玉宏が東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団に客演

   東京オペラシティコンサートホール
  
 プログラムが一風変わっていた。
 バッハの作品を編曲して「賢い乙女たち」というバレエ組曲にしたウォルトンの作品が最初に演奏され、次に1920年代のドイツの流行歌「膝でどうするハンス君よ」による変奏曲「ドイツ流行歌の愉快な遊び」(舩木篤也氏の解説文に拠る)なるカール・ヘルマン・ピルナイ(1896~1980)の作品が取り上げられた。
 よくまあこんなめずらしい曲を探して来たものだと感心させられるが、すべて指揮者の発案だったそうである。

 就中、この11の変奏からなる「ドイツ流行歌の愉快な遊び」は、主題に古今の大作曲家の有名な曲の形をものの見事に応用して――「魔笛」序曲、「セビリャの理髪師」序曲、「アイーダ」大行進曲、「蝶々夫人」登場場面の音楽、R・シュトラウスの「ドン・ファン」、リストの「ピアノ協奏曲第1番」や「ハンガリー狂詩曲第2番」などといった名曲の中に主題を巧みに取り入れて作ったもので、それはもう吹き出したくなるほど上手くできていた。この種の「お笑い」は古今数々あるが、その中でもこれはなかなか凝った面白い作品であろう。
 後半はプロコフィエフの「交響曲第7番」で、これは児玉宏が大阪シンフォニカー響の音楽監督・首席指揮者就任記念定期演奏会(昨年6月20日)にも取り上げた曲である。

 東京シティ・フィルがこれだけ多彩な音色を出し、豊かな表情の音楽を創ったことはうれしい驚きだ。
 最初の「賢い乙女たち」では、ウォルトンの音楽というより、まさにバッハのコラールのイメージにふさわしい音色を朗々と響かせた。管と弦との絶妙なバランスもさることながら、「オルガンにも似て、しかしやはりオーケストラ」――というあの独特のサウンドが最良の形で発揮されていたのである。

 「第7交響曲」は、このところナマで立て続けに聴く機会があったゲルギエフ=ロンドン響や、ラザレフ=日本フィルのそれとも、全く異なる。今回の児玉と東京シティ・フィルのそれは、柔らかく精妙で、並外れたカンタービレとエスプレッシーヴォに満ちた演奏であった。
 いわゆるプロコフィエフのイメージとは異なる演奏ではあったが、私はこれを聴いて、プロコフィエフの精神が、もはやソ連の音楽界だの民族主義だの現代音楽手法だのといったしがらみから全く離れ、はるか遠く高く、この世ならざる世界に飛翔して行っていたのではないか、という幻想に引き込まれていたのである。プロコフィエフの死が、この曲の完成から1年後に迫っていたことを思いおこすと、この幻想も何か身の毛のよだつものになる。

 こんな印象は、昨年ザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー響との演奏を聴いた時には、得られなかった(6月20日の日記)。
 オーケストラの違い、ホールの音響効果の違い、いろいろな要素もあると思われるが、少なくとも今日の東京シティ・フィルが、児玉の精妙な指揮により良く反応していたことはたしかであろう。

 児玉宏の指揮には以前から注目していたが、今回の演奏を聴いて、やはりすばらしい実力を持った指揮者であるという感を強くした。彼の指揮は、大阪シンフォニカー響との演奏が、東京でも3月20日のトリフォニーホールで聴ける。
 

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