2024-03

2022・2・13(日)東京二期会 モーツァルト:「フィガロの結婚」

      東京文化会館大ホール  1時

 東京二期会の制作、ペーター・コンヴィチュニーの新演出によるR・シュトラウスの「影のない女」が新型コロナ蔓延の影響で中止になったことは痛恨の極みだったが、代替プロダクションとして宮本亜門演出の「フィガロの結婚」をすぐ出して来たことは、さすが東京二期会、というべきか。
 もっとも、事務局から聞いた話では、販売期間が1ヶ月そこそこというのはやはり苦しかったようで、それは今日の最終公演にも客の入りに反映していたのかなとも思われる。

 この宮本亜門演出版は、2002年にプレミエされ、以降2006年、2011年、2016年にそれぞれ上演され、今回が4度目の上演になる。私はプレミエ時には観ている(2006年のは観ていない)のだが、当ブログを始めた以降の鑑賞記録としては、2011年4月28日2016年7月13日(GP)、2016年7月18日の項に書いている。

 それらの上演の時に比べると、今回の演技はかなり鷹揚なところがあり、心理ドラマとしての性格はやや蔑ろにされていたというか、あるいは準備期間が短くてそこまで手が回らなかったというか━━。
 もともとこの「フィガロの結婚」は、宮本亜門のモーツァルト演出としては初期のもので、その後の「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」のように、社会現象にまで踏み込んだアプローチにまでは至っておらず、ただ「一日の騒動」的なものにとどまっているので、あまり多くを望むのは無理かもしれないのだが。

 従って、観ていても少々単調な舞台だったという印象は免れないのだが、出演歌手たちは一所懸命、よくやっていた。
 今日はダブルキャストのB組で、近藤圭(フィガロ)、種谷典子(スザンナ)、与那城敬(アルマヴィーヴァ伯爵)、高橋絵里(伯爵夫人)、郷家暁子(ケルビーノ)、北川辰彦(バルトロ)、藤井麻美(マルチェリーナ)、高橋淳(バジリオ)、児玉和弘(ドン・クルツィオ)、全詠玉(バルバリーナ)、高田智士(アントニオ)他、という顔ぶれ。それにマスクをした二期会合唱団。

 この中では、種谷典子の明るい歌唱表現とキュートな雰囲気の演技がひときわ印象に残ったが、高橋淳のコミカルなバジリオも存在感があり、近藤圭のフィガロは舞台姿が少し地味ながらも歌唱は安定していた。
 高橋絵里の伯爵夫人は気品があって美しいが、歌唱に今一つ安定感をというところか。与那城敬の伯爵は、以前観た時もそうだったが、彼の演じるこの役が、ただ「我儘な主人」という表現にとどまり、封建領主のあくどさといった性格には乏しかったことが、このドラマを「一日の騒動」の範囲に収めてしまった原因の一つになっていたのではないか。

 注目された川瀬賢太郎の指揮は、全体に流麗な音楽づくりといえようか。穏やかだが、弛緩はしていない。新日本フィルハーモニー交響楽団から柔らかな音色を引き出し、モーツァルトの叙情的な美しさを聴かせてくれた。
 第4幕フィナーレの第81小節(Con un poco piu di moto)からの第1ヴァイオリンの美しい旋律を、クルレンツィスほどではないにせよかなり明確に歌わせ、状況が一変したというイメージを巧くつくり出していたあたり、私には気に入った。
 総じて合唱や重唱を含め、特に第3幕以降、アンサンブルの良さ━━アンサンブル・オペラ的とまで言っては言い過ぎかもしれないが━━で音楽がいっそう魅力を増していたようにも感じられたが、これも川瀬の功績か。

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