2024-03

2022・2・25(金)井上道義指揮東京フィルハーモニー交響楽団

      サントリーホール  7時

 東京フィル2月定期の2日目の公演。井上道義が客演し、エルガーの序曲「南国にて」、クセナキスの「ピアノ協奏曲第3番《ケクロプス》」(ソリストは大井浩明)、ショスタコーヴィチの「交響曲第1番」を指揮。コンサートマスターは依田真宣。

 かなりユニークなプログラムだが、極めて刺激的な演奏ではあった。
 まずはこれが日本初演となったクセナキスの「ケクロプス」。魁偉壮大、圧倒的な力感に満ちた曲だが、随所に精緻な陰翳を漂わせてもいる。
 大井浩明は、これで彼の3つのピアノ協奏曲をすべて日本で演奏したことになるとのこと。その体当たり的なソロは流石に見事というほかはない。ピアノの蓋は外されているので、音量的にはオーケストラの度外れた咆哮に包み込まれることが多いようだが、存在感の点では些かも劣ることがないという、実に不思議なコンチェルトでもある。

 全曲の大詰め、オーケストラの轟音が、まるで巨大なマシーンが止まるように、次第に力を失って消えたあと、指揮者の井上が覗き込むようにピアノの縁に身を乗り出し、大井がゆっくりとソロを止めると同時に、やったねという表情でパフォーマンスの終結を告げるさまは、いかにもこの「大イヴェント」に相応しい光景だったであろう。

 井上の指揮は、このところ、何かに憑りつかれたように、あるいは浄化されたように、異様な高みに向かいつつあるようだ。2年後の引退を宣言したからこういう演奏になって来たのか、あるいはこの高みが見えて来たから引退する気になったのか、俗人の私にはとんと見当がつかぬけれども、とにかく、「素晴らしく」なって来たことは間違いない。

 エルガーの「南国にて」も、歓喜の感情に満たされたような劇的な演奏だった。そして出色の出来だったのは、もちろん彼が自ら一心同体とまでみなすショスタコーヴィチの交響曲で、今日の「1番」も、少年だった作曲者の才気煥発ぶりを余すところなく再現すると同時に、その中に流れる思索的な感情をも浮き彫りにするような緻密さをも出していた。

 それにまた、東京フィルが今日は実に良かった。各パートが明晰に響いていたし、怒号絶叫する個所さえ、音の濁りは全くと言っていいほどなかったのである。

 最後は井上のスピーチ。例の如く文脈必ずしも明瞭ならざる話しぶりだが、意味は解る。そしてエルガーの「南国にて」へのお答えソングとばかり、J・シュトラウス2世の「南国のばら」の一部を指揮して聴かせたが、これがまた不思議にいい雰囲気だったのだ。クセナキスやショスタコーヴィチの曲を聴いたあとだったからということもあろうが、演奏そのものがよかったからでもあろう。
 井上と東京フィルの至芸の一夜は、こうして結ばれた。

コメント

マエストロ 井上

やはり、引退されるのですね。最近の井上さんの指揮は、スポーツで言う、「ゾーン」に入ったように、圧倒的に素晴らしいと感じます。気迫ある熱演です。1公演でもたくさん拝聴していたい!そんな思いで追っかけてます。

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