2024-03

2022・3・10(木)ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル 「わが祖国」

       サントリーホール  7時

 東京フィルハーモニー交響楽団の3月定期の初日。
 特別客演指揮者のミハイル・プレトニョフが久しぶりに登場した。プログラムはスメタナの連作交響詩「わが祖国」で、慣例通り、15分程度の休憩を挟んで全6曲が演奏された。

 プレトニョフは、驚くべきテンポの速さで、各曲間もあまり空けずに指揮する。まるで32年前、ロシア・ナショナル管弦楽団を結成して華々しく指揮活動を開始した頃に戻ったような勢いのいいテンポだ。
 近年、重厚な落ち着きを増した演奏になって来た彼の指揮を多く聴いていただけに、このアプローチは意外であった。彼の音楽がまた変わったのか、それともこの「わが祖国」という作品に対してのみの姿勢なのか? 

 テンポが速いなら速いで、それ自体は一つの解釈として結構なのだが、━━第6曲「ブラニーク」の後半など、最後の頂点に向かって各主題を交互に高鳴らせながら昂揚を重ねて行くはずの個所のテンポや表情が些か一本調子なので、曲想がやや単調になってしまうという結果を生んだのではないか。

 なお今回は、ホルンを8本に増強してステージ奥に一列に配置するという方法が採られていたが、これは音量的な増強よりも、音響空間を豊かにする効果を生んでいただろう。そしてオーケストラの響き全体に豊麗さをもたらし、細部の明晰さよりもまろやかな量感を生む、という効果をも、もたらしていたようにも思う。

 カーテンコールで、ほぼ満席の聴衆の拍手に対し、プレトニョフは頻りに感謝の表情を示していたが、やがてもう一度指揮台に上り、バッハの「アリア」(G線上のアリア)を静かに指揮して行った。
 それはあたかも戦争の犠牲者を悼むが如く、「国家の行動、必ずしも個人の意思と同一ならず」というプレトニョフの考えを、言葉ではなく、音楽によって語ったものではなかったろうか。

コメント

タイミングが最悪だったロシア人指揮者の「わが祖国」。ウクライナ侵略、チェコ事件やハンガリー動乱、シリア介入、祖国に帰れなくなったアンチェル、クーベリックのことなどが頭をよぎり、東フィルは頑張ったと思うが、あまり演奏に集中できませんでした。侵略国ロシア人が「わが祖国」…アメリカ、フランスやイギリスなど外国だとブーイングが上がったかも。チラシにあったロシア政府や大使館後援という記載はパンフレットから消えていましたが、大使館員らしい人が来ていたとの噂。ロシアの誇る芸術家がアメリカ同盟国で万一でも政治的発言をしないか警戒していたのでしょうか。いずれにせよ、何も起こらない普通のコンサートでしたが国際政治の余波を東京の片隅でじわじわリアルに感じる稀有な体験となりました。G線上のアリアは東日本大震災犠牲者のためのものか、ウクライナ侵略の両国の犠牲者のものか、複雑なモヤモヤした思いを胸に会場を後にしました。たぶん両方への追悼だったとは思いますが。この時期、政治的発言のリスクは大きいので、プレトニョフは「プーチン皇帝」への賛否について、一言も語らないのは仕方ないと思います。ショスタコーヴィチが本音を隠し生き延びた社会は今なお続く。思えばこの演奏会もたしか先延ばしになっていた演奏会で、パンデミックやウクライナ侵攻がなければ、当方も素直に楽しめたでしょうね。

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