2024-03

2022・4・24(日)広上淳一指揮札幌交響楽団

      札幌コンサートホールKitara  1時

 札幌で午後1時から始まる演奏会を聴くには、遅くとも午前9時のフライトに乗らなければならず、それには自宅を7時に出なければならず、それには‥‥という、今の私には極めてきついスケジュールだったが、とにかく予定の時間にはKitara に着いた。
 不思議なことに、この2か月間ばかり悩まされていたある不快な体調不良の症状が、札幌に着いたとたんに、ほとんど消えてしまった! 北海道とは、実に不思議な所である。

 で、今日の札響の定期は、「友情指揮者」(そういう肩書なのだ)の広上淳一の指揮で、武満徹の「群島S.」、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」(ソリストは小山実稚恵)、R・シュトラウスの「英雄の生涯」。コンサートミストレスは会田莉凡。

 先日、素晴らしい「英雄の生涯」を大野和士と東京都響で聴いた直後に、今度はそれに勝るとも劣らぬ名演の「英雄の生涯」を、広上と札響で聴くことになった。
 この2人の名指揮者のストーリーの描き方は、対照的である。大野が鋭角的な音づくりでオーケストラをダイナミックに鳴らし、気性の激しい英雄が愛や戦いを経て勝利をおさめ、やがて穏やかな隠遁生活に入るといった「生涯」を逐次描き出していったとすれば、広上のそれは、札響を遅めのテンポで豊麗に響かせ、既に落ち着いた境地に入っている英雄が己の「生涯」を感慨深く回想する‥‥といったような表現の違いだろうか。

 冒頭の「英雄の主題」も、大野は戦闘的な激しい英雄像を描きつつ開始したが、広上は総譜指定通りのフォルテで、悠然たるテンポで、落ち着き払った英雄の姿を描き出す。
 また例えば、「英雄の業績」の部分でシュトラウスの過去の作品の断片が次々に流れて行くあたりでは、大野が各々のモティーフを明確に際立たせて「英雄の仕事」を誇示したとすれば、広上はそれらを豊麗な全合奏のあたたかい響きの中に、影のように浮かんでは消えて行くように演奏させ、それらを懐かしい思い出のように描く━━という具合だ。

 とにかく、オーケストラをここまで巧みに制御した広上の力量には、改めて感銘を受ける。
 16型の大編成で鳴り渡る札響の音も、豊かで壮大で、美しい。各パートのソロもいい。ホルンの1番(𡈽谷瞳)は副首席奏者だそうだが、すべての個所で、見事であった。

 そして最も感心させられたのは、4月に正式入団し、今回が定期で初めてのコンマスだったという会田莉凡である。「英雄の伴侶」でのヴァイオリンのソロが、これほどシナをつくるような、甘えるような、色っぽい「伴侶」として表現されたのを、これまでに聴いたことがない。
 なお、もう一人のコンマスである田島高宏は、今日はトップサイドに座って彼女を支えていた。

 ベートーヴェンの「第3協奏曲」では、来日できなかったデジュ・ラーンキの代わりに小山実稚恵がソリストとして登場したが、この彼女のピアノの輝かしさ、きらきらと大粒の清らかな真珠のように煌めく音の美しさ、それに強靭な意志力を漲らせた音楽の高貴さは、これまで聴いたことがなかったほどのものだった。第3楽章など、もう一度この楽章だけでもやってくれないかな、とまで思ったほどである。
 最後にオーケストラだけが終結和音を叩きつける時に、彼女も一緒に気合を入れていたところを見ると、やはり今日は十全に「乗っていた」のだろう。これもいい演奏だった!

 1曲目の武満徹の「群島S.」。武満に「縁の深い」札響も、この曲は今回が最初だとのこと。2本のクラリネットは、今回は客席ではなく、ステージ手前の両翼に立って演奏した。計21人の奏者による演奏は、整然として、あまりにも明快そのもの。

 終演後は、北海道新聞関係のおなじみの知人たちと会食。私がFM東京時代に収録した1976年12月の岩城宏之&札響の最初の「オール・タケミツ・プログラム」の際のエピソードなどを話す。翌朝8時半の帰京フライトに備え、新千歳空港のエア・ターミナル・ホテルに投宿。

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