2024-03

2022・5・11(木)飯森範親指揮パシフィックフィルハーモニア東京

      サントリーホール  7時

 「東京ニューシティ管弦楽団」改め「パシフィックフィルハーモニア東京」と、4月にその新音楽監督に就任した飯森範親。

 4月定期は客演の鈴木秀美が指揮していた(☞4月8日)が、この5月定期がいよいよその「就任記念公演」となった。ロビーには花輪が並び、招待客も賑やかで、客席も結構な入り。
 今日のプログラムは、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」(ソリストは牛牛)とショスタコーヴィチの「交響曲第1番」、メイソン・ベイツの「マザーシップ」(ソリストはマーティ・フリードマン、高木凛々子、藤原道三、牛牛)。コンサートマスターは執行恒宏。

 牛牛(ニュウニュウ、本名・張勝量)の演奏を聴くのは2年ぶりで、前回聴いた時には柔らかく美しい音色と劇的な表現力を兼ね備えた青年ピアニストだという印象を受けたのだが、今日のチャイコフスキーでは、かの伝説的ピアニスト、ホロヴィッツもかくやとばかりの猛烈なテンポと、自在に変動するデュナミーク、光と翳が不断に入れ替わるような変化に富んだ音色、という演奏で、ヴィルトゥオーゾ的な演奏を繰り広げた。

 いつからこういうタイプの演奏家になってしまったのかと訝らざるを得ないが、まあとにかく、物凄く煌びやかで激烈な、しかもスピード感満載のチャイコフスキーだったことは確かで、呆気に取られて聴いていた次第だ。解釈はともかく、祝賀演奏会の幕開きとしては、良くも悪くも、派手な花火のように効果的だったかもしれない。
 しかもソロ・アンコールには、リスト編曲のベートーヴェンの「運命」第1楽章を弾いたが、これまたおそろしく勢いのいいのなんの。

 ショスタコーヴィチの「1番」は、いつも聴くよりはやや分厚い響きの物々しい演奏に感じられ、この作品が持っている軽妙洒脱なアイロニー感には些か乏しいようにも思われたが、これは多分飯森の解釈にもよるものなのだろうから、そのまま受け取るしかない。
 ただしオーケストラは━━今日聴いた席がいつもと違う1階席中央やや後方だったので、しかとは断定できないが━━弦の響きにあまり力がなく、管楽器ばかりが強く響いて来て、しかもその管に緻密さが不足しているように思われたのだが、どうなのだろう?

 この曲に続いて演奏されたのが、アメリカの作曲家メイソン・ベイツ(1977年生れ)の「マザーシップ」という曲。
 ステージ上のオーケストラの他に、黒いシートで覆われたP席の上方にエレキギター、エレキヴァイオリン、尺八が配置され、ピンスポットを浴びながら躍動的な演奏を繰り広げる。ステージ下手のピアノには何と牛牛が座っていた(という話だ)が、プログラム冊子に予告が載っていなかったところを見ると、これはサプライズだったのかもしれない。
 照明演出も加えられ、正面オルガンから左右LB・RB席後ろの壁面にかけ、整理された構成の眩いデザインの映像が音楽に合わせて乱舞するという趣向も入っている。音楽に合わせて光が舞う、という趣向はスクリャービンも試みたもので、これはこれで興味深い。
 ただ、この映像演出についてはプログラム冊子に全く言及がなく、製作スタッフも明らかでない。曲が終る頃、オーケストラのロゴが壁面のあちこちに投映されたのには苦笑を抑え切れなかったが・・・・。

 音楽そのものについては、言っちゃ何だが、面白いだけで、あまり音楽的な感銘を受けるほどのものではなかった。「独奏パートがオーケストラ(母船)に結合したり離れたりしながら音楽は進んで行く」(プログラム冊子、オーケストラ事務局による解説)というのも、さほど珍しい切り口ではないだろう。キワモノと言っては失礼だが、まあ一瞬激しく妖しく燃えて燃え尽きる、といった性格の音楽に感じられた。

 ただしかし、こういう珍しい作品を、しかもショスタコーヴィチの「第1交響曲」という若い気負いの精神があふれた曲と一緒にプログラムに乗せる、という方針そのものは、支持したいと思う。マエストロ飯森とこのオーケストラは、こういうプログラミングも加味して大海に乗り出そうという方針らしいが、そのこと自体は興味深いことだ。さしあたりは、もっとPRに力を入れて欲しいところである。

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