2024-03

2022・5・24(火)上岡敏之指揮読売日本交響楽団

      サントリーホール  7時

 新日本フィルと、その音楽監督・上岡敏之との契約は、既に昨年8月を以って終了している。コロナ禍による影響もあって、退任間近い時期には協演も全て流れ、お別れ定期も記念演奏会も、結局何一つ行われないままだった。それにもかかわらず、今回の読響への客演の方は予定通り行われたというのは、何とも皮肉なことである。

 私のような部外者から見れば、これはちょっと奇異なことに感じられ、やはり何を措いても音楽監督としての締め括りを先にするのが仁義というものではないか、とまで思うのだが、まあ、業界の現場にはさまざまな、のっぴきならぬ事情があるもので、そういうことは私とて百も承知だし、内情もある程度は知っているから、これ以上、無用な口は差し挟むまい。

 だが、あれこれ言っても、この上岡敏之という個性的な指揮者にとって、新日本フィルよりもやはりこの読響の方が、遥かに相性が良いオケであることは間違いない。これは、彼が読響にデビューした時(1998年)から聴き続けて来た立場からの意見である。6年半ぶりの協演となった今日の演奏会を聴いても、それは実感として確認できる。
 今日演奏されたのは、ウェーベルンの「6つの小品」、ベルクの「ヴォツェック」からの3つの断章、最後にツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」。コンサートマスターは長原幸太。

 ウェーベルンが開始された時、この曲(1910年作曲)が不思議なほど陶酔的に快く感じられたというのも、上岡と読響の相性の為せる業だろうと思われる。
 「人魚姫」(1903年)でも同様、後期ロマン派の残照豊かなこの曲における壮大な官能性が存分に表出された演奏は、聴き応えがあった。クレッシェンドの凄まじさも、このコンビならではのものだろう。こういう演奏を聴くと、上岡と読響の協演はこれからもたびたびあって欲しいものだ、という熱望が湧いて来る。

 ただ、この2つの曲でしばしば聴かれたテンポの誇張と、総休止の誇張、過度の最弱音の多用、といった上岡の手法には、彼の長年のファンを以って自認する私も、そろそろついて行けなくなった、というのも本音だ。
 特にあの聞き取れないような最弱音は━━これについては、上岡さんとの雑談の際に苦情を申し立てたこともあるほどで━━私には納得できない。そもそも、聴衆に聞こえないような音をオーケストラに出させて、では誰のために演奏するのか、何のために聴衆を迎え入れて公開演奏をするのか?

 「ヴォツェック」の「3つの断章」では、森谷真理によるマリーの歌のパートを加えただけでなく、TOKYO FM少年合唱団により幕切れの子供たちのセリフ(何故かこれだけが日本語だった)と、マリーの子供の「Hopp、hopp!」とを、簡単な演技入りで挿入した方法が面白い。この曲でもテンポの誇張は聞かれたが、ドイツの歌劇場で大きな功績を残している上岡のオペラ指揮に、たとえ僅かでも接することができたのは幸いだった。

※非公開扱いでご投稿下さった方へ━━すべて貴重なコメントと存じます。よほどのこと(?)でないかぎり、公開扱いにしてご投稿いただければ嬉しいです。

コメント

東条さんのおっしゃる「聞き取れないような最弱音」は、聴力検査だと思ってやり過ごすことにして、あいかわらず独特のこだわりで埋め尽くされていた上岡さんの演奏会を楽しみました。
音楽だけでこんなにも物語を表現できるのかと、後半の人魚姫が強く印象に残りました。上岡さんが日本でオペラを指揮する機会があるとよいのに…と思ってしまいます。バレエでもよいのですが、日本のバレエ団だと演奏に負けてしまう可能性が心配。

歓迎はしたいのですがーー

演奏を聴いていないのでコメントする資格はないのですが、今回の演奏会が予定通り成立した事にかえって私も拍子抜けし、上岡さん、ヒラサ・オフィス、新日本フィル、読売日響の四者に不信感を覚えてしまったのも事実です。上岡さんのファンとしては、コロナ禍以降の新日本フィルとの共演がすべて消えてしまったのは残念な事でした。基礎疾患をお持ちの上岡さんに主治医からのドクターストップがかかり、大陸間の往復が困難になったためと理解していたのですが、事情が変わったのでしょうか。その辺について、ヒラサ・オフィスからの説明が何もないのは奇異に感じます。新日本フィルも、他の団体のコンサートなのでコメントする立場にないと判断したのでしょうし、読売日響も、上記のような理由で新日本フィルとのコンサートをキャンセルした上岡さんの現状について特に触れる必要はないと考えたのでしょうが、両団体の聴衆は重なっています。上岡さん、新日本フィル、読売日響それぞれの今後には大いに期待し、応援したいのですが、もやもやした感じが残ったままなのはとても残念です。

男女の関係でも「たまに会っていた頃は良かったけれど、一緒に暮らすようになって関係が難しくなった」ということはあると思います。
読響とも、6年半はさすがに空きすぎですが、3~4年に一度ずつ程度で、良い関係を続けて行かれたらどうかと思います。

凄い演奏に感動したのは間違いないのですが、
テンポの誇張と、総休止の誇張、過度の最弱音の多用 おっしゃるとおりのことを感じました。今回私には、テンポの誇張 がウェーベルンで特に気になりました。
それとウェーベルンはぜひ原典版でやってほしかったです。

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読響と相性抜群、解釈には疑問も

マーラーの強い影響を受けた20世紀の作曲家の3作品という大衆迎合のないプログラムには抗しがたい魅力があり、新日フィルとの決裂と上岡さん本人の姿勢への後味の悪さは感じつつ、赤坂に行ったが、魅了されて帰ってきた。客の入りは予想通り6割程度といまいち。室内楽も含めた読響との相性は抜群で、あの異形の演奏でも団員はツイッターで歓迎していた。最近の読響の発展は著しく、前後に演奏会を開いた新日フィルや日フィルとは格段の差で、もう越えられない壁さえ感じる。ただ、聞こえない大太鼓や必然性の薄い緩急や音量の急激な変化という奇をてらった解釈は相変わらずといっても、好悪を分かつでしょうね。エキサイティングな反面、あまり心に残らない。数か月たてば「楽しい演奏だったよ」としか回想できないだろう。プロのリスナーにはばかにされそうですが、私見、正直、前日の佐渡さんの演奏会のほうが、無知のそしりを受けようとも、心に刺さるものがあったと感じます。

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