2024-03

2022・6・21(火)セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団

      サントリーホール  7時

 久しぶりにナマの演奏会を聴く。やはりいいものだ。音響という点からだけでなく、演奏の誕生を現場で、音楽を愛する人たちと共有できること。私はこれが何より好きだ。
 今日の読響6月定期のプログラムは、ルディ・シュテファンの「管弦楽のための音楽」と、ブルックナーの「第7交響曲」(ノーヴァク版)。コンサートマスターは小森谷巧。

 ルディ・シュテファンは、ドイツの作曲家で、将来を嘱望されながら第1次世界大戦に駆り出され、1915年に東部戦線で戦死したと伝えられる。28歳だった由。
 この「管弦楽のための音楽」は1912年の作で、20分程度の長さを持つ大編成の管弦楽作品だ。25歳の作品にしては随分内省的な、沈潜して晦渋な趣きを感じさせる曲だが、それだけに大詰めの個所での光明を求めるかのような響きが、ひときわ強い印象を与える。
 シェーンベルクの初期のスタイルをしのばせるところもある伝統的な手法ではあるが、R・シュトラウスのような開放的な作風ではなく、どちらかと言えばヒンデミットに近い雰囲気を感じさせるものだろう。
 いずれにせよ、いかにもドイツの作曲家だなという感の音楽である。

 そういえば、私はほんの部分的にしか聴いていないけれども、シュテファンのオペラ「最初の人間たちDie Ersten Menschen」など、予想外に官能的な音楽で、彼の多才さをしのばせる。 もし彼がその後も生きていたら、どのような作曲家になって行っただろうか。戦争というものは、未来を持つ人々の命を簡単に奪ってしまう呪わしいものである。

 今日のセバスティアンと読響の、この曲における演奏は、均整を保った、すこぶる精巧で緻密なものだった。この作曲家に対する興味を湧かせるには充分で、このコンビの最良のものが出た演奏であろう。

 ヴァイグレのブルックナーを聴いたのは、あの読響常任指揮者就任定期での「9番」と、そのあと「6番」と‥‥。今回の「7番」では、第1楽章の遅めのテンポに驚かされたが、沈潜した前半2楽章でいっぱいに矯めたエネルギーを後半2楽章で一気に解放するというヴァイグレの演奏設計は明確に聴き取れて、なるほどと思わされた。
 曲がクレッシェンドして最強奏に盛り上がって行くところでの音量的なパワーは、さすが読響の馬力というべきか。

 ただ、━━ヴァイグレの身振りからすると、クレッシェンドの個所は、もっと厚い響きで巨大に膨れ上がり、恐るべき頂点に達する、というタイプの演奏を求めていたのではないかという気もしないでもない。第1楽章の終結個所や、第2楽章後半での頂点の個所など、ここぞというところで、オーケストラに今ひとつ圧倒的な濃密な響きがあったら、と思うのだが━━これは、「6番」の時もそうだったが━━わずかながらの音の淡白さ、薄さが気になった。
 それが日本のオーケストラの所為なのか、ヴァイグレの即物的な感覚によるものなのかは、しかとは判らないけれど。

 ともあれ、演奏のあと、聴衆は盛り上がった。ヴァイグレは単独でステージに呼び戻されたが、この日本の聴衆が示した反応に、常任指揮者としての彼も嬉しかったのではなかろうか。

コメント

ヴァイグレさんのブルックナー

読響での7番は、スクロバチェフスキーさん以来。私はスクロバチェフスキーさんのファンで、厳しくも美しいブルックナーが好きです。でも、昨晩のヴァイグレさんの豊穣なブルックナーも良かった。前の方の席で音の豊穣さと大きさに酔いました。淡白だとは思いませんでした。

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