2024-02

2022・7・3(日)ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

      東京オペラシティ コンサートホール  3時

 実に久しぶりに聴く海外の大オーケストラ、それもドイツのオーケストラ。いいものだ。

 海外オーケストラが年に一つか二つ来日しただけで話題が盛り上がるなどという現象は、1950年代このかた、絶えて無かったものだろう。
 とにかく、聴けたのは有難い。日本のオーケストラも今では技術的にも海外のそれに引けを取らなくなり、アンサンブルにも独特の均衡美を示していることは事実だが、しかし音の粒立ち、強い自己主張などという点になると、国民性から言って日本のオーケストラにはあまり聴かれない特徴ということになろう。

 さてそのケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団だが、2015年秋から音楽総監督を務めるフランソワ=グザヴィエ・ロトの指揮で、今日はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番」とブルックナーの「交響曲第4番《ロマンティック》」を演奏した。
 もっとも、協奏曲のソリストはわが河村尚子であり、またこの交響曲でとりわけ重要な1番ホルンは、同団首席奏者がPCR検査に引っ掛かって来日できなくなったため、読響の松坂隼が急遽代役を務めていた。かように、全て「外来勢」ではなく、日本勢が重要な役割を果たしていたわけである。これは1950年代などとは比較にならない状況であり、それがまた面白い。

 それにしても、モーツァルトの「20番」は。
 ささやくような弱音で開始されながら、突然叩きつけるような衝撃的な最強音に変わる個所でのデュナミークの鋭さや、その最強音があまりに攻撃的で、「モーツァルトの短調」の恐怖感を醸し出すあたり━━ロトの感性の見事さは言うまでもないが、やはりドイツのオケならではの強靭さというものであろう。
 一方の河村尚子のピアノも、これまたスケールが大きく重量感と風格にあふれて素晴らしかった。

 ただ、ピリオド楽器奏法のオーケストラの鋭角的な響きと、彼女のモダン・ピアノの朗々たる音色との協演が果たして適切だったのかどうかは、一口には言い難いだろう。しかし、スリリングであったことは確かだし、曲の素晴らしさを味わえたことも事実だった。
 なお彼女はソロ・アンコールにシューベルトの「《楽興の時》第3番」を演奏したが、これは自由なモノローグといった感の独特な演奏で、私は大いに気に入った。

 ブルックナーの「4番」では、例の雑然とした、未整理の草稿とも言えるような構成の「初稿版」が使用された。
 この曲におけるロトとケルン・ギュルツェニヒ管の演奏は、まさに激烈な沸騰という凄まじさで、金管群の怒号は弦楽器群を圧し、ただでさえ混然としたつくりのブルックナーの初稿を、いっそう凶暴な姿で再現してみせたもの、と敢えて称してもいいだろう。現行版との極端な違いや、通常のブルックナー演奏のイメージを完膚なきまでに叩きのめしたアプローチが面白い、と言えば確かに面白いが、ここまで極端にそれを強調した演奏は、いくらブルックナー・フリークの私でも、そう何度も聴く気にはなれなくなる。
 だが、そういう好みは別として、この演奏は、ロトという指揮者の物凄さを改めて私たちに感じさせたもの、と言ってもいいだろう。満席の聴衆の熱狂も、凄まじかった。

コメント

激烈なブルックナー

お疲れ様です。
ハースやノヴァークによって形成されたブルックナー認識の根本的改変を迫る演奏だった。徹底したノンビブラート奏法は、素っ気なく、しかし激烈な迫力で、「世界の終わり」を指し示す。あなた方は、単に聴きやすいものを聴いていただけで、本当はもっと先鋭的な音楽なのだ、と言われた気がした。これが21世紀のトレンドになるとも思えないが、一方向性だろう。
モーツァルトは極めて優美な演奏。美し過ぎると言っても良い。ベーム最後の来日の「フィガロ」に対して遠山一行が、「モーツァルトにしては豪華過ぎる。」と言っていたのを思い出した。「物悲しい隘路」に導くというものではなかった。

会場でお見掛けし、レビューを楽しみにしていました。ほぼ同じ感想です。小生は、ブルックナー後の10秒間の静寂に、チェリビダッケの同曲終了後の静寂を思い出していました。1990年10月、小生はオーチャードホールの3階席で聴きました。演奏の傾向は正反対ですが、良い意味で茫然自失、呆気にとられた10秒間でした。

座席にもよるのでしょう

モーツアルトは冒頭の弱音の緊張感がすごく、でも、これは座席によってダイナミックスが違うだろうなあと思って聞いていました。自分は2階ステージ左真横の、音圧の一番高い席。モーツアルトのドンジョバンニ的な迫力に、ただただ圧倒されましたが、その分ブルックナーはかなり煩くて、ブルックナーが心底好きじゃないと厳しいなあと、自分は楽しんでいました。

あの綺麗な女性のコンサートマスター、どっかで見たことあるけど誰だっけ?と思ってパンフレット見てみたら親切にも団員全員の名前が書いてあった。で1stヴァイオリンのトップは、あ、やっぱりNatalie Cheeさんだった。
DVDにもなってる内田光子とカメラータ・ザルツブルクのモーツァルトの協奏曲で同じくトップを弾いてた人。曲が同じ(K466)だったのですぐにピンときました。今はケルン・ギュルツェニヒのコンサートマスターになってたんですね。

目玉は分かりにくいブルックナー4番1874年第一稿で、演奏会の数日前にCDでざっと聴いてから初台に行きました。CDを聴き退屈で集中力が持たないと感じられ券を買ったのを後悔したのですが、ロト氏の指揮はごつごつした岩を鮮やかに照らす照明のように明晰で光彩のある響きで、面白く飽きずに聴けました。難をいうと、当楽団のホルン首席が出られず代役の日本人Ⅿ氏が冒頭から第一楽章は不安定だったのが気になり、ウィーンフィル以来の外来楽団なのに聴きなれた読響の日本人奏者を聴かなあかんねん、と思いましたが、曲が進むにつれ、立ち直り、音も溶け合い見事なフィナーレでした。第一稿に開眼しました。ヴァントの古いCDに聞かれるギュルツニヒのサウンドとはがらっと変わっていますが、力量が近い日本の上位オケにはない馬力や表現力は凄い。モーツアルのソロの河村さんはは典雅さの中にパトスを放出した演奏で演奏時間はだいたい標準的でしたが、アンコール含め、勢い余ってミスタッチが出るのが惜しい。それも実演の面白さではあります。内容的にチケットがやや高いように思いましたが、堪能できました。

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