2024-03

2022・7・6(水)ドビュッシー:「ペレアスとメリザンド」

      新国立劇場  6時30分

 新国立劇場の今シーズンのフィナーレを飾る、芸術監督・大野和士の指揮とケイティ・ミッチェル演出による「ペレアスとメリザンド」。5回公演の今日は2日目、成功のプロダクションであった。

 このミッチェルの演出は、このオペラを「メリザンドの幻想、もしくは夢」として読み替えたもので、6年前にエクサン・プロヴァンス音楽祭でプレミエされた舞台だ。その時の観劇記はこちら☞2016年7月2日の項に詳しく書いたので、興味のある方はご参照ください。今回の上演も、基本的にはそれと同一である。

 歌手陣は、ベルナール・リヒター(ペレアス)、カレン・ヴルシュ(メリザンド)、ロラン・ナウリ(その夫ゴロー)、妻屋秀和(父国王アルケル)、浜田理恵(妻ジュヌヴィエーヴ)、前川依子(ゴローの先妻の子イニョルド)、河野鉄平(医者、羊飼いの声)。なお、メリザンドの分身の役は安藤愛恵が演じていた。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。

 舞台は基本的にエクサン・プロヴァンス音楽祭でのそれと同一、と書いたが、ただし全体の雰囲気においては、些か違いがある。
 たとえば、人物の演技や動き、それによる舞台の活気という点では、あのエクスでのそれの方が、はるかに劇的だったような気がする。2人のメリザンド━━「分身」と、それを興味深く見守る本人と━━の動きも、もっと表情に富んでいて、従ってその「意味」も具体的に解り易くなっていたという記憶がある。

 一例だが、部屋の中にいるペレアスとメリザンドを、嫉妬にかられたゴローがイニョルドに命じて覗き見させる場面では、エクスでは、激昂するゴローを別のメリザンドが必死に制しようとする設定になっていた。だが今回の上演では、そこでのメリザンドの動きが何となく曖昧になり、何をやろうとしているのかが解り難い。
 また、ゴロー役の名オペラ俳優、ロラン・ナウリの演技も、エクスではもっとずっと表情豊かで激しく、愛と嫉妬に苦悩する夫の心理状態を劇的に表現していたのだったが━━。

 だがともあれ、外来勢も日本勢も、音楽的には素晴らしい歌唱を聴かせてくれていた。そのナウリの安定した(し過ぎた?)歌唱をはじめ、ヴルシュの神経質な歌唱表現、妻屋秀和の滋味あふれる老王ぶりもいい。リヒターのペレアスも悪くはなかったが、泉の畔(今回は廃棄プールの中)での愛の二重唱ではもう少し忘我的な、純な青年らしい性格表現が欲しかったような気もする。

 しかし何より称賛したいのは、大野和士の瑞々しい、しかも引き締まった指揮だ。ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)や、フランスのリヨン歌劇場などでフランスオペラのレパートリーに場数を踏んだ彼の本領が、今回は見事に発揮されていたのである。そして、その彼の指揮に応えた東京フィルの演奏も、近年の新国立劇場のピットにおける演奏の中でも出色のものであった。
 ドビュッシーの音楽の良さを充分に味わわせてくれたこの演奏ひとつとっても、今回の上演は成功作と言ってよかろう。

 なお、━━私は以前から主張しているのだが、こういう読み替え演出を上演する場合、可能な範囲で結構だから、プログラム冊子などに、それについての解説を載せておいた方が、お客にとっても抵抗が少なくなるのではなかろうか。
 ネタバレになるからといって詳細を伏せておくと、かえって「何だか解らない、もうこんなの二度と嫌だ」などという反応を生じさせることが多々ある。そんなことでオペラの活性化の芽を摘むような結果を招いては、日本のオペラ界のためにならない。事前に説明すると先入観を与えるからまずい、と言う人もいるが、それは解説の書き方次第であろう。
 このように考えてくれるオペラ主催者は、どこにもいないのだろうか?

※オケの名前を打ち間違えておりましたので訂正しました。失礼しました。教えて下さった方に御礼申し上げます。

コメント

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東条先生仰る通りオケ素晴らしかったですけれど、東フィルじゃないんですか?チラシはそうなってますけど。
子供の頃から、傑作だ、傑作だと言い聞かされていながら、今までまともに観る機会なかったですけど、予習DVDのブーレーズは、4幕の愛の場面と続く殺生にクライマックスがありましたが、今回の大野は、5幕でメリザンドが嘘をつきとおした場面にピークを持ってきました。演出上の要求でしょうけど興味深い。歌手は、急な代役のイニョルドが大健闘。確かに装置などは不可解で納得いかないところはありました。あと黙役が多すぎ。

東フィル

オケ、本当にそんなに良かったですか?私にはもっさりした音に聞こえました。かなり音が団子になってしまった部分があり、ドビュッシーにはもっと水面が光る様なキラキラとした美感が欲しかったと感じました。

スコットさんに同感。日本で演奏されるドビュッシーは薄味サラサラが多いですね。
今回は特にメリザンド役の声量に合わせたのかも知れませんが、物足りなかったです。

>こういう読み替え演出を上演する場合、可能な範囲で結構だから、プログラム冊子などに、それについての解説を載せておいた方が、お客にとっても抵抗が少なくなるのではなかろうか。

賛成です。今回は、私にとっての初ペレアスだったので、新国サイトの下記の説明は、非常に助かりました(これを知っていないと、会場ではチンプンカンプンで、当惑したと思います)。4階席で聴きました(今回のようなセットだと、上部が見切れて非常につらかった)が、オケは、サウンド(水のキラメキのようにキラキラした瞬間が何度もあった)が素晴らしかったと思います。

https://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/6_023494.html

プログラム冊子について

プログラムの冊子について、コメントさせて頂きます。
東条さんが書かれていますように、プログラム冊子について、主催者は、もっと工夫をすべきと思います。コンサート前に読んだ楽曲解説と全く同じ内容で書かれたものをプログラム冊子で見てがっかりしたこともありました。また、演奏の最中にプログラム冊子を開いて読んでいる人が結構多いことから、個人的には、プログラム冊子は、不要とも思っていました(海外でのコンサートでは、よくあります)。
一方で、あるピアニストは、自身で演奏曲への想いをプログラム冊子に書いており、非常に参考になり、必ずしも不要とは言い切れないと思ってもいます。また、先日、聴いたリサイタルでは、奏者2人が演奏の間に、演奏する曲に関する想いを話してくれて、非常に参考になりました。特に、あくまで諸説あるそうですが、有名なある器楽曲は、最初は、別の楽器のために作曲されたとの話があり、共感してしまいました。
要は、演奏に付帯した聴衆への問いかけをする気持ちがあることが大切なのではないでしょうか。

1日目の公演を拝見しました。

 音楽的には、個人的に、まずまず、良かったように思ったのですが、全体的に流麗という感じではなかったし、人によって評価は分かれるかも知れませんね。
 演出も、どちらかというと何か無理に難しい形にしていて、効果が高いかというと、(面白いと思う人もいるかも知れませんが、)そんなに高いとも思えず、むしろわかりづらい、そして、舞台の上部を半分見えなくしている場面が多いこともあってか、暗くて見えづらいことが多い‥個人的には、そんな印象でした。より見やすく、理解しやすい方向性を追求した方が良いのでは、(このオペラだけではありませんが)、個人的にはそう思いました。

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