2024-02

2022・7・13(水)東京二期会 ワーグナー:「パルジファル」初日

       東京文化会館大ホール  5時

 1967年の内垣啓一演出(日本初演)、2012年のクラウス・グート演出に続く、東京二期会3度目の「パルジファル」。今回は宮本亜門が演出した、フランスのラン歌劇場との共同制作プロダクションである。

 セバスティアン・ヴァイグレ指揮の読売日本交響楽団と二期会合唱団の出演。配役はダブルキャストで、今日は福井敬(パルジファル)、田崎尚美(クンドリ)、加藤宏隆(グルネマンツ)、黒田博(アムフォルタス)、門間信樹(クリングゾル)、大塚博章(ティトゥレル)、増田弥生(天上からの声、花の乙女)その他の人びとが出演した。小姓たちや花の乙女たちなど、ソロ歌手陣は脇役に至るまでダブルキャストという、東京二期会ならではの布陣である。

 宮本亜門の今回の演出は、脱・キリスト教、脱・神聖祝典劇ともいうべき性格のものだろう。あれこれと突飛なシーンを織り込んだ舞台は、いかにもヨーロッパの歌劇場好みと言えようか。
 聖杯の城モンサルヴァートと魔人クリングゾルの城とを、キリストの絵や聖杯を展示している美術館━━原始人たちまで並んでいるところを見ると、これは自然史博物館をも兼ねているらしい━━に設定した手法といい、美術館勤務の母(白木原しのぶ)とその幼い少年(福長里恩)との葛藤を前奏曲の中で描き、かつその少年をほぼ全篇にわたってパルジファルに同行させるアイディアといい、更にパルジファルを自然児として描き、ドラマの最後では彼を━━彼をいつも見守っている(ような)友達オランウータン(古賀豊)とともに緑の森の中に去らせる筋書など、実に多彩多様だ。

 そのラストシーンでは、パルジファルの差し出す槍によって傷が完治したアムフォルタスが、今度はその槍で少年(第2幕最後のパルジファルとクリングゾルの決闘の際に斃れ、モンサルヴァートに運ばれていた)を蘇生させ、「救済者に救済を」のお株をとったような奇想天外なエピソードも含まれる。パルジファルと少年が最後にともに祝福し合うのも、この「救済者に救済を」のヴァリエーションなのだろうか? 

 第1幕前奏曲のさなか、母親と少年との諍いが描かれるが、これだけ見ればバイロイトのヘアハイム演出と同様、少年パルジファルと母親ヘルツェライデの関係を暗示してドラマが進められるのだろうと予想してしまうだろう。
 だが実際にはそれは━━プログラム冊子における演出家のコメントを参考にして言えば━━それはパルジファルを未来の姿に持つ少年と、クンドリと同じ苦悩を持つ母である由。そして自殺してしまう父親は、アムフォルタスと関連があるのだという。なるほど大詰めでアムフォルタスが少年を生き返らせ、2人が抱擁する経緯も納得できるというものだ。
 少年と母親とは、最後の場面で和解の抱擁をするが、これは予想通りの結末である。また、聖杯開帳の儀式が行われないこともあって、キリスト教的な色合いは薄いが、「キリスト教徒ではない」宮本亜門が徒にその儀式を真似て取り入れなかったことは、賢明であったという気がする。

 ただ、美術館における表の姿と、その裏の姿たる魔人クリングゾルのアジト(パルジファルの侵入を見張るモニター画面が傑作)との対比は明確ながら、そこにオランウータン(ウロウロと現れる理由が少々解り難い)と「自然」の森などを絡ませた設定は、些かややこしく煩雑な印象を与える。まして第3幕でクンドリが洗礼を受けたのちに天使となって空中から花びらを撒いたりするのは、何か唐突で、未整理じみたアイディアに感じられないだろうか。

 演奏の面では、ヴァイグレと読響の好演を第一に挙げるべきであろう。ヴァイグレは今回も本領発揮だが、この人はやはり一つの団体なり歌劇場なりにじっくりと腰を据え、時間をかけて演奏をつくり上げる場合にはいい仕事ができる人だと思われる。少なくとも、これまで聴いた彼の指揮の中では、バイロイトでの「マイスタージンガー」やウィーンでの「ボリス・ゴドゥノフ」の如き一発客演の時などよりもはるかに丁寧で緻密な音楽になっていたのだった。

 今回の演奏は、特に第1幕でのテンポが速い。ノーカット演奏にもかかわらず第1幕が90分強という演奏時間は、バイロイトでも先例がないわけではないが、しかし稀有のものだろう。とはいえその演奏に、雑なところは一切ない。現代的なワーグナー演奏であることはもちろんだが、無味乾燥ではない。読響はいい指揮者をシェフに選んだものだと思う。

 読響もまた、聖杯城への場面転換の個所などで、金管群が流石の風格を出した。弦の人数が多ければもっとふくよかな音響になったろうが、これは日本の劇場のピットのスペースでは如何ともし難く、残念だ。今日は少しく演奏が生硬なような感じがしたのは、多分初日の緊張の所為だろう。
 なお、全曲最後の2小節を繋ぐトランペットの持続音が省略されていたのは、クナッパーツブッシュのそれに倣ったものか? 

 また今日は、第2幕でオーケストラ・ピットの譜面台の灯が突然消え、ヴァイグレが大声で指示を出すという「事故」があった。それが意外にいい声で、折しもパルジファルの歌声と重なり、二重唱みたいになっていたのが可笑しみを誘った。

 歌手陣では、3月のびわ湖ホール公演の際と同じく、福井敬が不変の馬力を以て、所謂「福井節」を発揮した。これだけのヘルデン・テナーは、邦人歌手にはやはり稀有の存在と言えるだろう。そして、田崎尚美の幅広い表現に富んだドラマティックなクンドリは世界に充分通用する存在だと思うのだが如何。黒田博の滋味豊かな苦悩のアムフォルタス王もいい。

 25分の休憩2回を挟み、9時35分過ぎに演奏終了。

コメント

快速にもかかわらずヴァイグレの呼吸の長いオケ演奏の半面、てんこ盛りで目まぐるしく動きまわる亜門演出とのミスマッチにやや疲れを覚えるプロダクションでした。(魔笛はあんなにグルービーだったのに。。。)。美術館員の母の情欲と母性の葛藤への息子の共感と、「世界を変えていく(救済?)」ことの間には大きな飛躍があったせいでしょうか?亜門さん、リングの方があっているのでは。。。
それにしてもワーグナー初役とは思えぬの加藤グルネマンツは出色でした。

2幕のパルジファル覚醒の少し前の場面で、福井パルジファルの歌唱に一節をかぶせて歌っているように聞こえたのはクリングゾールではなく指揮者の声だったのですね。電気事故とは思わず、てっきりてんこ盛り演出の一環かと錯覚・憤激してしまいました。ネガティブな思い込みに反省しております。

なお、プログラム掲載の「わが国上演史」興味深く拝読しました。中高年ワグネリアンやオペラファンには自分史をみているようで大受け必定です!私は15プロダクションのうち8回。この企画、他の作品にもぜひ拡大展開し、書籍化お願い申し上げます!

残念ながら、もう日本でまともなワーグナー公演無理なのかと思うくらい暗澹たる思いで帰路につきました。コンセプトはともかく、あんなチープな瞬間芸演出は音楽の感動に水をぶっかけるだけだし、ドイツの先鋭的な演出かと違って音楽に対して良かれと思ってやっているのが感じられる時点でお呼びではない、と思います。ヴァイグレのワーグナーは卒なく演奏していますがなんの感動もの生み出さない演奏と思いました。あれが今のトレンドなんだったら当分ワーグナーなんかみなくていいと思います。

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