2024-03

2022・7・16(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

        サントリーホール  6時

 7月定期。ラヴェルの「海原の小舟」、ベルクの「七つの初期の歌」(ソプラノ・ソロはユリア・クライター)、マーラーの「交響曲第5番」という「濃い」プログラムだ。コンサートマスターは水谷晃。

 全曲を通じ、東京交響楽団の弦楽器の分厚く豊麗で、しかも瑞々しい音色が強く印象に残る。「海原の小舟」が、これほど大海原のうねりのように描かれた演奏は、私はこれまで聴いたことがない。それはラヴェルの作品というよりむしろ、ドイツ・ロマン派の交響詩のように聞こえて、それがまた面白かった。

 またベルクの歌曲でも、彼がこれらの歌曲を管弦楽に編曲した時代から、再び原曲(歌とピアノ)を書いた時代にタイム・スリップさせたような、つまり後期ロマン派的な感覚を蘇らせたような演奏になっていたのではないか。クライターのソプラノもこの上なく清らかで美しく、陶酔的な雰囲気を生み出して感動的であった。

 マーラーの「第5交響曲」でのノットのアプローチは、彼のこれまでのマーラー演奏とは、基本的にはそう大きく変わってはいないだろう。だが今日の東京響が響かせた弦の豊麗な厚みや、ホルン群の並外れた強力さ、それに演奏全体にあふれていた温かさといった美点は、ノットのマーラーをこれまでにも増して豊かなものに高めていたのではなかろうか。

 第4楽章の「アダージェット」を、ノットがこれほど陶酔的に演奏させるとは、些か予想外だったし、第5楽章での何度も起伏を繰り返しながら頂点に向かって行くあたりも━━テンポが速いため、流石の弦楽器群も少々慌ただしさを感じさせたのは事実だが━━マーラーが指定した通りの「快活な」感覚に満たされていただろう。
 この「5番」の演奏を聴く限り、ノットが成長を重ねていることは確かだろうが、オーケストラが「いい出来」であれば、彼のマーラー演奏における美点がさらに浮き彫りになる、ということが言えるような気がする。

 カーテンコールでのノットへの拍手は絶大を極めた。彼も本当に嬉しそうだった。

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マーラーの世紀末的退廃美の系譜に連なるベルクの「初期の七つの歌」は独唱、管弦楽ともに爽やかに官能的でした。あまり実演で聴けないので貴重でした。優しい東条先生はお書きになっていませんが、マーラー5番は、目立つ第1、2楽章のトランペットのミスが痛かった。ネットでは厳しい評価もありますが、まさかのエース苦戦は身体的不調でしょう。3楽章からノット氏も東響もエンジンがどんどんかかりはじめ、緩急自在にオケを煽る煽る。最後は70分前のことなんてどうでもよくなり心拍数が上がり呆然としている自分が客席にいました。ノットマジックは中毒になりそうです。ほかの指揮者、楽団なら拍手はそこそこに、さっさと席をたったでしょう。上間氏をはじめ東響のホルン陣はノーミスで安定した匠の職人技を見せてくれました。去年秋から広上・京響、カーチュン・日フィル、エッシェンバッハ・N響と聴き比べてきました。どれも劣らぬ贅沢な演奏会でしたが、多少難はあれ一番面白味があったのはノット・東響でした。ただ、N響会員として何年もチケットをまとめ買いしている者としては、ルイージの次は、N響にノットに是非とも来てもらいたいです。今頃投稿しまして失礼しました。

熱演でしたが、

個人的には冒頭トランペットのミスが後を引いて最後まで完全に乗り切れず、やや空回りのところがあったとの印象。冒頭トランペットのミスと言えば、インバル指揮都響のマーラーツィクルス、横浜みなとみらいホールでの6番を思い出しますが、あのときは後半見事に挽回し、フィナーレで涙ぐんでいる自分がいました。今回の演奏は決して素晴らしくなかったとは言わないものの、ノット指揮東響ならもっと高いところを目指せたはず。その意味において、少し前の4番と1番の方が完成度は高かったのではないかというのが小生の勝手な評価です。

それにしても、デュトワ、ノット、ギルバート、マケラ、ペレスなど、大御所から今もっとも注目されている若手まで、凄い顔ぶれの指揮者がほんの1ヶ月の間に入れ代わり立ち代わり首都圏オケの指揮台に上ってショスタコーヴィチ、マーラーなどで壮大な名演を聴かせてくれる、この東京という都市はなんて恵まれた音楽都市なんでしょう。日本のオケが今まさにワールドレベルに達している、その瞬間を共有できることの幸せを噛みしめております。ありがたやありがたや。

ノットと東響の名誉のために一筆。新潟定期(年6回リュートピアであり)ではトランペットの佐藤氏、ほぼノーミスで集中力も途切れず、ノットの示した方向に寄り添って、素晴らしいソロでした。結果、前日とは全く異なる「圧巻の演奏」だったとはサントリー定期を聴いた来県の知人の感想。同感。4月、大野=都響でもこの曲を当地で聴きましたが、微温的で安定志向の彼らに比べ、当地でのマーラーは、彼らの演奏の記憶を消し去り、過去聴けた演奏の記憶の果てに追いやる凄演でした。相対的に言って、サントリー定期の翌日、新潟定期での彼の演奏は数段上にいってます。

指揮者の姿勢について

このコンサートも都合で聴けなかったのですが、トランペットが不調だったことは、残念でした。体調不良との見方もあるようですが、冒頭のソロ部分の譜面には、4つの音に対して、pから始まりクレッシェンド・スフォルツァンドが繰り返し書かれており、指揮者がこれを厳格に求めたとすると、ソロ奏者には相当のプレッシャーがかかると思われます。一方で、このところ聴き慣れてしまった、日本人指揮者の中には、このような重要なソロ部分を奏者に任せることが多いように思います。実際、ある曲の大事なソロ部分のディミュニエンドを無視した演奏を聞かされて、呆れたこともありました。日本の主要オーケストラの水準も高くなってきましたので、このような理想を明確に持った指揮者と演奏すれば、さらなるレベルアップに繋がると思いました。

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