2024-03

2022・7・22(金)アレホ・ペレス指揮読売日本交響楽団

       サントリーホール  7時

 読響の7月定期。アルゼンチン出身の指揮者、アレホ・ペレスが客演した。
 この人の指揮は、東京二期会公演で読響と協演した「魔弾の射手」と、ザルツブルク音楽祭でのグノーの「ファウスト」を聴いたことがある。極めて切れのいい、胸のすくような勢いを持った指揮を聴かせる人で、私は大いに好感を抱いたものだ。

 今日はエトヴェシュの「セイレーンの歌」、メンデルスゾーンの「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」(ソリストは諏訪内晶子とエフゲニ・ボジャノフ)、ショスタコーヴィチの「交響曲第12番《1917年》」を指揮したが、いかにもペレスらしく、強いメリハリと、音楽を先へ先へと進めて行くエネルギーにあふれた演奏を読響から引き出していたのが印象的だった。

 エトヴェシュの「セイレーンの歌」は、2020年の作曲で、2021年に初演されたとのこと。私は聴く前までは、そのタイトルからして、これは例のオデッセウスを悩ませた「船乗りたちを誘惑する魔女の歌」だろうと、勝手に思い込んでいた。だがプログラム冊子掲載の澤谷氏の解説によれば、これはカフカの描く、オデッセウスが耳栓をして「聞かなかったセイレーンの歌」━━つまり「セイレーンの沈黙」をイメージしているものの由。
 となると、沈黙そのものを音にするという、随分飛翔したイメージによる音楽ということになるだろう。しかし、そう思って聴くと、これはなかなか興味深い音楽ではある。

 メンデルスゾーンのこの協奏曲は、美しいけれども、いかにも前期ロマン派の類型的な作品という感で、何ともつまらない作品に感じられる。ただ、今日の豪華なソリスト2人が、暫し彼らだけで奏で続ける部分だけは、聴きものだった。
 なお、2人はアンコールにフォーレの「夢のあとに」を弾いてくれたが、ここでの諏訪内のヴァイオリン・ソロは、冒頭からして恐ろしく濃厚な、しわがれたポルタメントを利かせた演奏だったのにはぎょっとした。いつもの彼女とは違う。

 さて、この日の呼びものだったショスタコーヴィチの「12番」が、ペレスの指揮で聴くと、不思議に開放的な曲に感じられるのは、彼のお国柄の所為か、それとも彼の感性の致すところか。あるいは、ダイナミックに躍動的に演奏するとこのような音楽にならざるを得ないという作品の性格ゆえか。

 終結部における作曲者の押しつけがましい音楽づくりが、今日は殊更に目立って感じられてしまった。いずれにせよ、ショスタコーヴィチがこの曲を最後に、以降の交響曲では内向的な苦悩の作風に転じて行かざるを得なかった理由がよく解るような気がする。

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