2024-03

2022・8・27(土)セイジ・オザワ 松本フェスティバル
モーツァルト:「フィガロの結婚」

     まつもと市民芸術館・主ホール  3時

 「フィガロの結婚」が、沖澤のどかの指揮で3回上演された。ただし第1幕だけは「子どものためのオペラ」として、ケンショウ・ワタナベの指揮で5回上演される。

 今日はその本公演の3日目だったが、この満席の状態を、私は実に久しぶりに見たような気がする。
 思えば音楽祭創設以来30年、モーツァルトの名作オペラが本公演で取り上げられたのは、今年が最初だった。かつて小澤征爾・総監督が元気だった時代、彼は得意のフランスものや20世紀ものを盛んに取り上げ━━そこでは比較的耳慣れぬ作品が多かったにもかかわらず、小澤の人気ゆえに、チケットは常に完売になっていた。だが彼が指揮しなくなると、空席も目立つという状況に多くなって来たのは周知の通りである(上演の水準の面でも、必ずしも優れたものとは言い難いものも出て来ていた)。

 しかし今回のように、モーツァルトの名作オペラが優れたスタッフとキャストにより上演された場合には、小澤総監督が指揮していなくても、昔のように客席がいっぱいに埋まり、音楽祭そのものにも活性化のイメージを与えるという反応が生じたことは注目される。その意味では、今年のレパートリー選定は、OMFにとっての起死回生の一打と言えるかもしれない。

 今回の「フィガロの結婚」は、ロラン・ペリーの演出、ローリー・フェルドマンのステージ・ディレクションによるもので、もともとはサンタフェ・オペラでの上演のために作られたプロダクションの由である。
 シャンタル・トマによる装置では、回転する複数の巨大な歯車(ねじ)と、それにつれて回転する舞台で構築される。それは部屋から部屋へ、ドアからドアへと、登場人物とともに目まぐるしく回転する。それが単なる余興ではなく、時計が「1日」(このオペラは「ある1日の物語」である)を刻んでいることを象徴するものであることは明白であろう。

 第3幕最後では、モラルの崩壊を象徴するかのように、この歯車/時計はバラバラになる。だが、大詰めの大団円に至ってそれは回復する。総じてこの演出は、ストレートな解釈ながら、人物の微細な演技も含めて多彩な舞台によりドラマを展開して行くというペリーらしい詩的なタッチで、なかなか楽しめるものだった。

 配役は以下の通り━━サミュエル・デール・ジョンソン(アルマヴィーヴァ伯爵)、アイリン・ペレーズ(伯爵夫人)、フィリップ・スライ(フィガロ)、イン・ファン(スザンナ)、アンジェラ・ブラウワ―(ケルビーノ)、パトリック・カルフィッツィ(ドン・バルトロ)、スザンナ・メンツァー(マルチェリーナ)、マーティン・バカリ(ドン・バジリオ)、糸賀修平(ドン・クルツィオ)、町英和(アントニオ)、経塚果林(バルバリーナ)、東京オペラシンガーズ。

 登場人物たちがみんな生き生きしていて、存在感を明確に示していたのがいい。
 特にスザンナ役のイン・ファンの爽やかで明晰な歌唱表現は傑出していた。ペレーズの伯爵夫人は、第2幕冒頭のアリアではちょっと不安定な歌唱だったが、ここは誰がやっても難しいらしい・・・・第3幕後半以降、「勝利を確信」してからの歌唱も演技も、娘時代のロジーナの性格を取り戻したかのように明るくなって行ったのは、おそらくドラマの性格を考えての意図的なものだったのだろう(とすればこの人、やはり巧い)。

 伯爵役のデール・ジョンソンも、特に暴君的な表現ではない、喜劇の範囲での領主役を歌い演じた。彼、ある個所でレチタティーヴォが止まり、横の召使役になにか確認するような様子を示したが、そこでチェンバロが催促するような合の手を入れたのが可笑しかった(チェンバロのブライアン・ワゴーンがなかなか巧い)。フィガロのスライがもう少し才気煥発の抜け目なさを巧く表現していたら、この4人のバランスは完璧に整っていただろう。
 なお、バルバリーナ役にシャイアン・コスの代役で急遽出演した経塚果林も闊達な歌唱と演技で、なかなかよかった。

 さて、今回の公演で、もっとも注目の的だったのは、沖澤のどかの指揮である。これはもう、まさに噂通りで期待通りの素晴らしい指揮だった。この若手はいい。モーツァルトのオペラで、これだけしなやかな美しい濃密な音をSKOから弾き出したのも嬉しい驚きである。
 彼女の指揮は極めてシンフォニックで、しかも揺るぎない。特に第2幕フィナーレでドラマが急展開して行く場面での、スコアの指定に基づいてのテンポの変化は鮮やかだった。全曲構築のバランスもほぼ完璧であり、音楽にも緩みがない。彼女が指揮した「フィガロの結婚」は、オーケストラが大河のように堂々と流れ、その上に歌手たちの歌唱が躍動するという音楽になっていたのである。

 こういう演奏を引き出す彼女の才能には本当に舌を巻かされたが、たった一つ引っかかることがあったのは、━━モーツァルトのオペラというのは、本来、オーケストラも登場人物と一緒に、泣き、笑い、怒り、喜ぶ音楽なのではなかろうか? 
 その意味では、彼女が構築したこの「フィガロの結婚」は、オーケストラは単なる温かい「語り手」といった存在に徹しているように感じられてしまったのだ(このオペラをシンフォニーとして聴くなら、この構築は完璧と言えただろう)。

 もっとも、事前の記者会見での発言などを総合すると、彼女は意図的に「オーケストラをあまり動かさない」ことを狙っていたふしもある。そうであれば、ことはもう解釈の問題になるだろう。

コメント

久しぶりに熱気あふれるオペラ公演でした

 本当に久しぶりに熱気あふれるオペラ公演でした。24日(2回目)と27日(3回目)を鑑賞しました。
沖澤のどかさんの指揮を初めて観聴きしたのですが、予想をはるかに超える素晴らしいものでした。最近の若い方の中には、自己満足げにガンガン指揮する方も少なくないのですが、のどかさんは常に音楽に耳を傾けて楽員や歌手とのコミュニケーションをピット内から巧みに取っていました。モーツァルトの音楽を慈しむかのように丁寧に作品構築をしながら的確なテンポで爽やか且つ明快にオペラ全曲を作り上げました。ペトレンコさんをはじめとして、海外でしっかり鍛え上げられている実力を大いに感じさせられました。多くの困難をも乗り越えて頑張っているのどかさんの今後益々の発展が楽しみです。
 「今回のように、優れたスタッフとキャストによるモーツァルトの名作オペラの公演は、音楽祭そのものにも活性化のイメージを与えた」との先生のご指摘に同感です。
サンタフェ・オペラで作られたプロダクションによるロラン・ペリー演出の舞台は、登場人物の心情までが手に取るようでとてもわかり易いものでした。舞台の左右に仕組まれた大小複数の歯車の回転に合わせて動くように仕組まれた中央に位置した時計の盤面内での役者の動きも見ごたえ十分でした。その盤面を回り舞台にして各部屋の様子などを上手く見せながら一日の物語を見事に作り上げていく手法にも感心しました。シャンタル・トマさんによる装置及びドゥエイン・シュラーさんの照明の美しさも印象に残りました。
 SKOの演奏を聴きながら、その生き生きとした表現力にも感服しました。楽員の皆さんが個々に素敵なオペラ上演にしようとの熱い気持ちが伝わってくるので鑑賞者をも幸福にします。幕切れで伯爵が夫人に許しを請う場面では、少し長い間を取ってから謝罪の美しいメロディーが響き渡ったのも絶妙でした。個々のアリアでは通常入れないような装飾音が数か所聴きとれた(24日の方が強かった感じ)のは茶目っ気かと納得しました。素敵な重唱も多い作品ですが、役者間の呼吸が見事にとれた重唱はまるでゾーンに入ったのではないかと思わせるようなシーンもあって貴重な体験でした。
なお、フィガロのスライさんは、24日の公演中に体調を崩されたにもかかわらず、ご本人の強い希望で代役を立てずに最後まで演じ切り終演後には大きな拍手で称えられていました。

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