2024-03

2022・10・1(土)クリストフ・プレガルディエンの「白鳥の歌」他

     トッパンホール  7時

 9月27日に左眼の白内障の手術を完了。6月に右眼をやって、それでお終いにするつもりでいたが、何となく視力のバランスの悪さを感じていた。思い切ってもう一方の眼もやってもらったら、全ての物がはっきりと見え、特に白と黒とのコントラストが明瞭になり、眼鏡もほとんど要らぬような状態になったのには本当に驚いた。これまで眼鏡をかけていてさえ視るのに苦労していたパソコンや小さい字など、いつの間にか眼鏡なしで楽々と視ていることに気がつき、呆気に取られている次第である。

 それはともかく、久しぶりに復帰した演奏会巡礼。今日はクリストフ・プレガルディエンがミヒャエル・ゲース(pf)と組んでのリサイタル。シューベルトの「白鳥の歌」を2つに分けるという珍しいプログラム構成で━━。

 つまり第1部では、最初にベートーヴェンの歌曲集「遥かなる恋人に寄す」を歌い、続いて「白鳥の歌」から、レルシュターブ詩による前半の7曲を歌う。
 そして第2部では、まずブラームスの「君の青い瞳」など6曲の歌曲を置く。最後に「白鳥の歌」後半のハイネの詩による6曲を歌うが、その順番は変更され、第10、12、11、13、9、8曲の順になる。外された最後のザイドル詩による「鳩の使い」は、定石通り、アンコールで歌われる仕組みだ。なおアンコールではその他にシューベルトの「わが心に」と「夜と夢」が歌われた。

 名歌手プレガルディエン、昔はテノールだった彼の声も、数年前には既にハイ・バリトンの色合いが濃くなっていたが、今ではもうほとんどバリトンである。
 歌唱表現は昔ほど劇的でなく、穏やかになったようだが、歌詞のニュアンスを精微に生かし、豊かな起伏で音楽を彩るのは昔に変わらず。ベートーヴェンの連作歌曲集の大詰めで、愛の勝利を力強く歌って未来への希望を確信する表現など、見事なものだ。
 シューベルトの「白鳥の歌」でも、最終曲に置かれた「アトラス」に大きなクライマックス感を与え,ゲースのピアノの最強奏とともに戦慄的なエンディングを構成していた。

 ただ今回聴いたこのシューベルトでの歌唱は、時にもどかしくなるほど、リズム感が曖昧になるという印象を与えられることがあった。しかしこれはおそらく、ゲースのピアノに責任があるように思われる。
 今回のゲースのピアノは、シューベルトにおいては、不思議にレガートなものだった。例えば「別れ」では、リズム感を極度に抑制してしまい、「セレナード」でも影のように最弱音で呟き続けるといった演奏なので、シューベルトがピアノのパートに与えている和声的な動き━━つまり感情の動き━━が全く浮き彫りにされず、そのため声楽パートとの和声の妙さえも全く再現されなくなってしまうのである。
 その一方ブラームスでは、ピアノもかなり雄弁な動きをするといった演奏だったのだから、これは明らかに意図的な解釈によるものだろう。こういったシューベルトの歌曲のピアノ演奏には、私は全く共感できない。

 だがこのミヒャエル・ゲースという人、10年以上前に来日してプレガルディエンと協演した頃は、弾き方も荒っぽくて、最強音の音色も汚く、しかも楽譜のめくり方が乱暴で騒々しいという、どうしようもないピアニストだった(☞2009年3月5日の項)が、今では均整も取れた、ちゃんとしたピアニストになった。

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